推し活翻訳10冊目。The Island at the End of Everything、勝手に邦題「蝶がくれた贈りもの」
原題:The Island at the End of Everythin(Chicken House)
原作者:Kiran Millwood Hargrave
勝手に邦題:蝶がくれた贈りもの
概要と感想
1906年、クリオン島。
だれも、けっして行きたがらない場所がある。海の向こうの人たちは、この島をいろんな名前で呼ぶとお母さんが言う。生きる死者の島。帰らざる島。この世の果ての島。ここはクリオン島。夏の空のように澄みわたった青い海に囲まれた島。ウミガメが砂浜を掘って卵を産み、木々に果物がたわわに実る島。ハンセン病患者の島、クリオン。ようこそ、新しいふるさとへ。
主人公のアミは12歳。ハンセン病を患う母とクリオン島で穏やかに暮らしています。アミの母は隔離法が施行される以前に島に移送された人々の一人で、妊娠を知らぬまま島に到着し、ここでアミを産みました。二人は、母が大好きな蝶を呼ぼうと花の種をまいていますが、三年たった今も蝶を見たことがありません。
ある日、マニラ政府の役人ザモーラが現れ、感染者と非感染者の居住区を分ける隔離政策の実施を宣言します。また、感染者の親を持つ非感染の子どもを隣島の孤児院に移送し、自らの保護監督のもと、健康な暮らしをさせると言いますが、ザモーラの言動は、病気と感染者への強い偏見に満ちていました。隔離に備えて町の人々はみな検査を受け、アミは保菌者ではないとわかります。それはすなわち、病が進行しつつある母との別れを意味しました。
政府の一方的なやり方に、近所に住むカプーノとポンドックの兄弟が、子どもの移送に反対する署名を集め、アミとアミの母を連れてザモーラのもとへ向かいます。ザモーラの執務室は、美しい蝶の標本で埋め尽くされていました。蝶の研究家でもあるザモーラは、異常なほどハンセン病を恐れており、まともな話し合いができる相手ではなかったのです(物語が進むにつれ、ザモーラが精神を病んでいることがわかってきます)。
別れの朝、アミは、まだ幼いキドラットやほかの子どもたちと一緒に荷馬車に乗せられ、町から遠い港に向かいます。ザモーラも、蝶やさなぎが入った箱を大事そうに抱えて馬車に乗りましたが、荒れ放題のマンゴー畑にさしかかったとき、ヘビが出たという女の子の悲鳴で馬が驚き、蝶が入った箱の一つが落ちてしまいました。アミたちが目を見張るなか、箱から逃げた色とりどりの蝶がクリオンの空に舞いあがり、果樹園の奥へと飛んでいきます。
隣島コロンの孤児院で、アミはマリと親しくなります。マリは、手の障害と先天性色素欠乏症というハンデを抱えながらも、ものごとをまっすぐに見つめる強い意志、人を思いやる優しさ、そしてなにより、前に進む勇気を持ちあわせた少女でした。
アミは、マリと二人の大切な場所、クリオン島を遠くに臨む夕焼け岬で、毎日のようにお母さんに呼びかけますが、約束した手紙はまだ届きません。岬の下には、壊れた小舟が放置されていました。
あるとき、ザモーラがクリオン島から届いた手紙を子どもたちに渡さず、隠し持っていたことがわかります。マリが盗み出してくれた手紙で、母の病状が悪化していることを知ったアミは、マリと、二人を慕うキドラットとともに、修理した小舟でクリオン島を目指します。
☆ ★ ☆
20世紀初頭、世界各地で行われていたハンセン病患者の離島隔離という史実を背景に、母と娘の深い絆、シスターフッド、かたい友情で結ばれた子どもたちの旅、そして、子どもたちの強い思いが引きよせた奇跡を描いた作品で、蝶が重要なモチーフとして描かれています——夢のような圧倒的な美しさで。
もちろん、差別や偏見、そして、多くの喪失も描かれているので、児童書にしてはちょっと重めかもしれませんが、それでも、いえ、だからこそ読む価値がある。子どもたちが起こした奇跡は、喪失と苦悩の先を見すえる強いまなざしとなり、その先にも続いているからです。子どものうちに読んで、大人になってから、もう一度手に取ってもらいたい、そう感じさせる作品です。
受賞歴:Historical Association Young Quills Award、コスタ賞及びブルーピーター賞ショートリスト
キラン・ミルウッド・ハーグレイブさんの既訳作品はこちら。
原書を読むにあたり、参考にしたウェブサイトの一つ。最近は更新されていませんが、日本と世界のハンセン病の歴史等について紹介されています。