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私は私でしかないのかしら。

なぜ、私は私でしかないのかしら。
なぜ、私はこの身体から離れられないのかしら。
なぜ、皆は当たり前に疑念を抱かずそれを全うできているのかしら。

菊山宰を置いてしまうと恥ずかしい気がするので、ここは治姫という人間が妄想していることにしよう。
雨が上がったので、どうしようもない嫌悪を抱えながら濡れた道を散歩している。濡れた木を見て立ち止まった治姫が耽ったのである。

雨上がり、木の葉に乗った水滴が人々とし、その一粒が私とする。それぞれ大きさは異なれど空から生まれた水滴であると自認して、葉の上でひっそり、ただそこに在る。
その葉の下には水溜りがあり、風にあおられ滑った者はそこへ落ち、水溜りの一部となる。水滴のひとつであったことは忘れてしまったように、水溜りとして葉を見上げている。
ひとつ、またひとつ。葉先がしなって重力が残酷に動く。端の方でいる私は、ひとつ、またひとつと落ちていく水滴を見ている。
一瞬穏やかに日が差し込んだと思えば、瞬く間に風は過ぎて、私も葉先へ滑っていった。見下ろしてみると、水溜りとなった者たちが当たり前の顔して笑っている。恐ろしい。幸せなに皺を寄せて時に身を委ねている。私は私が恐ろしいのだろうか。彼らが恐ろしいのだろうか。逸れ者かもしれないと自問しているのは私だけかもしれない、という恐怖に慄いているのだろうか。そうであるならば、私は、私だけは、悟ったように落ちれるかもしれない。水溜りの一部になったとしても、水滴としてそこに居るだけだと。
思想のおかげで私は強くなったような気がして、風に任せて落ちてみた。私を中心に波紋が広がっていき、一瞬にして我が身の姿を失った。どれほどの大きさの、どれほど透き通った水であったか、強い意志は一瞬で溶けてしまった。私は大声でみっともなく泣きたくなったのだけれど、周りが皆葉を見上げている異常さに気づき、私も元いた葉を見上げてみた。全く濡れていない葉の裏側が見えるだけであって、それ以外見惚れるようなものは何もなかった。

そんな妄想に耽っている。第三者の視点で、主人公の水滴を想ってみる。水溜りのどれもが同じ景色を見上げているのであれば、どの水滴も、どの水滴にでもなれているのと同じではないかしら。あまり悲しまなくてもいいのかしれないよ、臆病な水滴さん。秘めた思いは見せずとも、きっとどれもが逸れ者であり、常人などは存在しない。逸れ者と自称できるけれど、常人と自称することはなかなかできたものじゃない。そんな両者がいれば、どちらが逸れ者かわかったもんじゃないでしょう。

雨が葉を濡らすたびに、私はこの疑念を清算することができる。そんな気がしているから、梅雨を嫌いになどなれないし、傘も可愛くて仕方がない。

そうよ、雨音は人間に溜まったどうしようもない汚れを洗ってくれているに違いない。ぱっと咲く傘を見下ろしている雨雲は晴れたいと思わないでしょう。道に大きな花が咲いたように見えて、それが動くのですから、雨もそりゃ降りますよ。

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