「学校の怪談」はささやく
一九九〇年代に、「学校の怪談」というものがはやりました。それに関する論考集です。
論考集ですので、具体的な「学校の怪談」は、ほとんど紹介されていません。それを知りたい方は、別の本を読まれたほうがいいです。
一九九〇年代に、小学生や中学生で、「学校の怪談」の盛り上がりを実感した人ならば、読む価値があると思います。
もっとも、この本の内容は、かなり学術的です。普通の人には、読みにくいかも知れません。
また、一つ一つの論考は、視点や論点が、ばらばらです。それぞれ、違う人が書いているからです。一冊の本として、まとまった結論を期待すると、肩すかしです。
前記の二点(読みにくさ、一貫性がない)のために、評価を低くする方も、いるでしょうね。
しかし、多様な論を読める点で、本書には大いに意義があります。
「学校の怪談」ブームは、沈静化したと思われています。
けれども、子どもは、だいたい、不思議な話が好きなものです。幽霊や妖怪が登場する「怪談」に惹かれる傾向が、常にあります。それが、身近な「学校」を舞台にしたものであれば、なおさらです。
二〇一〇年現在、本屋へ行って、児童書のコーナーを見てみましょう。
『怪談レストラン』というシリーズが、大量に並んでいることに、気づくはずです。
このシリーズは、「学校の怪談」の直系の子孫といえます。主に、学校や児童が登場する怪談が集められたものです。
つまり、「学校の怪談」は、今でも、世の中に必要とされています。
それは、なぜなのでしょうか?
この本を読めば、何らかのヒントが得られるかも知れません。
少なくとも、考えるヒントを得られます。
この本の末尾に付いている「学校の怪談」資料の一覧は、たいへんな労作です。よくぞ、これだけ調べたと思います。
冗談ではなく、民俗学の資料として、貴重ですね。
以下に、この本の目次を書いておきましょう。
はじめに ――「学校の怪談」という問題系
第1章 「学校の怪談」に始まる
―― 一九九〇年代ホラー小説ブームと都市伝説の関係をめぐって
第2章 「学校の怪談」の映像誌
1 関西テレビ・宝塚映像版「学校の怪談」シリーズ
2 東宝映画版「学校の怪談」シリーズ
3 関西テレビ・アルタミラピクチャーズ版「学校の怪談」スペシャル・シリーズ
4 「トイレの花子さん」シリーズ
第3章 「学校の怪談」と児童文学
1 「学校の怪談」の発見
2 「学校の怪談」の再話
3 「学校の怪談」の創造
4 「学校の怪談」批判
第4章 「怪談の学校」がなくなったあとで
1 最初の仮説――学校の事件が「学校の怪談」を駆逐した?
2 「盛り上がり図式」への疑問
3 「学校の怪談」はなぜ起こるのか――児言態の枠組みから考える
4 「学校の怪談」を分類する
5 「学校の怪談」がないということ
6 「怪談の学校」はどこに
7 「怪談の学校」がなくなったあとで
第5章 「花子さん」と呼ぶとき ――学校とリテラシーの近代から
1 「花子さーん」
2 わたしの名前は「花子さん」
3 「呼びかけられる」花子さん
第6章 「社交」と「ふるまい」 ――学校という舞台
1 新しい「子ども」論と「噂」
2 「口承文芸」という枠組み
3 「児童社交」という枠組み
4 演じられる「怪談」
5 「場所」の意味づけ
第7章 民話運動と「学校の怪談」 ――その思想性をめぐって
1 「都市伝説」と「大先生」
2 「現代民話」の類義語
3 「現代民話」の生い立ち
4 「現代民話考」
5 都市民俗学、そして「学校の怪談」―― 一九八〇年代
6 読者からの情報提供
7 「学校の怪談」というメディア
第8章 怪談の階段
1 「怪談」はどこにあるか
2 柳田國男と「怪談」――派生昔話という位置づけ
3 折口信夫と「怪談」(1)――お伽話の中心は怪談である
4 折口信夫と「怪談」(2)――なぜ夏に怪談をするのか
5 幽霊と妖怪と――今野圓輔『日本怪談集』の可能性と限界
6 常光徹「学校の世間話」から始まったこと――「怪談」の不在
7 〈口承〉としての「学校の怪談」へ――怪談の階段
おわりに
「学校の怪談」資料