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「黒影紳士」親愛なる切り裂きジャック様4〜大人の壁、突破編〜🎩第四章 7甲斐甲斐しい嘘 8炎

7甲斐甲斐しい嘘

 ……砒素中毒か……。

 黒影は夫の小刻みに震える指先を見て思った。
「前の奥様を殺した犯人なのですが、実は二人殺しているのですよ。」
 それを聞いて、一瞬夫は妻をちらりと見た。
顔を向けないのは、恐怖心が高まったから。
「つかぬ事をお伺いしますが、ミッシェルさんはご存知ですか?」
 と、黒影は聞く。
 返答がなかなか返って来ない。
「すみません。少し旦那さんと二人で話したいのですが……。」
 と、黒影は言った。
「ああ、私ったら気が効かないですみません。」
 と、ダリアンは言って部屋をいそいそと去る。
 砒素の事に関しては、黒影はあえてこの夫の身の危険を考慮して、話を避ける。
「サダノブ、調書頼む。」
 と、黒影は何時も肝心な事を聴く時の様に、調査報告書をサダノブに頼んだ。
 サダノブは調書を取りながらも、対象の思考を読み、錯誤が無いか確認する。
「……で、言い辛いかも知れませんが、ミッシェルさんとのご関係は?」
 と、黒影が聞くと、
「情けない事に、前のが酒に溺れて娼婦になりましてね。それでも、子供達が寂しがるからと、説得を続けに、ホワイトチャペルへ通ったんです。それでも変わらない現状に嫌気が差して、私も酒を飲んでいました。
 その時に出会った娼婦がミッシェルです。まさかあんな姿で亡くなるなんて……考えられ……らい。」
 まともに話したかと思うと、後半で夫は呂律がおかしく成り始めている。
 相当量の砒素を飲まされたからだろう。
「そのミッシェルを殺した犯人は右利きとされていませが、一箇所だけ、判断出来ない傷がありました。凶器はペンナイフの様なもの。返り血を浴びたら滑ります。なのにペンナイフ。……犯人は左利き。押し込む切り方をしたのでしょう。先は右に見えても、押している手は不器用な右。そして、やはり女性では疲れ一度止めて、また刺し始めた。39箇所。恨みがなければそこ迄はしません。切り取った箇所を鑑みても、嫉妬と恨み。
 今の奥様はミッシェルさんの存在を知っていましたね?合っているなら目を縦に、間違っていたら横にお願いします。」
 と、黒影が話すと、夫は首を縦に振った。遠くから見られている。
「サダノブ、窓のカーテンを引いてくれ。」
 と、ギャングが使う毒弓に注意をした。
「そして元奥様が亡くなった時点で、犯人はミッシェルの時にバレなかったからと、自由な左手を使った。
 今度はペンナイフてはなく、それだと大変だと思い、凶器は数個準備される訳だ。
 ザラザラした切り口があるが、あれはパン切りナイフか肉かっと用のナイフ。
 あれだけ医者を警察が探しても、肉屋を探しても見つからない。
 貴方の奥様……ダリアンさんの元の職業は?」
 黒影は、最後に確信めいた事を聞く。
「……看護士です……。」
 暫しの間が開く……。
 黒影はこの夫を助ける為に連れ出そうか、否……5人の子供は何処かと考えている。
 夫は黒影に助けを今求めないと、殺されかねない。……しかし、この探偵が負けたらどうなるんだと思っている。
「何をぐだくだしているんですか、二人共!じゃあ、その後妻をとっ捕まえれば良いだけですよ。ねぇ、旦那さん……子供は何処?」
 と、二人の思考を読んで、深読みし過ぎて行動が止まっているのに気付き、サダノブが呆れて言った。
「子供達は庭へ……。多分妻も……。」
 と、夫は答える。
「サダノブ、行こうっ!」
 黒影は子供達を人質に取られる前にと走り出し、サダノブと部屋を後にした。
 ――――――――――――――――

