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「黒影紳士」親愛なる切り裂きジャック様5〜大人の壁、突破編〜🎩第三章 5幸せ 6動き

5幸せ

 「すみません、セファア夫人はいらっしゃいますでしょうか。こちら風柳と申しますが、何度も申し訳ありませんが、なかなか切り裂きジャックが見当たりませんでね。もう一度詳しく目撃情報を聞かせて頂けませんか。」
 と、風柳は警察手帳を見せた。
「僕はまだ新米の見習いです。お手柔らかにお願いしますよ。」
 と、黒影はいつも通り、ちゃっかり手帳も持っていないのだから見せずに微笑んだ。
 ☆☆☆☆☆☆

「……で、ですね、かなり詳細に証言して頂いて本当に助かります。」
 と、風柳が言うと、黒影はすかさず、
「そうなんですよ。特にね、40代過ぎ、背が高い、茶色の鹿打ち帽なんかは特に特徴を抑えていますし、暗いオーバーコート、黒髪なんて言う詳細な情報は今迄出ませんでしたからね。」
 そう言いながら感心している。
「偶然ですよ……。」
 セファアは何処か儚げにそう答える。
「それにしても、ご無事で良かった。茶色や黒が見分けられる程近くにいたって事は、危うく切り裂きジャックの標的にされるところでしたよ。……で、気になっていたのですが、それだけ近くで他は確認出来ているのですから、この「暗い色のオーバーコート」について、もう少し思い出して頂きたいのです。
 暗い色は、どちらかと言うと茶系か、灰色寄りか。それとも何とも言えない間のチャコールグレーだったのですかね。
 黒も茶色も見極められたのだから、どうでしょう?思い出せませんか。」
 その時、セファアはちらりとコート掛けを見たのを、黒影は見逃さなかった。
 一番上の丸い所に茶色い鹿打ち帽がある。
「旦那様とは何時から?」
 黒影は何気なく聞いた。
「確か……9月頃に入籍致しました。」
「へぇ~、じゃあ事件を目撃された頃あいですね。そんな人生最大の幸福な時に、災難でしたね。」
 ちっともそんな風に思っていないが、黒影は一応そう言うのだ。
 そして庭を見た。夫と子供が柔らかい日差しの下、遊んでいる。
「……平和な景色だ……。」
 子供の無垢な笑顔を見ていると、そう自然に口にしたのも無理はなかった。
「……背が高い。……黒髪ですね。……何で夫にそっくりだと言わなかったのですか?そう思いたくなかったと言う事なのですか?
 随分近距離で目撃されていたようだ。僕から見たら、貴方も十分容疑者なのですよ。それに旦那様もね。
 あの日、二人で何をしたかを話して下さい。
 僕は想像はしない。目に見える物しか信じてはならぬ者だ。
 疑うだけで見失った、今迄来た奴らとはちょっと違いますよ。
 この生活を捨て、人であるか。捨てずに人ならざる者として生きるかは、貴方次第です。
 ただ、貴方は噓偽りのない証言をした。だから迎えに来たのです。貴方自身の人生に、一番納得出来ていないのは貴方だ。僕は二度と此処へは来ない。よく考えて、決断下さい。」
 黒影そうは言って椅子の体制を少しだけ崩して、ゆっくり待つ構えとなった。
「こんな幸せを夢に見ていました。けれど、どうしてでしょう?私はあれからずっと夫も優しく、子供達は可愛らしく、使用人は丁寧で頼りがいもある、何一つ文句の無い人生を歩んでいました。
 ただ、あの証言を取り下げれば、なんの気掛かりも無くこの幸せに甘んじて行ける筈なのに、それがどうしても出来なかった。それが何故なのか、自分でも分かりませんの。」
 と、庭先の幸福を食い入るように眺め、セファアは悲しげに言うのだ。
「それは簡単な事、至極真っ当な答えがあるのですよ。
 一瞬で手に入れた幸せには、一瞬程の価値しかないっ!
 殊更、誰かから奪ったものだから、何時まで経っても自分の物にはならないっ!
 良いですか。良く聞いて下さい。
 自分の幸福は自分が決めるものなのです!世間一般の地位や名誉も関係なく。
 恐怖に怯え、誰かの亡骸の上に立つ此れの、何処が幸せだって言うのですかっ!
 だから虚しいのですよ。だからどんな幸福を見ても切ない瞳を向けるだけ。
 セファアさん、貴方は貴方としてだけ生き、貴方の幸せを追求する権利がある!
 例え誰かを殺めたとしても、生きているのだから!貴方の人生をやり直せるのは貴方なんですよ!
 9月8日から止まったままの時間を動かして下さい!」
 黒影は真っ直ぐセファアの目を見て、必死に言った。
 この事件を唯一全て知り、話そうとしていた彼女をみすみす見逃す事はしまい。
 此処で遠慮したって、彼女の本心は喜ばないのだ。
 見逃しでもしようものならば、彼女は絶望へと歩み始めるだろう。
 救いはしない。……だが、見捨てもしない。それは、出来る限り黒影が探偵として出来る事ではないかと、思う。
 探偵は裁きはしない。ならば、それだけが許された自由なのかも知れない。

