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「黒影紳士」親愛なる切り裂きジャック様5〜大人の壁、突破編〜🎩第ニ章 3リミッター 4生存率

3 リミッター

 サダノブは黒影の言っていた事を思い出していた。
「犯人は被害者の元夫である可能性が高いのであれば、元から被害者をつけていたセフィアと組んでいた可能性が高い。
 だったら殴り合いでも無く、正しくは元夫とセフィアが殴り掛かって追い回したのかも知れない……。」
 とサダノブがぼんやり言ったのだ。
「……サダノブさん?」
「はい、何でしょう?穗さん?」
 と、サダノブが聞くと、
「今日は何だか冴えてますね!何だか黒影さんみたいですっ!」
 と、小さな拍手と笑顔でサダノブを讃える。
「大げさだな。先輩だって此処に来たら気付きましたよ。」
 サダノブはそれでもくすぐったくて、頭を搔いてヘラヘラしている。
「……って事はまっさか!」
「まさか?」
 サダノブがまた何かに気付いたようなので、穗は聞く。
「午前5時半、スピタルフィールズのハンバリー・St9番地のでしていた会話が成立するんだ。犯人が元夫ならば、「こんなところにいるなんて……。僕が悪かったよ。せめて少しぐらい話をしないか。「どう?」と、復縁話をせめて聞いてもらおうとすれば言える。
 勿論復縁の気なんてないんだ。それで、被害者は聞くだけならと「いいわ」と言った。あながち、そこまでの目撃証言は間違っていなかった。
 その後だ…きっと。仲間にしていたミンストンと夫が殴り掛かってくる。
 顔面を殴られながらも被害者は逃げた……。5時半から発見される6時までの間。
 この裏庭に逃げるか、階段を上がるか悩んだんだ。
 裏庭が何処にも通じていなかったら?階段の上に屋上しかなかったら?
 この運命の選択に迷ったんだ。だから、一瞬立ち止まってしまった。そして跡形もなくぐちゃぐちゃにされてしまう。
 どうかなぁ……先輩の見様見真似の俺の推理。
「サダノブさん?」
「はい」
「熱でもあるんですか~?ペストとか、困りますからねぇ~?」
 と、穗は珍しいサダノブの名推理に、サダノブがおかしくなったのではないかと、頭に手を当て熱が無いか確認する。
「ああ、それならね。最近思考読みの範囲が広がって、バランスが取れていないからだよ。取れてない無い方が、馬鹿が少しマシに成るみたい。」
 と、サダノブは苦笑いする。
「えっ?じゃあバランス取れたら、また馬鹿でお茶目なサダノブさんに戻るんですか?」
 穗は心配しながらもそう聞くのだ。
 まるで 馬鹿でお茶目な方が良いと言いたそうだ。
「えっ?駄目かなぁ~?」
 サダノブは不安になって、穗に聞いた。
「いいえ。どんなサダノブさんでもサダノブさんですけれど……それでは、黒影さんが困りますよ。」
 と、言うのだ。
「えっ、先輩が?」
 それは困るとサダノブは真剣に話を聞く。
「だって、黒影さんとサダノブさんが真逆の考えだったから、斬新な考えを思い付く事が、咄嗟でも多かった筈なんですよ。コンビネーションのバランスも取れなくなって来たという事です。
 黒影さんの事だから、それをサダノブさんの所為にしたりしないとは思いますが、本当はしんどいんじゃないんですか。」
 穗は黒影の優しい性格ならばと考えて、黒影の代わりになった気持ちで代弁する。
「早く制御できるようにとしか言ってないや……。きついなんて一言も……。」
 と、サダノブは黒影がそんな事は言い辛いし、出来るだけ言わない人物だと言う事をすっかり忘れてしまっていた。
「毎日一緒にい過ぎて……当たり前になって、気付かなくなってしまう事もありますね。
 穗さん、教えてくれてありがとうございます。やっぱり、俺には穗さんが必要だっ。
 お昼食べて皆にお土産買ったら、早速帰って今の推理、話してみますよ。
 多分、「推測を立てるのは僕の役割だ」って、言われちゃいそうですけどね~。」
 と、サダノブは笑った。
「今の黒影さんの似ていない物真似の方が𠮟られますよ。」
 穗は余りの似ていなさに、笑いを堪えるのに必死だった。