 家を出て辺りを見渡す。
 ……居ない。
「何処かに逃げられたか?」
 と、黒影は独り言の様に言った。
 子供の声が、近くで小さいが聞こえる。
「まさかっ!」
 黒影は苦虫を噛み潰したような顔で、ロングコートを脱ぎ、鬼鹿毛(おにかげ)の上に被せた。
「何やっているんですか?」
 サダノブが聞くと、
「地下道だ。イギリスの下には下水道が張り巡らされている。ペストになりたく無いんだが…。大丈夫かぁ?」
 と、黒影はマンホールの上で言う。
「だから潔癖症、少しは治さないと。事件に支障が出ているじゃないですかぁ。」
 と、サダノブはなかなかマンホールを開けない黒影に嫌気がさす。
「嫌なものは、嫌なんだっ!そうだっ!……サダノブが子供達とダリアンの思考を拾って読めば良い。きっと何処からかは出て来るんだ。……思考追跡開始っ!」
 と、黒影はサダノブの背中を押して、笑いながら鬼鹿毛に掛けたロングコートをバサッと羽織り直した。
「何ですかぁ?思考追跡ッてぇ〜。」
 と、サダノブはそんなの出来やしないと思って言う。
「出来るさ。出来ない事の方が少ないんだよ。……探偵の心得その1!やってみなきゃ分からない……だろうっ?」
 と、黒影は爽やかに笑うのだ。
「あー、その爽やか笑顔、武器にしてぇー。分かりましたよ。やってみます!……えっと、さっき声がした方はぁ……。」
 と、サダノブは手を地面に翳し探している。
 黒影は思考が響き易くする為静かにしているが、行かなくて済みそうなのでご満悦だ。
「あっ、いた。」
 そう言うと、サダノブはフラフラ歩き出す。
 流石に5人の子供が同行となると、急げはしないようだ。
「あー、やっぱり子供、人質にしようとしてますねぇー。悪いなぁー。」
 と、サダノブはダリアンの思考を読み、そう言った。
 そして黒影に、
「どうします?」
 と、聞いた。
「どうするもこうするも、犯人を捕まえるだけさ。」
 と、黒影は答える。
「子供の前でいくらダメな後妻といっても、捕まえたら悲しみますよ。」
 と、サダノブは言うのだ。
「駄目な母親でも……か。まぁ、それも一理ある。……が、後で後悔するよりかは、駄目な事をしたら捕まると分かった方が良い。恨み言ならば聞き慣れている。」
 と、黒影は答えて微笑むだけ。
 恨み言を引き受けたって、何の価値にもなりゃしない。
「なんでそんなに刹那的なんですかね。」
 と、サダノブは言うと、地面から振り返り視線を黒影に切り替えた。
「僕の事か?」
「ほら、またそうやって誤魔化す。俺はそれが立派だとか、カッコいいだとかは、絶対に思いませんからねっ!」
 と、サダノブが言う。
「それで良い。お前は時々、優し過ぎるんだよ。」
 と、黒影は言って下手に笑顔を作り、空を見上げた。
「全く……聞こえてないんだ。」
 と、サダノブはぶつくさ言って、捜索を続ける。
「届いているよ。……有難うな。」
 と、空を見上げたまま黒影が言った。
 イギリスでは珍しい冬晴れの青い空。
 真っ黒なその姿がくっきりと映えて見える。
 時夢来(とむらい)の懐中時計など無くとも、この一人の紳士は、何処にいても一瞬で時を止めてしまいそうだ。
「出てきますよ……色々。」
 と、サダノブは低めの緊張感のある声で珍しく言った。
「……そうか……色々か。色々とはきちんと明確に答えた方が好ましい。……と、僕は思っているんだ。だが、サダノブの力が見えない僕には、今は色々としか言いようがない。報告、連絡、相談のホウレンソウも簡潔な程良い。
 仕方無い……確認して、簡潔にするしか無さそうだ。