 そして、風柳に連れられて、セファアは全て自供した。
 そして、セファアの夫も緊急逮捕となった。
 子供は親戚に預けられたと聞いた。どんな人生を歩むかは分からないが、それこそ自らの選ぶ幸せを見つけて欲しいと黒影は願う事しか出来ない。

 ――――――――――――――

「あれ?先輩は?」
 サダノブが黒影の姿が見えないので、白雪に聞いた。
「修行ですって。」
 と、白雪はミルクたっぷりのロイヤルミルクティーに舌鼓を打ち答える。
「何時も誰も知らないうちにコソ連(こそこそ練習)しているのに、珍しいですね。」
 サダノブは冷たい日本から持って来て貰った緑茶を飲み言った。
「サダノブは一緒じゃないのね。狛犬なのに。……黒影の修行だとか鍛錬って何をしているのかしらん?」
 白雪は不思議になって言う。
「滝行だったら風邪引いて帰ってきますもんね。鳳凰のは、三途の川の前辺りで古い経の書物を読んで、実践したりしているらしいですよ。だから、馬鹿な俺が行っても珍紛漢紛だし、まず鳳凰しか其処には行けないんですよ。
 俺が行ったら間違えて三途の川からあの世行きになっちゃいます。」
 と、サダノブは苦笑いをした。
「へぇ~勉強熱心だ事。」

 そんな二人の会話が聞こえていたかどうだかは分からないが、黒影は美しく蓮の花が咲き誇る三途の川の前で佇んでいた。
 本当は修行をしていたわけでは無い。
 三途の川に己の姿を映すと、鳳凰の姿になって水面に揺れた。
 ホワイトチャペルの禍々しい気にやられたのもあるが、其処に住む人々の平和を祈りに来た。
 1888年10月 ロンドン警視庁調べでは62の売春宿と、1200人の娼婦が確認される。
 簡易的宿泊所には毎晩8,500人が宿泊。
 一泊シングル4ペンス。寮に張られたロープ「リーン・トゥ」で一人一ペンス。
 それさえ払えずに追い出された者が、街中をうろつき犯罪の餌食となる。
 この街には平等が……程遠く見えない。
 だから、切り裂きジャックは動いた。きっとこの街の為に。
 でも、黒影はそれがどうしても許せない。
 平和の心を持とうとしても、許せなかった。

