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読み方で「万葉集」の価値が変わる件(その4)

▼『万葉集』の「梅花歌三十二首」が、先月から一気にマスメディアの表舞台に躍り出た。都内の大きな本屋に行くと、すべて万葉集特集の棚を組んでいる。

ひとえに、同書に収められている「観梅パーティー」の歌の序文が、新元号「令和」の出典になったからだが、同書の文化的な価値について考察を加えた知られざる好著を、ここ数回紹介している。その続き。

▼梅の花を歌った歌が三十二首。しかし、その四分の一の八首で、「柳」が併せて歌われていることを知る人は少ない。ちなみに、「梅と鶯(うぐいす)」の組み合わせで知られる「鶯」は三十二首中、六首ある。なぜなのか。適宜改行。

〈ここで特に注意を要するのは「梅花歌」とありながらその八分の一がウメとヤナギとの組み合わせになっている点である。

「梅花歌」の序(その作者については、大伴旅人説・山上憶良説・某官人説があって未決定である)が王羲之「蘭亭集序」のパロディであることは契沖が指摘して以来、すでに常識とさえなっている。おそらく、誤りないであろう。

しかるに、「梅花歌三十二首」ことごとくが同じく中国詩文のパロディで出来上がっている点については、これまであまり指摘されたことがない。

序だけが中国詩文の借り物で、あとの作品は日本人のオリジナリティに属する、とでもいうのであるか。〉(『植物と日本文化』156-157頁)

▼つまり、「令和」の出典である序文が「中国詩文の借り物」であることは議論の前提になっているわけだ。そのうえで、『万葉集』の本体部分である歌そのものも、「日本オリジナル」とは到底言えないことを論証していく。

〈殊にも笠沙弥・土氏百村・史氏大原の三者は漢文の学識に長じた官僚たちなのだが、そのような漢学の達人でもいったん倭詩(和歌)を作るとなると楽才を無にしてうたった、とでもいうのであるか。

だいいち、ウメそのものが当時やっと九州に渡来してきたばかりの花木であったし、酒宴の席上で自作詩を披露し合う文学パーティそのものが当時やっと律令官人貴族の間で定着化=慣例化した事実をどう解するのか。

当時の支配的文化は、ようするに、中国のハイカラ文化に対する模倣の試みに終始していたのではなかったか。それだからこそ、「梅花歌」のなかにヤナギとの組み合わせが出てきたり、ウグイスとの組み合わせ(これは六首見える)が出てきたりしたのではないか。

げんに『芸文類聚(るいじゅ)』をぺらぺらとめくっただけでも「春柳発新梅」「梅花隠処嬌鶯」などの詩句がすぐに見いだされる。〉(156-157頁)

▼ちなみに、この『芸文類聚』や、「令和」のネタ元の一つである『文選(もんぜん)』は、『万葉集』当時の貴族や文人が始終手元に置いて読み込んでいた、いわば「虎の巻」だった。

これらの「虎の巻」を参照しながら、彼らは彼ら自身の文化をつくりあげていくための、第一歩を歩み始める。

〈中国では、雪が消えて一陽来福、さあ春がやってきたよという合図を示す歳時的シグナルとして、まずウメがさき、ヤナギが萌え、ウグイスが鳴く、というふうに考えられ、それが宗教儀礼用歌謡にうたわれ、やがて詩文化されたのだった。

そして、初めて実物のウメの花を見、初めて実物のヤナギの若枝を見る機会に恵まれたとき、わが律令官僚知識人たちは、中国詩文をテキストにして、ウメの鑑賞法を学び、ヤナギの風趣の味わい方を学んだのである。〉(157頁)

大宰府の観梅パーティーで「梅花歌三十二首」が詠まれた天平二年以降、『万葉集』には「梅と柳」のセットがしばしば詠まれるようになる。

▼梅について考える時も、柳について考える時も、つい忘れがちになるのだが、そもそも、梅も柳も、中国由来である。

〈もともとヤナギは中国原産の植物なのだから、その生態や形姿の捉えかたから美学的風趣の捉えかたまで、さらにはその呪術=宗教的機能の捉えかたから神話的記号の捉えかたまで、すべて中国の詩文や習俗に学ぶのが最も正しい方法であると、そう万葉歌人らは考えていたにちがいない。

糞真面目(くそまじめ)に過ぎるくらいのこの学習態度が、やがて、広汎な詠材のすみずみにまで“知的渉猟”の企てを押し及ぼしていき、ついに『万葉集』全巻の高い“文化価値”の実現を成功させた。〉(160-161頁)

▼この「生真面目すぎる学習態度」こそ、日本的な価値の源泉の一つであり、『万葉集』から始まる極めて独創的な日本文学を生む力になった。

「日本固有」の「オリジナル」を見つけたがったり、でっちあげたりする態度から、文化は生まれないし、価値も生まれない。

そのことに気づくきっかけが、『万葉集』を手に取ることで増えるのであれば、元号が「令和」になった文化的な価値は大きい。(つづく)

(2019年5月10日)

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