 否が応でも動かされる。僕はまだ空が見たかったなぁ……。」
 と、黒影は散々な嫌味を言い、動きたくなさそうにしている。そりゃあ、色々とあれば敵がいると言う事ぐらいは分かるし、白雪にはもう心配を掛けたく無いのだから、思うぐらいは構わない。
 ……が、ここで意固地になられて本当に動かないと言われても、サダノブ独りでは正直、心元ない。
 サダノブは、
「うだうだ言ってないで行きますよぉ〜。鳳凰様ぁ〜敏腕社長様ぁ〜、我儘言わないでお仕事の時間ですよぉ〜。」
 と、黒影の背中をヨイショと押して行く。
「いーやぁだぁー!ただでさえ、子供5人も守りながら犯人確保するだけで面倒なのに、何故その他まで出てくるんだ!何故!……そりゃあ、ダリアンがもう邪魔になったから消しに来たんだ。なんて醜い下らんのだ、人間はっ!それに何件付き合わされていると思う?それでも行かねば気が済まない自分が一番、腹立たしいのだっ!手を離せっ!……僕は一人でもどうせ行くのだからなっ!」
 と、黒影は凄まじい八つ当たりを久々に言い始めた。
「あー、分かりました。嫌ですね、そうですよねぇー。寝てないし、疲れ溜めるからそうなるんですよぉー。とっとと終わらせて、シャワー浴びてスッキリして、ふかふかのベッドで白雪さんに添い寝してもらいましょう。ねっ、ほら……ねっ。美味しい珈琲は、一暴れしてからの方が野球観戦のビールぐらい美味いっすよ。」
 と、サダノブはありとあらゆる手段で、ご機嫌取りをするのだが、そこは黒影……しっかりしていて、ご機嫌取りにも勿論気付いている。
眉間に皺をよせて、片方の眉をぴくつかせると、
「僕は野球派ではない。F-1派だ。上司の趣味ぐらい良い加減に覚えろ。」
 そういって、溜め息をつくなり、バッと振り向いた。
「巫山戯るのも大概にしたまえよ!……蒼炎……十方位鳳連斬(じゅっぽういほうれんざん)……解陣っ!」
 黒影は帽子の手前を押さえて、何時もよりも激しく燃え上がる、影に特化した蒼炎の鳳凰の陣を展開する。
 何時もより火力が凄まじいのは、単純に苛立ちを抑えられないからだろう。
 子供達を盾にしたのが許せないのだ。
 黒影も人の子で、子の親である。ああ「面倒臭い」とは言っていたが、実のところはそれが一番の沸点なのは間違いない。
 ダリアンに二人、子供二人一組に束ねて首根っこを引っ張る者が一人ずつ。残りの子供一人に一人。……敵は5人。確保一人。
 こんな状況で……どうしたら……。
 手前は人質の盾が並ぶ。
 ならば後ろだ!
 僕では怪我をさせてしまうかも知れない。
「サダノブ!ケルベロスだっ、来いっ!」
 黒影が動いた。
 ケルベロスとは黒影が巫山戯てネーミングした、狛犬の阿行と吽行を合体させた、大きな野犬の事である。
 サダノブはバク転して阿行と吽行の真っ白な二体の狛犬になると、さらにぶつかる様にジャンプし光った。
すると、銀色の瞳をギラつかせた大きな野犬になる。
 黒影は地面の己の影を見詰め、影に羽根が生えると、
「幻影守護帯(げんえいしゅごたい)……発動!」
 と、鳳凰陣から大量の影の帯を前に向かわせ、自身は地を蹴り飛んだ。
 弓矢なんか、人質を捕まえながら打てやしない。
 恐らく、金で雇われたであろうギャングはピストルを一斉に抜き、宙の黒影を狙う。
 身体の大きくなったサダノブから気を引く為に、出来るだけ空高く舞い上がる。
 幻影守護帯で人質を確保出来たのは子供二人。
 その影の帯は捕らえた二人を護る様に包み込み、弾丸でさえ通しはしなかった。
 そして幻影守護帯はそれだけではなく、サダノブを狙う敵の視界さえ見え辛くした。