 ……じゃあ、鳳凰である己がどうあるべきか……それを静かに考えたくて此処に来たのだ。
 肩には黒影を鳳凰にした、先代の鳳凰の鳳(ほう※鳳凰の雄)が、心配そうに黒影の肩に乗り、く~んと鳴いた。
「僕じゃあ、役不足だろうか。」
 鳳は話せないと分かっているのに、気が通じている気がして黒影は鳳に聞いた。
 鳳はバサバサッと翼を広げて、黒影の腰ベルトから出ていた銀のサーベルを引っ張る。
「ん?何だ?」
 黒影は鳳がサーベルを使えと言っているように思える。
 仕方なく、黒影はサーベルを取り出した。
 すると、鳳が剣先に沿って息を吹きかけている。
「鳳?」
 黒影には鳳が何をしているのかが、全く分からなかったが、剣に沿って鳳凰の赤炎が揺れていた。
 何と無くそれで宙を切ってみると、一瞬見慣れた鳳凰陣の一部が見えたのだ。
「鳳!……まさか、此れは!?」
 それは鳳から、元気のない黒影へのプレゼントだった。
 何の奥義でもないが、途轍もなく便利なもの。
 黒影は立ち上がり、剣を一周回す。
 みるみるうちに、十方位鳳連斬が出来上がり、尚且つ剣先の炎も使えそうだ。
 普段よりも一回り小さめの鳳凰陣ではあるが、咄嗟の時に使えそうだ。
「ありがとう、鳳。」
 そう言って黒影が鳳を撫でると、鳳も満更でもない様な顔をするので、黒影は思わず微笑む。
 これならば街の火事に心配しなくとも、ある程度鳳凰技も出せそうだ。

 そう言えばサダノブが言っていた。
 鳳凰の力が降り注ぐ程、その街は平和で平等に近付き、狛犬のサダノブにも良い影響を与えると。

「異国の地でも、鳳凰……頑張りますか。」

 そう呟くと、黒影は静かなる祈禱を始めた。

 報われない人々、報われない祈り、報われない魂に降り注ぐ、命の炎よ
 平和と平等に鎮まり給え。

 ☆☆☆☆☆☆
 黒影がイギリスに戻ると実に不思議な事が起こっていた。
「あっ、お帰りなさい、黒影。あのね、黒影がそろそろ戻ってくるんじゃないかと、珈琲を見たら賞味期限が切れちゃっていたのよ。
 しかもね、冷蔵庫の中身も確認したら、全部ダメになっちゃっているじゃない。
 最近買ったばかりなのに、変じゃない?」
 と、白雪が慌てて聞いてきたのだ。
「そうそう、お茶も急に味が落ちて……危うく全部飲み切るところでしたよ。」
 と、サダノブまで言うではないか。
 黒影は暫く考え自室に戻ると、時夢来(とむらい)の本を持って戻ってくる。
 頁のくり抜きに懐中時計をはめて、次の事件を見ようとしているみたいだ。
「やっぱりな……。」
 黒影は何かに納得して言った。
「やっぱりって?」
「先輩、どういうことですか?」
 黒影は背伸びをしながら笑顔言った。
「コンプリートだよっ!1888年の過去の事件は全て解明したっ!後3件は今後起こる、1889年なんだ。一番早い事件が1889年7月17日。白雪、カレンダーを見てくれないか?」
 と、黒影は白雪にお願いした。
 白雪はパニエ入りの白いスカートをふわふわさせながら、カレンダーを見に行くと、不思議に思って首を傾げる。
「あら、本当だわ。1889年の……今日は7月1日になっているわね。」
 白雪がそう答えると、
「あれ?何で今日が何時って分かるんですか?」
 と、サダノブまで首を傾げる。
「だって此処にほら、丁寧に書いてあるもの。赤ペンで丸して「今日は此処だよ」って。」
 白雪はカレンダーのその赤丸を指差して笑った。
 こんな事をするのは……あの人しかいないから。
「ねぇ?創世神さん。冷蔵庫の中身も考えて欲しかったわ。」
 と、白雪は上を見て声を掛けているようだった。

『←(創世神専用)そうだった。それを忘れていたよ。あの後、主だった事件は一時収まるんだ。だからその間に、じゃあ切り裂きジャック以外で……って訳にも行かないからね。少しだけ時間を早めておいたよ。あっ、そうだ……日本に戻るのは大変だよね。今、落とすから。テーブルの真ん中開けといて。(ガシャンガシャ……どんがらがっしゃん)あっ!あった!』

