本音って迷子になるからさ、探しに行くのよ
どこからか、
本音で生きるって難しくて
周りに合わせて生きてきた。
高校のときは、
勉強が好きと言えば気持ち悪がられたり、
「好きなくせにその点数なの?」と言われるのが嫌で、周りの馴染むためだけに「勉強かぁ…あんまり?」と言っていたし
短大になってやっと
「勉強はきらい。強いられるじゃん?学習は好きだよ!自分から学び習うから」
と言えるようになっていった。
それでも、
23で結婚して、23のときに(誕生日まだだっただけ)1人目、2人目と立て続けに産む機会に恵まれて
「お母さんなんだら」を押し付けられたまま、それに反抗するだけの気力もなく、
目の前にいる「すぐ死んでしまう尊い生命」を守るために生きてきた。
自分が発熱してても、子どもたちのためにご飯を作る…
私の病院なんて二の次で、
私が倒れたらダメって思ってた。
夫に「熱あるから病院に行きたい」っていっても、連れていってもらうことなんかなくて
「俺、仕事だから無理」と電話で断られたことは数知れず。
そんなことを何度も繰り返すうちに、全く頼らなくなっていった。彼からしたら、楽だっただろうよ。
病院にいきたい、美容室行きたい、〇〇がほしいなど余計なことは言わない(本当は言いたかった)
明るく過ごせるように気を使う(暗い日だってあったけど、子どもの前で泣いたことはない)
なんでも一旦声をかけ、許可を取る(大人なのになんで許可いるん?って今なら思う)
自分らしくない生活を5年も続けたら、
相手を見て吐くまで悪化した。
本音は蓋しちゃだめだね。
本当、吐くまで我慢したらダメだよ。
そこからの1年は希死念慮しかなくて、それに呼応するように心臓部が病に侵された。
1年で心臓が悪化して、精密検査。
とはいえ、
そのあと1年で心臓は回復した。
でね、
現在、まだ渦中にいるけど、
あとは話し合いだけの段階だから、だいぶ素直になってきた。
が、本音がわからないのだ。
そう、本音が迷子。
ずっと押し殺してたから、本音が表に出てこなくて困ってる。
というのも、過去の私は
「良さそうなものはなんでも取り入れる」って人。
1日参り、お祓い、占い、スピリチュアルだけでなく、言霊、先祖供養、勧められた本、業界誌、新聞、やった方がいいこと、会ったほうがいい人など、ありとあらゆるものに手を出していた。
それって、
「こうしたい!」って思いがあるから、ちゃんと引き寄せられてくるわけで、
同じ思いに共鳴した人が「私もやりたい!」と言ってくれて、進んでいくのだ。
で、逆にどん底のときって、どんな時かと聞かれたら、理想のないときなのだ。
そんなとき、
ひすいこたろうさんの本は
なーーーんにも響かない 笑
心を上滑りして「はぁ、なんなん?」となるんだけど、この本で大泣きしたのだ。
電車で読んで泣いた。電車なのに……
怪しい人だよね。
おっ、これは回復してきてるぞ!とおもって、
久しぶりに予祝の本を読んだのだ。
「どんな未来がいい?」
と聞かれて、
としか出てこなくて、
あれ? と、なったのだ。
私の幸せってどこ?
いや、今ね
どんな状況でも「幸せだなぁ」って思える境地にいるの。
本当にね、
毎月の支払いがちゃんとなんとかなってることも
子どもたちにひもじい思いをさせることなく、とりあえず食べさせてあげられることも、
兄妹仲良く?それなりに仲良く、楽しそうにしていることも、
私が大変そうなら「大丈夫?」ってこっちにきて、手伝ってくれることも。
毎朝
「んー、おはよー」って言いながら
子どもたち2人が起きてくることも。
思春期男子…どんなに機嫌が悪くても
朝ごはんを食べるときに
「ん、ありがと…いただきます」って聞こえるかどうかの囁き声で言ってくれることも。
「えっ!?こんな大きな額の支払いが…」
となっても、
「うん、この金額分は必ずどこかから入ってくるのね」と思えるだけ、人生を信用し始めてることも、幸せだなぁって思えるのよ。
でもさ、
でも!
こんなに稼ぎたいって思いはないけど、
子どもお料理教室でしている考え方が全国に広まったらいいって思うし、
人生や生き方の本質は、子どもたちが持ってると思うんだよね。
つらいこともあるし、
自分じゃどうしようもないこともたくさんあるけど、それでも、前を向いたら、きっと花が咲いてるって思えるから。
食べることを通して、心の豊かさを取り戻してほしいんだよ。
パソコン前の独りご飯じゃなくて、
縁を繋いでいくご飯。
適度な距離感で話すご飯だっていいじゃん。
同じ釜の飯を食うって、やっぱり大事だからさ。
身分不相応に見える話でも、
いつかその身分に合うようになってるから
その話が来るんだと思うんだ。
私の本音…
すぐに迷子になるけど
なんだろうなぁ。