  ……サダノブが突破すればっ!

 氷の全体攻撃が出来るサダノブが後方に回れば、たった二人でも形成を逆転出来る。
 それに黒影は賭けていたのだ。
 しかし、一人がサダノブの野犬の突破に気付き、拳銃を向けた。
「――サダノブっ!」
 黒影は急降下しながらサーベルを持ち、野犬の前に向かった。
 ……パンッ!パンッ!――
 軽いが拳銃の音が二発、空に響き渡る。

 ……グルルルル……
 野犬が唸って倒れた。

「サダノブ!しっかりしろっ!」
 黒影は倒れたサダノブの野犬を攫うように抱え上げ、再び空を舞い上がり、敵の裏側に漆黒のロングコートを広げ、片膝を付き着地した。
 黒影は両手にいる野犬に視線を落とし、静止している。
 この沸々と湧き上がる怒りを……
 この殺意を……どうしたらいい?
 己の感情が、悲鳴を上げている。
 それでも、手の中で生きようとする野犬の姿に、苦しくなる。
 ……そうだ、殺してはいけない。殺人鬼と同等になるな。
 それだけが、己にもサダノブにも課した責務。
 ――それだけは――揺らいではならない。
 選択を間違えたかなど、どうでも良くなりそうだ。
 頭なんか冷やしていられるかと思ってしまう。
 人は弱い……こんなにも。
 命は軽い……こんなにも。
 だから……だからこそ……戦わねばならない時がある。

 黒影は惑う己の心にそう言い聞かせて、涙を呑み込み野犬を傍に優しくそっと寝かせた。
 ピストルの銃口は総て黒影を捉えている。
 次に動く瞬間に……全てのせのピストルから弾丸が向かって来るだろう。
 一瞬……たった一瞬が……何時も人の生死を分けてしまう。
 こんな世界で……こんな当たり前の中で……
 僕らは出逢ったんだ。
「赤炎……十方位鳳連斬……解陣っ!」
 黒影は鳳凰の奥義が後で使える様に、蒼炎は出していたので、鳳凰の炎その物となる赤い陣を展開する。
 この赤と蒼の奥義を使っても、敵前逃亡者する事しか出来ない。
 影の中に落として捕まえ様にも、人質が厄介だ。

8 炎

 一先ず、鳳凰陣中央の鳳凰を模った炎の中に、野犬を寝かせる。
 これだけで、鳳凰の加護を受け、狛犬としてのサダノブは深傷ながらも幾許か傷をゆっくり癒す事は出来る。
 しかし、弾丸となると生死に関わる傷……鳳凰は決して甦りをさせるわけでは無い。
 生死すら平等に帰すのだから。
 黒影は鳳凰の炎を纏い、まるで平和とは何か問うように虚しさに燃え上がる鳳凰陣の中、空を見上げた。

 ――パキッ……パキッ……。

 何かが小さく割れる音がして、野犬に再び視線を落とす。
 黒影の悲しみに反応し高く燃え上がる鳳凰陣は、敵からも二人を見えなくしていた。
 野犬の身体から四方八方に細く薄い氷が伸びては、その弱さに割れている音だった。
「サダノブ、止めろっ!回復が遅れるっ!」
 そう言い聞かせているのに、野犬は初めて黒影の命令を無視し、その行為を繰り返すのだ。
「止めろ!止めろと言っているっ!」
 と、黒影は涙を堪えて叫んだ。
 黒影には分かっていた。
 それは狛犬の本能か、サダノブがそうしたかったかは分からないが、黒影を護る為に戦いたいと、そう言いたい事だけは理解できる。