 創世神が急に言うので、慌てて黒影はテーブルの真ん中の花瓶を抱えた。

『は~い♪これで良いよね。冷蔵庫の中身は悪いんだけど、現地調達またしてね~。じゃあ、後三件気合い入れて頑張り給え!健闘を祈るっ!』

 そう言うと、創世神は音声を切ったようだ。
 バサバサッと、大量の珈琲と緑茶と煎茶がテーブルの真ん中に落っこちてきた。
「こっちは想定内だったわけか。」
 と、黒影は苦笑する。
「それにしても、もう少し休ませてくれても良いのに……。17までに次の事件を止めないといけないんですよね?」
 サダノブは相変わらず余裕のないスタートだと、言う。
「否、あの人の割には余裕を持たせてくれたよ。二日で解決なんて夢探偵なら何時もの事じゃあないか。何なら当日解決もあったよ。それに、あの人は毎日だ。例え具合が悪くても少しでも書けたら、僕らを記録し続けている。こっちが文句は言えないよ。」
 黒影はそう言って朗らかに笑った。
「そう言う働き方?今、どうかと思いますけどね。全然カッコ良くないですからっ!何時ウチも働き方改革導入するんですかぁ?先輩なんか、万年過労予備軍じゃないですか~?」
 サダノブは膨れっ面をして言うのだ。
「それこそ、創世神と直談判すればいい。僕は事件が何時でも起こるからこうなんだ。それを不満に思った事はないよ。それより出遅れて、解決出来た筈の事件を解決出来なかった方が、フラストレーションが溜まって良くない。」
 と、黒影は答える。
「それよりもさぁ~。」
 と、黒影が悪だくみでもしているように小声でサダノブに話し掛けるではないか。
「何ですか?先輩?」
 サダノブは不思議そうに聞いた。
「風柳さん帰ってきたら、英語の事件単語のテストしてもらおうよ。」
 黒影がそう笑って言う。
「約半年ですか。変わらなかったりして。」
 と、サダノブは想像して一緒になって笑うのであった。

6 動き

 1889年7月1日の新聞と、買い出しに行って黒影と白雪は帰ってくる。
 サダノブは早速、帰って来ていた風柳さんと「事件英単語テスト」をしているようだ。
 サダノブが爆笑していたので、結果は目に見えている。
 次に起こる事件は7月17日である。
 先程、時夢来と呼ばれる黒影の予知能力を反映したものは、殺害された直後と犯人の様子を影で映し出していた。
 黒影の夢の中でも予知夢は影でしかないのだから、それ以上の鮮明さや詳細までは見る事は出来ない。
 傷口は影で見えなかったが、黒影が未来から持ってきていた、ご遺体状況の資料を参考に出来る。
 過ぎてしまった事件よりも、未来の事件を止められるとあれば、黒影も身が引き締まる思いだ。
 幾分か、心も晴れやかである。
 黒影は白雪の淹れてきてくれた珈琲を飲んで、17日に備え、資料を見ていた。(著者も同じ事をしている。)

「さぁ、1889年にも慣れてきたし、作戦会議と行こうか。今回は過ぎた事件ではない、ホワイトチャペル殺人鬼事件残り3件。意地でも僕らで食い止めるぞ!」
 黒影は新たに気合いを入れ直し、テーブルに大きな紙を広げて、資料を並べ始めた。
 サダノブと風柳、白雪もテーブルを見ている。
 ご遺体の写真は念の為に裏返しに置いた。