 ――――――――――――――

「折角の穗さんとの時間に先に調べに行ってくれて大変嬉しいが……推測を立てるのは僕の仕事だ。ちゃんとフィアンセ奉仕してこいと言って時間を空けたのに、ちゃんと穗さんには満足してもらえたのか?」
 と、黒影はやはりサダノブの予想道理の答えを含めて、そう言った。
「先輩!俺、早く思考読み制御出来るようにしますからっ!」
 サダノブは聞いてか聞いていまいか、そんな事を話し始めた。
「お前なぁ~、聞いているのか、ポチ。」
「あっ!ポチっ!」
 黒影の言葉にサダノブがよく分からない反応をする。
「ポチどうした?……馬鹿に治ったか?」
 と、黒影はサダノブの顔色を勘繰りながら見た。
「違いますよ。最近、先輩が鳳凰陣を出したり、鳳凰の力よりも影ばかり、極端に使うからじゃないですか?
 思考読みがあるから、鳳凰の暴走を止めるリミッターが解除したんです。
 その後からですよ、妙に思考読みも範囲が拡大したの。
 先輩が鳳凰の力をもっと有意義に使えば、その狛犬の俺のバランスも整うんじゃないんですか?」
 と、サダノブが言うので、黒影はムッとしながら、
「こんな殺伐とした街で使ったら忽ち大火事だよ。イギリスに来て切り裂きジャックに間違えられて、今度は放火犯で捕まれと言うのか?
 それに、僕は放火が一番大嫌いな犯罪だと言う事を、お前が一番良く知っているだろう?
 黒影は今更何だと言いたげに話した。
「先輩……。怖いんだ。幻炎だってあるのに。あの宿泊ビル建設前にあった宿を燃やして、現行犯逮捕にわざとなって留置場を調べに行ってから何か変だ。
 例え捜査に必要な茶番劇だったとしても、後悔しているんでしょう?
 あの回る火が怖かったんでしょう?
 リミッターが外れた俺に対抗する手段もまだ見つかっていない、二重の恐怖心。
 だから、狛犬も鳳凰も信じない。違いますか?」
 サダノブは揶揄うでもなく、真面目に黒影に言うではないか。
「僕がそんなビビりだって言いたいのかっ!必要な時に必要な技を使っているだけだ!
 何も考えないで言われた通りで何とかなる、お前と違うんだよっ!」
 黒影は妙に考えを読まれたようで頭にきている。
「幾ら先輩が鳳凰でも、そんな言い方しなくたってっ!!」
 サダノブも流石に「言われた通りで何とかなる」には頭に血が昇ってきた。
 丁度其処に何も知らない風柳が戻ってきた。
「おぃ、どうしたんだ、二人共。そんなに大声で。」
 と、言ったが時すでに遅しである。
「幻炎……十方位鳳凰連斬!(じゅぽういほうれんざん)……解陣っ!」
  黒影が何と家の中で、しかもサダノブ相手に鳳凰陣を出したではないか。
「ちょっと、二人共!喧嘩なら外でやりなさいっ!」
 と、風柳は慌てて言った。
 二人は一歩も譲らず見合って、物凄い殺気を放っている。
風柳の言葉と白雪が危険なので、黒影は漆黒のロングコートに真っ赤な炎を纏わせ、庭へ走り出しながら、
「朱雀炎翼臨(すざくえんよくりん)!」
 と、鳳凰の翼をかえさずに、朱雀の大きな炎の翼を呼び出す。朱雀は唯一の攻撃術を使うのだ。
 黒影はどうやら本気らしい。更に、
「朱雀魔封天楼壁(すざくまふうてんろうへき)……現斬(げんざん)!」
 と、朱雀の光を纏う炎の邪気のある者の四方を取り囲み、魔を封じる結界を張る。
 朱雀唯一の対魔用浄化を唱えるではないか。
 サダノブをこれで囲ったところで、浄化しようって訳ではない。
 幾ら狛犬のサダノブでも、朱雀の炎は強すぎて突破し辛く、氷も放ち辛い。
 その外で、朱雀剣を持った黒影が怒りに満ちて、仁王立ちしている訳だ。
 サダノブにもそれは安易に予測出来る。
 長年共に戦ってきたからこそ、手に取るように分かる。
 黒影は地を蹴り思いっきり飛んだ。
 こうなると、サダノブが出てくるのは朱雀魔封天楼壁で補えない上からだとふんだからだ。
 サダノブはやはり氷で足元を隆起させ勢いで突っ込んできた。
 其処をつかさず黒影が、上から叩き落すように炎の渦巻く朱雀剣を宙から振り落とし、熱風を巻いた竜巻で地面に叩き落とした。
「お前の鳳凰様はご乱心の様だが、朱雀ではリミッターが外れないようだな。狛犬の守護としてはまだまだの様に思えるが?」
 と、黒影はサダノブを嘲笑う様に言うのだ。
「鳳凰陣は家の中だし、卑怯ですよっ!」
 これでは氷の弓矢も打てないとサダノブは文句を言う。
「本気で倒しに来いよ。」
 黒影はそう飛びながら煽るだけで、見下した視線を送ってくる。
「今、絶対無能だと思っていますよねぇ?でも、これならどうですかね。」
 サダノブはニヤリと笑って直立不動で黒影を見上げる。