「……そんなに、護られる程……大した人間じゃあないのに。」

 黒影はそう言って目を静かに閉じてイメージをする。
 完璧な――勝利を。
 そしてゆっくり立ち上がり目を開いて天空を見上げた。
 「朱雀炎翼臨(すざくえんよくりん)!」
 黒影は鳳凰よりも更に強い炎の朱雀の翼を背に、ロングコートを横広がりに少し膝を落とし、一気に真上に鳳凰陣を抜け、舞い上がる。
黒影の唯一持っている攻撃の朱雀剣を、弾丸を避けながらその手に出現させた。
「そんなもので人の生死を決めるなど……思い上がるなーっ!」
 黒影はそう叫んで、思いっきり真横に空気を切る様に朱雀剣を降った。
 朱雀剣の起こした炎の熱風がギャング達を吹き飛ばす。
 ピストルはその熱で暴発する。
 子供達とダリアンはその後ろだった。
「早く逃げろ!」
 ダリアンはいつでもまた捕まえれば良い。
 殺人鬼とは言え、今ある命を削る必要も、黒影にそれを咎める事も出来ないからだ。
 目の前で殺人が起ころうとしているならば、単純に人として止めるだけだ。
 散り散りになった所で、黒影は敵へ目掛けて滑空し降りると、何と背で体当たりをするではないか。
 その背の朱雀の羽根に当たり、敵は慌てて地面に転がり服に点いた火を消そうとしている。
 ……難しい事はシンプルに。
 黒影は切れない、燃やせない、殺せないならば……火傷をさせるぐらいを考えていたのだ。
 それが火力の強い朱雀の翼が一瞬、掠る程度だった。
 次々に黒影は敵に体当たりをする。
 怒りに舞う様に……。
 敵は火が消えると子供達とダリアンが逃げ去った方へ走り出す。
 「朱雀魔封天楼壁(すざくまふうてんろうへき)現斬(げんざん)!」
 黒影は朱雀唯一の、対魔浄化である四面の炎の壁の中に、ギャングを囲った。
 遥か遠くに子供達と二件の犯人であるダリアンが逃げていく。
 血は繋がらなくとも、何故かその時の姿は子供達を守り逃げる母親に見えた。
 だからと言って見逃す訳にはゆかないのだ。
 それが探偵である黒影の宿命でもある。
 サダノブを早く病院へ連れて行きたい。
 だが、犯人を逃してまで自分の方が守られた事を知ったら……サダノブはどう思うだろう。
 きっと、己の無力さを嘆くだけだ。
 しかし、今は婚約をやっとしたばかりの穂もいる。
 黒影は悩んだ挙げ句にサダノブを選んだ。
「人命救助が第一だ。許せよ。」
 そう言って、黒影は朱雀魔封天楼壁以外を解除し、少しは回復したのか、人間に戻ったサダノブを抱え、目立たない様に屋根から屋根へと影の翼で飛ぶ様に走ったのだった。
 ――――――――――――――

「……あっ、先輩。……俺……。」
 病院で目覚めたサダノブが、窓の外を眺めていた黒影に気付いた。
「ああ、目覚めたか。穂さんも、皆んな来ている。呼んでくるよ。」
 と、黒影は言い、部屋を出ようとする。
「先輩っ!」
 サダノブが強めに言って、その言葉に黒影は流石に静止する。
「何だ、元気になった途端によく吠えるな。」
 と、黒影はドアの方をみたまま、振り向きもせず言った。
「犯人は!?」
 サダノブが気にしたのは1番にそれだった。
「お前……僕に似てきたな。それは僕が考えれば良い事だ。サダノブの仕事じゃない。」
 と、黒影は言い残し部屋を出る。
 犯罪者を憎むだけ……恨み走るだけ。その日々は、きっと自分の人生を、普通のものと大きく変えてしまった気がしていた。
 そんな者にならなくて良い……否、願うならばならないで欲しいと黒影は思っていた。
 それはサダノブが探偵社に入った時から、変わらない願いだ。
 例え何かを憎み恨んでも、それが己の人生より上になるなど、あってはならない。
 それは復讐心と、何ら変わりの無いものだから。
 犯罪……復讐……犯罪……終わらない負のループでしか無い。
 黒影は病院の廊下の長椅子に座り、ダリアンの行方を考えていた。
 信じていた者に裏切られた……それさえ、まだ気付いていないのかも知れない。
 ほぼ妻……。誰もが夫婦だと認めていたのに、夫婦になれない現実。
「……女としての、プライドかぁ……。」
 黒影はサダノブを病院に連れて来てからも、一睡もしていない。
 思わず溜め息混じりに、そう口に出していた。
「なぁ〜に、それ。」
 そう聞きながら、白雪は黒影の隣りに座り態々作って持って来た珈琲を手渡した。
「あぁ、事件の事また考えていた。」
 と、黒影は素直に言う。
「白雪はさぁ……」
「んー?」
「……白雪は、もし他人の子を急に押し付けられて、例えばその子が懐かなかったらどう思う?」
 と、黒影は自分には分からなそうだと聞いてみた。
「懐かなくても自分の子なら可愛いものだけど……。他人の子でも、ずっといれば母性だって出てくるんじゃない?」
 と、白雪は答える。
「そっか……。そう言うものか。……じゃあ、僕も少しそれに甘えさせて貰おうかな。」
 と、黒影は伸びをすると、白雪の低い肩に身を寄せて、頭を軽く乗せて目を閉じた。
「甘えん坊さんね。父性はないのかしらん?」
 と、白雪はクスッと笑い、黒影の帽子を脱がし膝に乗せると、髪を撫でて一緒に目を閉じる。
 ……どうせ眠ってない癖に。
 と、白雪は思っている。黒影なら甘えたくなっただけで、今は事件の事で頭がいっぱいなのだ。
 早くサダノブを安心させる方法は、早く犯人の居場所を見つける事だから。
 黒影はやはり、白雪の考えなど知らずに、目を閉じてリラックスした頭でダリアンの行方を考えていた。
 あの教会しか……行く当てもない。