 次の被害者予定の人物の名前はキャロル。

 ご遺体発見場所はホワイトチャペルのキャッスル・アリーだ。真夜過ぎに発見された。

 ご遺体状況は、切り裂きジャック事件の多くに共通する、首に二つの刺し傷。これは切り裂きジャックの犯行に見せかけた可能性があるのも視野に入れておきたい。
 左頸動脈に関しては切れている程、力を込めたようだな。身体に幾つかの打撲痕と切り傷が確認さえている。
 特徴的な損傷箇所としては、左胸から臍にかけて、7インチの長く細い傷がある。持ち手に力をいれる事を考えると、凶器は7インチよりかは長い物だろう。
 今回に限ってこれしかと言うのもおかしいが、深い切り口も少ない、切り離していない。
 女性機能近辺も切っていない。
 全体的に見ると、首を切る切り裂きジャックの犯行に見せかけた模倣犯だと思う。
 解剖医の意見も真っ二つに分かれているがな。そもそも切り裂きジャックが存在しないのだから、何とも言えないが……。」
 と、黒影は医学的に淡々と述べた。
「あれ?先輩目撃情報は?」
 サダノブはいつもならば一緒に報告してくれる筈なのにと、忘れているんじゃないかと聞いた。
「ほぼ無しと言っても良い。この事件はかなり切り裂きジャックの犯行から遠いのでは?と思われただけあって、記録が少ないんだよ。ただ切らなかった部分が逆にヒントではないだろうか。
 女性機能周辺や腹部だ。僕が思うに……この犯人、女性ではないかな?」
 黒影はそう言った。
「もう、嫌なお話。まぁ、確かに嫉妬に狂ってとかならまだしも、流石にそこまでの理由が無かった切らないわねぇ。」
 と、嫌~な顔をしながらも、白雪も女性が犯人説には同意する。
「……これが時夢来が映し出した、犯人の特徴だが……。」
 黒影はテーブルの真ん中に時夢来の本を出し、皆に見え易くした。
「これはっ、黒影っ!」
 風柳が反応している。
「ルナ……ですよね……。」
 と、サダノブもドレスにフード付きのマントで気付いたようだ。
「生きていたようだ……。」
 そう言った黒影は、少しだけ安堵した目を浮かべる。

 ――――――――――――

 迷い込んだ水路も、少しづつ慣れて来た。
「時のあの方」は私を捨てた。
 この失敗作である私は、もう生きていて良いのかさえも分からない。
 月の見えぬ此処には、導きもない。
 このまま静かに、此処で朽ちて行くのも悪くはない。
 何人の人間を私の言葉で唆し、犯罪者にしただろう。
 それを思えば、救いなどある訳がないのだ。
 そうだ、無価値を司る凶悪な悪魔がいた。
 確か、ベリアルと言って、唯一生贄えを召喚時に必要とする悪魔だ。
 私は無価値……誰よりも。
 そうだ、あの誑かした言葉の数々も、その為に授かったこの声色も、自分が悪魔だったと思えば少し楽になれる。
「親愛なる切り裂きジャック」はまるで聖母マリアを目の前で奪い逃げて行った。
 きっと、あの「親愛なる切り裂きジャック」の目にも、あの瞬間……私が悪魔に見えていたのかも知れない。
 ……だから、救ってはくれなかったのだ。

 そんな事をルナが考えていると横の排水パイプから赤い小さなネズミの赤ちゃんの様な物が見えてきた。

 それは……胎児……。

 なんて事!まるで、昔の私を見ているみたい。親に殺され掛かった自分を。
 水の中から、ルナは胎児を救い上げた。
「可哀想にっ!……なんて無慈悲なの!産まれて来ただけだと言うのにっ!」
 そう言って涙を流しながら、何とルナはその死んだばかりの柔らかな胎児を口に入れ、食べてしまったのだ。
 生きる為に何でも食べた。草でも何でも。
 でも、この子の事は忘れない。
 私が悪魔になる為の生贄なのだから。
 ……けして無駄にはしない。貴方の憎き母親は、私が始末して上げるからね。……

 この歪んだ母性がルナを殺人鬼へと変えようとしていた。

 また切り裂きジャックの伝説を作るの。
 そうしたら、「時のあの方」は、私を見直して下さるかも知れない。

「この上からね……。」
 夜になるとルナは水路から地上へ上がる。
 月下の元、正義にも似た復讐心を持って。
 ……確かこの家だった筈……
 胎児を流した家の様子を伺った。
 ところが、誰もいない。
 せめて食糧調達だけでもして、出直そうとルナはこっそりと裏庭に回り込んで、侵入しようとした。

