「紫式部の姉」が道長の恋人だった? という可能性を考える
こんにちは、owarimao です。NHK大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ています。大石静さんによる脚本がとてもよくできていて面白いです。
ドラマの中には、いくつかのショッキングな設定がありましたね。初めのほうに出てきた「主人公の母が〇〇に殺害された」というのもその一つです。
紫式部の母という人は、後世に伝わっている情報が少ないので、早くに亡くなったと推測されています。「殺された」というのは大胆な設定ですが、絶対ありえないとまでは言い切れません。「そうだったかもしれない」のです。同じことは、ほかのいろいろな筋書にも当てはまります。
けれども『光る君へ』には、私が知るかぎり一つだけ、明らかに史実とはくいちがっている(意図的に変えてある)点があります。それが、今日のタイトルにある「姉」の話です。
ドラマには出てきませんが、「紫式部には姉がいた」こと、「越前へ旅立つより前に死別した」ことがわかっています。そのことは、紫式部の個人歌集である『紫式部集』の中に書き留められています。
母を早くに亡くした紫式部にとって、姉はおそらく母がわりでした。姉の死は、紫式部の生涯において最も痛切な出来事の一つだったにちがいありません。
しかし『光る君へ』の中では、この姉の存在は消され、「母」は実母に一本化されました。そして紫式部自身に「しっかりものの姉」というキャラクターが与えられました。
ドラマで弟として登場する惟規も、実際には兄なのか弟なのかが不明です。もし惟規が兄だった場合、紫式部は「姉上」ではなく、三人兄弟の末っ子ということになります。
「姉の死」といえば思い出されるのは、『源氏物語』のいわゆる宇治十帖で描かれた「大君」の死です。
一般に文学作品と、その作者の実人生とを安易に重ね合わせることは、好ましいことではありません。でも姉の死が紫式部にとって一大事だったことは事実なので、それが『宇治十帖』(光源氏の死後の物語)の執筆にあたって原動力となったことは、じゅうぶん考えられると思います。
『光る君へ』には出てこない、紫式部の姉。
私は彼女こそ、かつて藤原道長の恋人だったのではないかと考えています。彼女と道長とのあいだに「大君」や「薫」と似たようなことがあったのではないか。もちろん実証はできませんが、そう考えると、うまく辻褄が合うように思うのです。
大河ドラマ『光る君へ』には、道長の兄が紫式部の父・為時を慕って遊びに来る場面がありました。また為時が道長の嫡男に漢文の指導をする場面もありました。
そういうことがありうるなら、若い日の道長自身が為時の教え子だったとしてもおかしくないわけです。
実父の政治的野心の強さになじめない道長が、為時の人柄に惹かれ「この人が父だったらよかったのに」と考える。家を訪ねると、そこには父の失業で婚期を逃しつつある娘がいる……。
為時は大いに乗り気だったかもしれませんが、「黙認」程度だったかもしれません。道長は身分が高すぎるため、為時の娘は、たとえ公的に結婚しても「北の方(正妻)」にはなれないことがわかっています。それでも父親にしてみれば、娘の行く末が心配なので「道長に面倒を見てもらえれば」という気持ちにはなったでしょう。
しかし肝心の娘自身はどうだったでしょうか。
物語の中の大君は、薫のプロポーズを斥けたまま世を去ります。実際はどうだったかわかりませんが、少なくとも、為時の長女が若くして亡くなったことは事実です。それは父が越前守になる少し前の出来事でした。そしてこの任官は、道長が便宜をはかった結果であることが、『今昔物語集』など複数の書物の中で示唆されています。
私の考えでは、道長は長女の死について、自分に多少の責任があるように感じていたのではないかと思います。「自分に出会わなければ死ななくてすんだのではないか」などと思い悩み、為時に申し訳ない気持ちだったのではないでしょうか。
『源氏物語』の薫は大君の死後も彼女をあきらめきれず、単に容姿が似ているという理由で、腹違いの妹である「浮舟」を愛するようになります。
道長と紫式部も、『紫式部日記』によれば、互いに意識する関係ではあったようです。でもそこに描かれた紫式部は、距離を置こうとしているように見えます。
「姉のかわり」に愛されることは、彼女にとって意味のないことだったから…?
私はそんなふうに考えています。
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