 黒影の目の前の景色が変わる。

 ……これは……サダノブと出逢った頃の記憶。
 井戸の中からサダノブを救い出したのは、紛れもない黒影だったのに、脳裏に浮かぶ景色は真逆になっている。
 井戸の中に落ちかけているのは黒影で、サダノブが救おうと腕を取っている。

「……先輩……守護、本当に要らないんですか?」
 サダノブがニヤリと笑って目は表情も無く言うのだ。
「どうせ幻覚だろう?人の頭からとっとと出ていけっ!」
 黒影は思考読みを使うなど卑怯だと言いたそうに、意識を保とうとする。
「じゃあ、鳳凰になって下さいよ、ちゃんと。この悲しい街に、他に何をするんです?
 悲しんで苦しんだって、誰も喜びはしないじゃないですか。先輩が祈らないのならば、誰が望むと言うのですか。
 職務放棄はいけないって……先輩、良く言うじゃあありませんか。
 俺……気付いちゃったんですよ。
 人々が望まなくても鳳凰は存在する。
 けれどね、先輩……リミッターが外れた時に分かったんですよ。
 鳳凰付きの俺が、あのまま先輩を救わなければこの世にまた新しい鳳凰が誕生するんだって。」
 と、サダノブは悔し紛れにそんな事を言う。
「じゃあ、僕はその器じゃないようだ。その始末までお前がするのか?
 ならば鳳凰等狛犬の道具に過ぎん。このまま大人しく始末をされるだと?
 馬鹿馬鹿しい。僕は僕の意思でしか動かないと何度も言ったよなっ!」
  そう言いながら黒影は朱雀の翼を何故か解除してしまう。
 「読むなよ……。」
  黒影はその一言だけ言ってサダノブの腕に嚙みついた。
  思考の中で死ぬ事を選んだって言うのか?!
「先輩!先輩っ――――――――っ!ただの喧嘩でしょう?!」
 サダノブは焦って黒影の思考を読む。


 ……僕は読むなと言ったんだ。忠犬には程遠いな……。

 僕が思考能力の中で死ねば、お前はリミッターを制御出来るようになる。

  切り裂きジャックは恐らく、とんでもない天才で人の思考等、能力を使わずとも洗脳する。

 お前にかけたんだ。……頼んだよ、サダノブ……。

「駄目だ!駄目だ駄目だ駄目だっ!!……他に俺の守るべき鳳凰はいないっ!!」
 サダノブは必死で落ちていく黒影を止めようと、頭をフル回転させる。
「先輩の犠牲なんか要らないっ!そんなもの無くても、俺は、守りたい物を守るっ!」
 と、サダノブは叫びリミッター解除し、井戸に落ちていく黒影をあの氷のリングで井戸の側面に吊し上げた。
  早くいかないと、酸欠になる!
 しかも此処は思考領域。急いで黒影の高さまで氷を張り、体重に引っ張られないようにした。