 ――――――――――――
「私は貴方を信じていたのです!何故こんな裏切りをっ!?」
 教会に子ども達を連れて、急ぎ足でルナを尋ねると、ルナは銀色の銃をダリアンの顳顬に向けた。
「子供達はまぁ……よいとしましょう。ダリアン……貴方の命一つと、引き換えに。私は導く光を差しただけ。選ぶのは貴方です。もうあの「親愛なる切り裂きジャック」にバレてしまうのでしょう?……貴方は大人です。自分の責任は自分でとるのですよ。」
 と、ルナは口元だけでにたりと笑う。大きな単眼がダリアンと子供達をジロリと見下ろす。
 見慣れない子供達は怯えてダリアンの後ろに固まっている。
 ダリアンは憎んでいた筈の子供達を振り向き様に見た。

 ……あの殺した憎い女の子供なんてどうでも良いじゃない。
 そう思うのに震える小さな手に、諦めを感じた。

 最後まで……駄目な女……。

 ダリアンはそう思うと目を閉じて、何故だか自分でも分からないが、赤の他人の子を守り、命を投げ打つ覚悟でいた。

 ただ目を閉じて……何も考えず、自分の心拍音を聞いていた。
 後ろに回したままの両手を、小さな手がギュッと握りしめているのが分かる。……独りじゃ無い。何も怖く無い……。
 啜り泣く小さな嗚咽を聞き、
 ……ごめんね。
 と、最後に心の中で言う。

