自分の価値も分からないようなコドモのままでいられない
🎧本日のテーマソング
記事の題名に歌詞をお借りしました。
以前までは、私は「自己主張の強めの人」という
イメージを持たれてたこと多かったのではないかと思う。
「あれしたい」「それはちょっとわからないな」「私はこう思うな」
全部ちゃんとわかってた訳ではないけど、直感がちゃんと教えてくれてた。
それが最近、どんどん見えなくなっていた。
前も書いていたけど、自分の中での正解でなく、周りにとっての正解を探すようになった。
部署が変わって、仕事内容もめざす目標も進め方も一緒に働く人の雰囲気もガラッと変わった。
周りの人たちが、自分とはかけ離れたすごく優秀な人ばかりだと感じた。
(実際にそう。本当に勤勉で頭が切れる仕事できな組織なのです)
その中で、分からないことばかりで話について行くのも大変だった。
ほとんど分からないまま、終わる。
その状態で自分が何したいかどうかも、何ができるかも分からなくなった。
そんなことが長く続き、どうにか上手くやらないとと焦ってしまい、
一言一言を、周りの反応を伺いながら、言葉を選ぶようになった。
その場で周りに合わせて正解を見つけようと喋るもんだから、
話の着地なんて決まってなくて、いつも結局を何を話しているかも分からなくなって
みんなにも伝わる訳もなく、がっかりさせてしまったのではと余計に不安になった。
焦ってその場を流そうと、必死になって誤魔化して次の人に繋いだり
私の意見は気にしないでくださいというようになった。
たくさんの伝えたいことや気持ちを飲み込んだ。自分の内側に押し込んだ。
その代わりに誰かの意見や価値観を無理やり、咀嚼もせず自分に叩き込もうとしていた。
(※その誰かの意見や価値観を否定したいのではなく、そのまま自分のものにしようとしていたことがよくなかった)
それを続けていって、様々なシーンで何でこれやってるんだっけ
私ってどうしたんだろう、私の存在価値って何なんだろうと、、
悩みがもっと大きな方向に広がってしまった。
どんどんそんな悲観的な思考が頭と心を蝕んで、
プライベートでも、どうしたいか分からないことが増えていった。
私は何ができるんだっけ?したいんだっけ?
何が好きだったんだっけ?今どんなふうに感じているんだっけ?
最終的には、あれ?私って何のために日々、生きてんだっけ。まで思うようになった。
自分の声を否定したり、無視すると、こんなところまで影響してくるのか。
最初は、ほんの一部のことだけだったかもしれないのに、
自分の人生まで否定してしまっていた。
今まで、ひどいこと言い続けてきたから
自分も拗ねているようで、今向き合おうと思っても
すぐに心は開いてもらえないのだけど、
それでも、懲りずに自分に
「今までごめん。ちょっとで良いからあなたのこと教えてよ」って
語りかけていこうと思います。
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