 ……俺、どうしよう。こんなに自分を信じてくれる鳳凰にはもう、出会えないかも知れないのに……。
 意識が中々戻らない。咄嗟でやり過ぎたかみ知れない。もし……後遺症でも、能に残ってしまったら。
 探偵にとって、先輩にとって如何に能が大切か分かっていたのに。
 その脳は、沢山の人々を既に救ってきたのに。
 何故……こんなところに来て、疑ってしまったのだろう。
 サダノブは狛犬の阿行と吽行になり、そのまま落下しては危険なので二体で合体し、ジャンプ力のある野犬に姿を変えた。
 野犬はガリガリと黒影の両手両足、首を固定する氷を齧って外そうとする。
 だが、リミッター技は早々簡単に解けてはくれない。

「……サダ……ノブ……良いから離れろ、元の姿に……戻っておけ。」
 苦しそうに白い息を吐きながら黒影は、金目の野犬の頭を撫でながら、力無く言った。
「先輩……思考能力を制御させる為に、わざとこんな事をっ!」
 姿を戻したサダノブは嘆く様に、痛切に黒影に問う。
「そんな顔をするな……。間抜けっ面。……クロ……セル……来いっ!」
 黒影はそう言って、飼いならした堕天使クロセルを呼んだ。
「そうか、クロセルなら水の温度を自由に変えられる。量もだ。このまま氷を溶かして浮上させれば……ってあれ?」
 そこでサダノブは不安に思う。
「クロセルって思考の中まで入れますかね?」
 と、サダノブは何時もの馬鹿にすっかり戻っていた。
 「出来るよ……。誰よりも人の思考や心の隙に滑り込むのが好きなんだからな、悪魔は。それにクロセルは元、脳天使だ。」
 と、黒影は声を枯らしながら答える。

4 生存率

「良くも主をっ!サダノブっ!」
 クロセルは黒い羽根を広げて目覚めると、主に「お早う御座います」の挨拶も言わず、その主の姿を見て何にも溶かされないと言う伝説の氷の剣を持って、サダノブに怒りを露にする。
「クロセル、今は一時休戦。苦しいんだ。これを早く取ってくれないか。」
 と、黒影は相変わらず擦れた小さな声で、クロセルに命令を出す。
 クロセルは、
「直ぐに楽になります。主、剣を向ける事をお許し下さい。」
 一礼すると剣を構えた。
 何にも溶かされない氷の剣は、即ちサダノブの氷より硬い。
 高温の湯で溶かす事も出来るが、火傷をする様な高温になってしまうのだ。
「それで良い。」
 黒影も同じ事を考えていたのでそう答えた。
「では……失礼致しましす。」
 まるでクロセルの剣が包丁の様に、サダノブのリミッターの氷の輪を割って行く。
 全て外れると、黒影は気管支をやられたのかヒューヒューと喉を鳴らして、ぐったりしている。
 クロセルはその長く美しい銀髪を、黒影の頬に落とし、抱きかかえる。
「サダノブの思考の中ですね。リミッターを主に掛けるとは、クロセルにとっても敵。」
 と、クロセルは黒衣を靡かせ、黒影を抱えたままサダノブを見下ろし、じっと金の猫目で見ている。
「違うよ。先輩が思考能力制御の為に、態々リミッターを外すような事をしたんだ。」
 と、サダノブはクロセルを怒らせてはいけないと、慌てて事情を説明する。
「それでサダノブが悪く無いとでも言いたいのですか?こんな主に無茶をさせたのは、己の力も制御出来なかったサダノブの所為。我は先に、白雪様に主をお渡しし病院へ連れて行ってもらいます。
 今後、思考能力の成長がある度に、主をこんな目に合わせるのならば、このクロセルがお相手する。覚えておいて下さい。」
 そう言うなり思考能力の中だと言うのに、そこはやはり堕天使なのか平気で飛んですり抜けて行った。
「俺……何、やってんだ……。」
 サダノブは己の手を見てゆっくりと握り、言った。
 クロセルよりも誰よりも、守るべき事を見失ってしまった自分が情けない。