「不法侵入は感心出来ないな。」
 その声で、ルナはバッと振り向いた。
 黒影が立っている。肩には白梟が止まっている。横にはサダノブもいた。
 犯行時間、場所を知っていて張っていない訳がない。
「お前の願い通り逮捕しに来たよ。住人はとっくに避難させた。今度は大人しく投降してくれるね?」
 と、黒影はルナに言った。
 その言葉は妙に優しくルナの心に響いていた。

 けれど、もう失ってしまった……。
 温かい月の優しい光など、もう……要らない。
「以前、貴方と会った私とは違う……。」
 そう言うなり、ルナはまたあの迷路の様な水路へ逃げ込んだ。
 まるで其処に住まう鼠の様に、住処をするすると抜けていくではないか。
 ほんの半年……半年の間で、彼女は此処まで変わってしまった。
 以前のような優雅さは無く、毅然たる強さも無い。ただ逃げ回り、周りに牙をむく単眼の生物だった。
 サテンの美しかったロングコートの裾はボロボロに何かにひかっけた様な傷だらけで、半年間の逃亡生活の厳しさを表しているかのようだ。
 白雪が黒影の肩から白梟の姿で飛ぶ。
 黒影やサダノブもよりも、小回りがきいて早い。
「今度こそ……今度こそ捕まえてやらなくてはっ!」
 黒影は焦ってそう叫んだ。
 人に戻れない気がした。……だから。
「何て早いんすかっ!俺も野犬になります!」
 サダノブも息を切らせて追いかけた。
 二匹の狛犬から、スピードのある大きな野犬に姿を変える。
「出口があるわっ!」
 と、白雪から黒影の頭に直接、声が聞こえた。
「しまった、出られると厄介だ!朱雀炎翼臨(すざくえんよくりん)!」
 黒影は慌てて鳳凰の翼をかえさずに、朱雀の大きな炎の翼を呼び出し、その炎の強さとスピードの速い翼で、水路中央を突っ込んで行く。
 黒影が通った後には、渦を巻いた真っ赤な炎が水路いっぱいに広がった。
 ルナの黒いマントが見える。
 ……よしっ!捕らえたぞっ!……
 黒影は一瞬、勝利を確信した。
 けれど、その黒いマントはするすると上へと上がって行くではないか。
「白雪!どうなっているんだっ?!」
 黒影は先行の白雪に話しかける。
「黒影、橋よ!橋がある!」
 と、白雪から聞く。
 黒影がやや遅れて出入り口を出ると、その前には巨大な橋が掛かっていた。
 ルナはその橋の点検用梯子をするすると昇り、既にかなり上にいる。
 マントが風に吹かれて靡き、まるで蝙蝠の様に艶めいて広がった。
「よせ!もうこれ以上逃げたってっ!」
 黒影は遠く橋の上に登ったルナに、聞こえるように叫んだ。
 ルナは一瞬、黒影に振り向き一瞥すると、
「もう……戻れはしない……。」
 そう、悲しそうに小さく呟くと、必死で走り出す。

 ……さようなら。私を救ってくれようとした優しい光……。

 もう迷うこともなく網羅した、地下の水路へと、ルナは姿を消したのだった。

 ――――――――――――――
 翌日、水路を中心に捜査網が引かれた。風柳も例外なく朝から血眼になってルナの捜索にあたっている。
 何とかそれでも、ルナの行動を阻止出来たので、キャロルは17日一命をとりとめた。
 過ぎて思えば、腹を切らなかったのはキャロルが流した子供の所為だと、知らしめる為だったかも知れない。
 キャロルは黒影達が訪問する一時間ほど前に、望まなかった胎児を自らスプーンで掻き出し、水に流したと話した。

 次の事件は9月10日。
 通称、トルソー事件。こっちはかなり厄介な事案になりそうだ。
 だが、時間だけはある。まだ、予知夢で見る事も出来ないだろうが、黒影には他に会っておきたい人物がいたので丁 度良い機会とも言える。
黒影は鬼鹿毛(おにかげ)に乗り、サダノブは狛ちゃんに乗って、列車は使わずにのんびりとリバプールに向かっていた。
黒影に散々怖い目に遭わされ、自室に鍵を掛けて引き籠っている、メイブリックを尋ねるつもりだ。

