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【気づき】心配は監視だと思っていた

「心配している」と言われると、
「やめてくれ」と返していました。


心配=監視=文句を言われる
という世界観だったんですね。


だから、友達の心配顔(悲しい顔)が
ものすごくキライだったんです。


心配=文句があるというサイン
だと思い込んでいました。


なので、心配されると
反射的にイラッ!としていました。


ところが、子宮筋腫の手術を受けた時に、
色んな立場の人からの
色んな心配のされ方を体験してみて、


心配すぎて悲しくなったり、
心配で色々聞きだしたり、
心配だけど何も聞かなかったり、
心配してないように見えたり、
心配してなかったり、
するんだな!


ってことを知りました。


あと、私が決めたことに関して、
誰も文句を言わないんだってことも。


新体験ですね。


多分ADHDのお薬を飲んで、
不必要な事前の防御(脳内戦争)を
やめられたお陰です。


それから、もう一つ発見がありました。


心配されるって、大事にされること
なのかもしれないと思いました。


引きこもりなので、
色んな人が送迎するよとか、
退院後の食事の心配とかをしてくれました。


心配って、過干渉じゃないんだなあ。


似てません?(似てないか🤣)


申し出を断ると、
心配だから言ってるんでしょ!って、
無理強いしてくる人がいなくて
本当に良かった。


心配だと悲しい顔をしてつっかかってくる、
そんなイメージが払拭されて良かったです。


もう過干渉にされなくて済むんだな~。


心配されるって心地よいんですね😊


心配されるとイライラしてしまうんじゃなく、
大事にされていることに気づけて
心地よいと思えたのは、
うれしい体験でした。


今まで安全な人からの色んな助けを
ちゃんと受け取れてなかったんですね。


これから、こういう助けを
形だけでなく、暗記でなく、意味を分かって、
ちゃんと受け取れていくんだと思います。


心配してくださって、ありがとうございます😊



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