 ――――――――――――――――

「あっ……先輩。」
 サダノブは病院で黒影の姿を見つけると、過ぐに声を掛けた。
「あぁ、お待たせ。元から気管支は少し狭いんだ。サダノブが気にする事じゃない。吸入器ももらったし、点滴も軽く打って貰ったから、もう大丈夫だよ。」
 黒影は何時もの様に微笑む。
「ほらね。大丈夫だって言ったじゃない。」
 白雪は水筒から珈琲をコップに出して、黒影に渡す。
「本当は珈琲より、さ湯かお水が良いんでしょうけれど、特別ね。」
 白雪がそう言って微笑むと、黒影も微笑む。
 何も変わらない……何時もの景色に見える。
「ところで風柳さん。あの僕達が捕まえたギャング、何か話しましたか。」
 黒影はもう事件の話をするではないか。
「ああ、大手柄だよ。かなりの幹部だった。もう隠しても仕方ないと思ったんだろうな。ホワイトチャペル殺人鬼事件の1件めの指名手配犯の事を話してくれて、その後鼠の尻尾切りには過ぎないが、指名手配犯が自ら投降して来たよ。」
 と、ご機嫌そうに答えた。
「ボスも割の合わない仕事には興味が無くなったみたいですね。」
 黒影はこれで暫くかギャングも大人しくなるだろうと安堵する。
 白雪が午前中にあった事を風柳に話しておいたと言う。
 すると、サダノブもああそうだと、
「先輩、実は午後に行く予定だった現場、穗さんと途中だからって、ついでに見に行ったんですよ。」
 と、サダノブは思い出して話した。
「空白の30分、二人で殺せば可能か。被害者の元夫と目撃者のセファアの関係を調べる必要がありそうだ。時の意思との関係があるかどうかもだな。」