「ほら、もう何もしないって。」
自室からなかなか出てこないメイブリックに黒影はドア越しに声を掛ける。
黒影があんなにメイブリックを脅したのは、大事な理由が実はあるからだ。
だからこそ、それを早く使えねばと思うところもあった。
それに、メイブリックは本星の切り裂きジャックを知る唯一の人物だ。
簡単に易々と殺される訳にはいかない。
「先輩もこう言っているんだし。何かあっても俺が止めますから。……とっても大事な話だそうですよ。」
と、サダノブも頑張って声を掛けて見る。
「何しに来たんだっ!俺はもう何も知らないっ!」
中から恐怖に声を大にして、メイブリックは言うのだ。
「はぁ~ん、じゃあ力づくの方がお好みのようだ。君も分かっての通り僕は君が嫌がっても、影でするりとこのドアから入れるが。勝手に失礼しても良いと言う事かな?」
黒影はそう言って笑った。
「サダノブ、窓から出るぞ。」
と、黒影は隣にいたサダノブに耳打ちする。
中でバタバタと慌てている音がしている。
サダノブは走って屋敷を出て外側の窓に行った。
「何だ!一体何の用だ!」
メイブリックは逃げ出そうとした窓の前で、氷を片手に構えて待つサダノブを見て言った。
「何のつもりも、話すだけだって。」
と、サダノブは窓枠にひょいとジャンプして、メイブリックを部屋の奥に追いやる。
「やあっ!お久しぶり!」
振り向きざまのメイブリックに、黒影が元気良く声を掛けて、にっこり笑った。
既に影ですり抜けて部屋に入っていたのだ。
「ひぃ~!青目!青目っ!」
と、未だに黒影の青い瞳がトラウマなのか、そう言いながら尻餅をつく。
「何?そんなにこの目が変なの?イギリスじゃあ普通だと思っていたけれど。因みに赤くもなるよ。」
黒影はそう笑いながら、メイブリックにじっと詰め寄り、目を赤くした。
メイブリックに近づいたから目が赤くなった訳でもなく、メイブリックが知っているであろう真実が知りたくて、目が赤くなったのだ。
「今日はね、君の事ではなくて君の弟の事が聞きたいのだよ。噓を付いても、その後ろの犬が嗅ぎ付けるから、素直に答えてもらおうか。もし、素直に答えてくれたら、君の人生にとって最大且つ有益な情報を聞かせると約束しよう。」
と、黒影は言い出すのだ。
「何を聞こうとしているかは分からんが、俺に黙秘権はあるのか?」
と、メイブリックが黒影に聞く。
「勿論さ。但し、黙っていても考えてしまうだけで、此方には分かる。」
黒影はそう言うと、サダノブを見て微笑んだ。
メイブリックは溜め息を付き、胡坐をその場でかき諦めたようだ。
「君が気に入らない一番下の弟は、確かフリーメイソンに入る程優秀らしいじゃないか。
秘密結社だ何だの言われているが、知識人の集まりだ。確かユダヤを神としたあの目とピラミッドの印が有名だが、ユダヤ人そのものを崇拝しているわけではない。
つまり、ホワイトチャペル周辺で頻発した移民による爆発的な人口増加に伴う貧困とは、直接的な関係があるわけではない。
君達兄弟は父親が教会関係者なのに、ある時から全く顔を出さなくなった。
まぁ、他に興味を持つ年頃になったのかも知れないし、自由意思だが、兄弟の中でも強いヒエラルキーが出来上がっていたのではないかね?
例えば何をやっても天才肌だった一番下の弟……妬ましいと思いながらも、周囲の讃美に包まれた彼が羨ましかったし、彼に逆らっても何も得をしないと、その頃から分かっていたんだろう?」
と、黒影はメイブリックではなく、メイブリックの一番下の弟について話を切り出した。

🔸次の↓「黒影紳士」親愛なる切り裂きジャック様 五幕 第四章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。