 ――その直後だった。

 何か大きな物が甲高く壊れる音がした。
 ふと目を開ける。

「親愛なる切り裂きジャック……?」

 そこにいた誰もが教会の巨大な天井の聖母マリアが描かれた、ステンドグラスが一気に砕け散るのを見上げた。
 真っ黒な一羽の大きな鳥がステンドグラスに影を落とし、突っ込んできたのだ。
 それは銀のサーベルを後ろ手に太陽へ翳し、そのサーベルに光を受け、神々しく彩るガラスの破片と共に突っ込んで来た。
 漆黒のロングコートが広がり、その荘厳なる景色は数秒である筈なのに、スローモーションに感じる。
 ダリアンは慌てて子供達をしゃがませ包み込む。
 ルナの銀の拳銃がダリアン達に向き直される。
 発報音と共に、甲高いキィーンと言う金属音が教会に響き渡った。
 恐怖にダリアンは一瞬瞼を閉じ、ゆっくり視界を開いた時、銀の拳銃と銀のサーベルが交差し、ルナと黒影が睨み合っている姿が見えた。
「責任を取るのは首謀者の方もだろう?責任転嫁も甚だしい。ダリアンは僕が捕まえる獲物だ。」
 黒影はそう言ってニヤリと笑う。
 ルナは押し負けそうになり、後方へジャンプし、黒影も体勢を崩さぬ様に後ろへ飛んだ。
「此処は私の唯一の居場所。この場所で……よくもっ!」
 ルナは単眼に怒りを揺らがせ、怨めしいとでも言う様に、顔は俯かせたが、目玉は真っ直ぐ黒影を追っていた。
 ルナは怒り任せに再び拳銃を構え、黒影に照準に合わせる。
黒影は数発狙われたが、舞い上がり擦り抜けた。
「蒼炎……十方位鳳連斬、解陣っ!」
 空中に蒼い炎が噴き出る鳳凰陣を作ると、そこに落ち中央を蹴り助走を付けてルナの前に飛び込む。
 そしてその体勢からロングコートを華麗バッと広げ一回転し、
「幻影惨刺(げんえいざんし)……乱舞斬り(らんぶぎり)……っ!」
 と、ルナを目掛けて無数の影の針を、蒼炎を纏った銀のサーベルの一振りと共に、飛ばした。
 間隔を開け飛ばし、殺傷させないように黒影が飛ばしたが、その一本がルナの瞼の上に刺さる。
「目がっ!……私の最後の目がっ!」
 とルナは顔を塞ぐとまではいかないが、その途中で手を止めて嘆き……怒り震えていた。
 黒影は、
「悪いが僕はわざと狙った訳じゃあない。偽物の月の導きなど要ぬと、本物の女神が罰を与えたとしか思えんな。」
 と、黒影はサーベルを腰に納め、コートで隠す。
 黒影を中央に、前には棘を抜こうとするルナ……後ろにはダリアンと子供達がいる。
 ダリアンとルナが一斉に全く逆方向へ逃げ出そうとする。
 黒影は真ん中で右左を見て、ルナを流し目で見やるとダリアンの方へ走り出す。
 その一瞬の決断は、ルナを絶望へ更に追いやる事になるとも知らずに……。
 ルナの霞んだ目前の漆黒の鳥は、まるで時を遅めた様にゆっくりと旋回し、大きなコートの翼を広げて、遥か彼方へと飛んで行った様に感じられた。

 ……誰も……私を止める導きなど……無かった……。

 ルナはサテンの黒いマントのフードで顔をほぼ隠し、霞む霧の様な世界を只管走り逃げる。
 もう……逃げ場所など……居場所など無くても。
 息を切らし、水路の脇に座り込む。
 一匹の鼠が膝を抱えたその下を通り過ぎて行った。

 ……どうしてこの世界は……こんなにも……凍てつく程に寒いのだろう……。

 それはいつかのサダノブにあった、どす黒い悲しみに育って行く芽だった。

 ――――――――――――――

「待てっ!」
 黒影は教会の外で、逃げようとするダリアンに大声で行った。
 その言葉に、ダリアンはピタリと足を止める。
 何故止まったかなんて、ダリアン自身にも分からない。
 ただ、その黒影の声が妙にくっきりと澄んで聞こえた。
 真っ直ぐに、迷い一つ無く……ダリアンを見ている気がしたのだ。
 ダリアンはゆっくりと振り向いた。
 とても助けられたのに、真っ直ぐ顔すら見れそうにも無い。
 けれど、今振り向かなければ、自分が自分でなくなってしまう様な、不思議な感覚を受ける。
「行こう……まだ間に合う。……話を聞かせてくれないか。」
 黒影はそう言って、何故か微笑み手を差し出すのだ。
「……何故、微笑むの?私は人を二人も殺してしまった。」
 ダリアンの予想に反して、黒影の態度が柔らかかったので、そう聞く。
「殺して……しまった。しまったと言うのは、貴方が既に後悔しその殺害と言う行為について、羞恥心を感じ始めたからだ。君は間違っていた。
 けれど、子供達を助けなければ、僕も君を助けようなど思わなかった。
 あの真実は罪でも罰でもない。
 まだ、君に人の心が残っている事実だ。
 だから自首……してくれますね。
 人として罪を償い、あの子達を迎えに行ってやれるのは、君だけなのだから。」
 と、黒影は答えた。

🔸次の↓「黒影紳士」親愛なる切り裂きジャック様 四幕 第五章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。