 ――――――――――――――
「ゲームをしようよ。」
 パブである男が目撃者となるセフィアに話しかけた。
「なぁ~に、どんなゲーム?」
 と、客になりそうだったので、セフィアはその男の話を酒を飲みながら、面白そうだわと興味深そうに聞く。
「実は今日、仕事でとても我慢ならない事があったんだ。でね、僕はボクシングなんか血の気の多いものを観戦するのが大好きなんだけれど、もっと危機迫った……なんと言うかな、コロシアムの様なものが見てみたいのだよ。」
 と、言うではないか。
「まぁ、とってもスリリングだけれど、危険だわ」
 と、セフィアは返した。
「まぁ、スポーツの域を超えないよ。僕はね、こう見えてもそこそこの育ちなんだ。金なら幾らでもある。けれど、スリリングなもの一つ観られらない詰まらない人生だよ。」
 と、その男は哀愁を漂わせて言ったのだ。
 日常に疲れ果ててスリリングを求めるなんてよくある話し。
 けれど、求めたところで何もできやしないのが日常ってものだと、セフィアは思う。
「君はさっき宿を追い出されたんだろう?その時、丁度外を歩いていたんだよ。
 僕の妻には昔逃げられてしまってね。その挙句に娼婦になちまった。それじゃあ親戚にも顔向けできない。」
 と、男は言うのだ。
「あら、じゃあ迎えにきたの?いいわねぇ、迎えに来てくれる旦那様がいるなんて、羨ましいわ。」
 と、セフィアは言ったのだ。……が、
「本当は誰でも良いんだ。妻が死んで再婚したって言えば、周囲は納得して喜んでくれるのだから。」
 と、男は言うのだ。
「まぁ、一度は全て捨てて娼婦になったのだから仕方ないわ。皆、そんなものよ。」
 と、セフィアは男に言う。
「もし、関係は好きにしていいから、僕と結婚して自由な金も家も手に入る。僕は体裁が守れるとしたら、ゲームに協力してくれるかい?」
 男はそう言うではないか。そんなに顔も悪くはない。清潔そうな男。悪い話しどころか、急に舞い降りてきたラッキーの様に思えた。
「どうして私なの?娼婦ならいっぱいいるわ。それに、貴方、切り裂きジャックじゃないでしょうね。皆怖がって警戒しているの。私だってそうだわ。」
 セフィアは悪い冗談ならよしてと言わんばかりに、酒をクイッと飲んだ。
「そうさ切り裂きジャックごっこをするんだよ。今流行りのね。賞金は一生分の自由な金と住まいに、浮気もござれ。体裁だけ守ってくれればそれで良いんだ。
 僕はこれから元妻に頭を下げに行くつもりだったが、どうも納得がいかない。
 病気の子供が死に、一人は障害を持っている。ショックで飲んだくれたよ。
 でも、元妻もそうだ。僕は逃げなかったが妻だけ子供からも、僕からも逃げたんだ。
 やるせないよ。」
 と男は言うのだ。
「まぁ、それは可哀想に。今、お子さんの世話は?」
 と、セフィアが聞くと男は、
「妻に帰ってきて貰う為に使用人を雇っているよ。」
 と、悲しそうにその男は話すではないか。
「君はこうやって話している間も、僕に敬意をはらってくれるし、言葉の端々に優しさを感じられる。だからこそ、このゲームの参加者に相応しい。」
 と言うのだ。
「そもそもゲームってなんなの?」
「僕のさっき言っていたコロシアムさ。」
 と男は言うではないか。
「えっ?まさか元の奥さんと殺し合いでもするつもり?酔ったからって……。」
 セフィアは小声で男を止めようとした。
「違うよ。僕じゃあ力の差がありすぎて勝負といえないじゃないか。
 君と僕の元妻で勝負して欲しいんだ。
 それならば、力の加減も女同士で安心だろう?
 それに、僕は君にオッズをかけるよ。
 どうだい?悪い話じゃないだろう。
 娼婦からの脱出をかけたゲームさ。」
 と、笑いながら酒を煽った。
「悪くはない話ね。でも、警察が来たらどうするの?」
 とセフィアは聞いた。
「そんなの、客の取り合いをしていたと言えば良いんだよ。」
「なる程ねぇ~。」
 と、セフィアは納得してしまった。
 本当の男の思惑も知らずに……。

