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味噌をこだわり学ぶ / ごはんのお供作り


ほぼ毎朝のように、お味噌汁を飲む。
温かみを感じてホッと心が落ち着く。


去年までは味噌やその他調味料のことを、特に知りもせず使っていた。なるべくよいものをと考えてはいたが、優先するものは値段だったように思う。


去年あることがきっかけで、食や健康について夫婦で考えることが増えた。『食べるものが身体をつくる』耳にタコができるほど、いたるところで聞いてきたような言葉だが、身に染みて感じた。




「食べない方がよいもの」を調べるとキリがない。私たちは医師でも栄養士でもないので専門的なことはわからないが、「食べたいのに食べない」が増えすぎるとストレスとなり、結局心身に負担をかける。添加物はそれまでもかなり気にしていた方だと思うが、気にしすぎることが良くないときもある。食べることは、生きている限り大好きでいたい。


だから「何を食べたらよいか」を考えた。
その上で一番頻繁に使い、口に入れるもの、そして簡単に見直しができるものを考えたとき私たちの場合は「調味料」だった。
今日はその中の味噌のおはなし。



味噌
日本を代表する塩蔵発酵調味料。
天地天皇5年に高句麗から伝わったとの説がある。

※ちなみに人類最古の調味料は「酢」である。
収穫した穀物や果実を保存しておく過程で、発酵が進むと酒になり、さらに置いておくと酸味に変わることを知ったとされる。

農林水産省HP





・赤味噌と白味噌のちがい
・味噌の種類(米味噌・麦味噌・豆味噌・調合味噌)
・味噌の分類(原料・味・色)
・味噌ができる工程

に関しては、こちらのマルコメさんのHPがとても見やすくわかりやすかった。



北海道はやっぱり『トモエの田舎味噌』が有名ではないだろうか。色々な味噌を食べてみては、「やっぱりこれだよねー」とトモエに戻る。いつも『田舎みそ白つぶ』か「北海道仕込み白つぶ」を購入する。



私はほとんど赤味噌を食べたことがなかった。北海道では赤味噌を普段使いする家庭は多くはないだろう。まだ学生の頃に食べたときは苦手と感じてしまった。社会人となり定食屋さんで食べることはあったのかもしれないが、その他の味噌の方が好みであったし、特に何も気にしていなかったように思う。自分で購入することは1度もなかった。


だが去年、味噌について調べ勉強したところ、赤味噌はどうも身体によいということを知った。購入までは少々勇気がいった。身体によくても食べられないのでは意味がない。今年になりようやく決心し、購入したのがこちら。





まるやさんの八丁味噌
初めてでも食べやすそうな商品を購入


第一印象、色が濃くて香りがつよい!
でも全然嫌じゃない!!




午前中に届いたので、その日のお昼は赤味噌で味噌汁を作ることになった。おそるおそる飲んでみると、出てきた言葉は「うまー!」だった。コクがあり、おそらく今まで食べた味噌の中で一番白米に合うのではないか。夫はもともと赤味噌が好きだったようだが、この味噌のおいしさに感動していた。私調べではあるが、赤味噌は朝、白味噌は夜に摂るのがよいらしい。


この赤味噌でとんかつソースや焼き肉のタレ、豚汁などを夫が作ってくれたのだが、どれも絶品で赤味噌と距離を置いていた自分が憎たらしくて仕方がない。子供の頃の味覚は変わるもので、私も大人になったのだと赤味噌は教えてくれた。




全国には地域により様々な味噌が作られている。
その中からいくつかの歴史をちょこっと調べたので簡単にまとめた。


◆北海道味噌

北海道の歴史に、味噌や醤油という文字が出てくるのは江戸中期。1955年、「味の三平」の店主が初めに味噌ラーメンを作ったと云われ「サッポロ一番みそラーメン」も、この「味の三平」がルーツ。


◆仙台味噌

江戸時代から400年以上の歴史があり、戦国時代から有名だったらしい。伊達政宗公は、軍用味噌を他に頼らず自給しようと考え、城下に『御塩噌蔵(ごえんそぐら)』と呼ばれるみそ工場を建てた。これが最初のみそ工場であり、仙台味噌の始まりともいわれている。


◆越後味噌(新潟)

精米したお米を使うので米粒が味噌の中にそのまま見える。上杉謙信公が現在の千葉県に攻め入った際、当時の野田地方で発達していた味噌の作り方を兵に習得させ、それを農民に広く伝えた説がある。


◆江戸甘味噌(東京)

江戸時代から昭和初期まで、東京の味噌需要の6割を占めていた。味噌田楽やどじょう汁といった江戸料理に巧みに使われ人気を博していた。第2次世界大戦中に多量の米を使用するからと「贅沢品」に指定され、製造ができなくなった期間がある。

※江戸に開幕した初代将軍徳川家康の命により、出身地の三河「八丁味噌」の旨みと、京都「白味噌」の甘さを兼ね備えた味噌として開発されたという話もある。



◆信州味噌(長野)

国内生産味噌の約5割がこの信州味噌。
鎌倉時代、臨済宗の僧「心地覚心」が自身が創健した安養寺で、宋から伝授された味噌づくりを布教活動と共に広めたことを始まりに、戦国時代には武田信玄公が兵糧として味噌を作らせたことで、信州の地で味噌づくりが盛んに行われるようになった。

1923年、関東大震災により首都圏で多くの味噌蔵が被災。被害のなかった信州から味噌が救援物資として送られると、首都圏市場で好評を博し、急速に発展拡大していった。


◆東海豆味噌(愛知・三重・岐阜)

原料は大豆と食塩のみで、蒸した大豆を玉にして麹にする『味噌玉製麹』という独特の製法。歴史は古く約1300年。平安時代には当時の都「平安京」にすでに味噌専門店があったそう。戦国時代は、豆味噌は長期保存可能な携行食として重宝されていた。

『八丁味噌』
愛知県岡崎市にあった岡崎城から、八丁ほど離れた八丁村で作られた味噌を八丁味噌と呼んだことが始まり。豆味噌と八丁味噌では作り方が違うようだ。徳川家康公は、特に三河の八丁味噌を好んだ。


◆九州麦味噌(九州地方)

九州では麦味噌が好まれている。平安時代からの歴史。米がとれにくく、代わりに麦の生産が盛んだったために麦を麹にした麦味噌が作られるようになった。
西郷隆盛は料理はしなかったが、味噌作りは上手かった
篤姫は徳川家定公に嫁いでからも定期的に国元である鹿児島県から味噌を取り寄せていた
との話もある。



味噌は、戦国武将たちにとって大切な食の1つだということがわかる。これほどまでに深い関わりがあるとは。知っていくと各地の味噌を食べてみたくなる。そして改めて、味噌作りの伝統を受け継いで一生懸命作ってくださる方々に感謝の気持ちでいっぱいになった。

やはり「知る」は大切だ。




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新米の季節なので、味噌を使いごはんのお供づくり。
『ネギ味噌』を作った。


ネギをみじん切りにして、胡麻油で炒め
味噌とみりんで水分がとぶまで炒め合わせたら完成!



白味噌と赤味噌は2:1くらいにしてみたが、これがとんでもなくおいしい!白味噌だけでもおいしいけれど、赤味噌が深みを持たせてくれていて、また違うおいしさ。塩分を気にして薄味にしたが、後悔なし。新米にピッタリだ。

これは実家に持っていき、母にも食べさせなければならない。おいしいものは大切な人にも食べてほしくなるね。


みんなおいしく食べて、健康に過ごせますように。








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