  ――――――――――――――――――――
「ほら、彼女がそうさ。」
 と、小声で男はセフィアに言った。
 暫く尾行し、セフィアはわざと被害者に声を掛けて油断させる作戦に出た。
 そして、5時半になる。
「お久しぶり。君に悪かったと思って探していたんだよ。少しだけでも話を聞いてくれないか。ここじゃあ冷えるだろう?せめて温かい所にでも「どう?」」
  と、男は聞いた。
 被害者となるミンストンは「いいわ。」
 と、少しだけならと、付いて行こうとする。
 その途中でコロシアムは始まった。
「ちょっと、私も待っていたのに二人でなんて狡いじゃない!」
 と、セフィアがミンストンの顔面に殴り掛かった。
「何をするの?!顔は商売道具みたいなものじゃない!」
 ミンストンも食って掛かってくる。
 そして、二人は醜い女の闘いを繰り広げ始めたのだ。
 男はそれを見て大いに笑い、二人に野次を飛ばす。
 だがこの闘いは出来レース。
 2人が躍起になって丁度階段の下に逃げ込んだ時、男は元妻を後ろから羽交い絞めにした。
「幸せを捨てたあんたなんかに分かるもんですかっ!私は幸せを逃したりしないっ!あんたと違うのよっ!」
 そう言って夢中でセフィアはミンストンの顔面ばかりを殴った。
 すると、どれか一発が当たり所があまり良くなかったのか、ミンストンが脳震盪を起こして倒れる。
「どう?これで私の勝ちでしょう?貴方の妻にしてくれるわね。」
 セフィアは息を切らせながら満足そうに言った。
「そりゃあ勿論。ただ、これはちょっとやり過ぎた。そうだ、やはり切り裂きジャックの所為にしてしまおう。」
  そう言うなり、階段付近で倒れたミンストンに、その男は更に顔が判別出来ない程殴り、喉を搔っ切った。
「こんな事もあろうと、新聞でよく読んでおいたんだ。切り裂きジャックがどんな切り方をするか。君は周りを見張っていてくれないか。人がきたら、裏庭か階段の影に隠れよう。
「この娼婦なんかになりやがって!子供もいるのに!どれだけ僕の自尊心を踏みにじった事か!」
 男はありとあらゆる今迄の復讐を口にしながら、
 ザクザク、ねちゃりねちゃりと音を立ててミンストンを切って行った。
 セフィアにもその音が聞こえていたが、恐ろしくて振り向く事も出来ない。
 周囲を額に冷や汗を滲ませながら警戒するだけで、頭が真っ白だ。
「ああ、そうだ。君も既に共犯者だからね。適当な目撃証言をして事件を攪乱させよう。……さぁ!勝利に最後の一刺しをどうぞ。僕の新しき、優秀な妻よ。」
 と、男は笑って血まみれの刃物を渡した。
 ミンストンはその時、振り返り被害者の惨劇となったご遺体を見た。
 余りの恐怖に逆らう事なんか出来ないと思い、目を閉じて一気に刃物を振り下ろす。
「……上手じゃないか。なかなかスリリングで、僕ら気が合いそうだよ。」
 男はそう言って笑い、裏庭のホースで堂々と返り血を流した。
 しかも、ミンストンにはハンカチーフまで差し出し、
「お疲れ様。これを使うと良いよ。夫婦になった記念に大切にしよう。さぁ、我が家に帰ろう。」
 と、微笑んで言うではないか。
 ――――――――――――――――――――

 あれから偽装夫婦の関係は何一つ問題ない。
 それどころか、その男はミンストンには特別優しく接した。
 何処からどう見てもおしどり夫婦と呼ばれたが、ミンストンはまだ恐怖の中にいる。
 目撃証言をした時も、噓では無く、あえて本当の事を話した。

 …………誰か……気付いて…………。

 そう願っていたからだ。
 だが、それも虚しく誰も目撃証言を、まさか夫だとは気付いてはくれない。
 それもその筈だ。
 夫ならば、背格好や時間、会話よりも夫を見たと言えば良いのだから。証言をすればする程こんな協力的な人の夫な訳はないと思われてしまっていた。
 夫はそんなミンストンに、
「君は素直で聡明な人だ。ああ言えば、僕じゃないと皆が思ってくれると考えて証言してくれたんだね。聡明な妻は今ある幸せを大切にしてくれる。僕は君に感謝をしなくてはね。」
 と、幸せそうに微笑んだ。
 それはまだ元妻が亡くなったばかりの、月命日の事である。
 葬儀にはわんわん泣き、何でこんな姿にと切り裂きジャックへの怒りを露にしていた。
 そう、まるで別人の様に……。
 時々この偽物の幸せに、夫と出逢ったあの日……何もなかったんじゃないか。
 そう、思いたくなるのだ。
 夢と現実が分からなくなりそうで、時々妙に……自分すら恐ろしくなる。
 無かったと思えたならば、もっと楽に生きられるともう一人の自分が、心の中で喚き言うのだ。
 あの日、断っていたら殺されていたのは自分だったかも知れない。

 ……生存率1/2に私は勝ったのだ。

 それだけが、今の私に残ったたった一つの誇りになっていたのかも知れない。
 あの日のデス・ゲームに私は生き残ったのだ。

🔸次の↓「黒影紳士」親愛なる切り裂きジャック様 五幕 第三章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

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泪澄  黒烏
お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。