<読書>傲慢と善良
9月27日映画封切り 傲慢と善良
映画の封切り前に、原作を読んでおきたかったので
どうにか間に合ってホッとしています。
ちなみに、藤ヶ谷太輔君と、奈緒さんが演じています。
楽しみですね。
「傲慢と善良」 辻村深月先生の作品。
アニメ化された「かがみの独城」もおすすめです。
「傲慢と善良」と聞くと、
ジェーン•オースティンの「高慢と偏見」を
思い出しますが、時代は違えども
根底に流れる人間の考え方などは同じかも
とも思ってしまいます。
この作品はネタバレしてしまうと
面白味が半減してしまうので、
注意しつつ、綴っていこうと思います。
婚活相手の品定め
昭和の時代ではこんな風に言われていました。
3Kと言って、高学歴、高身長、高収入。
これは、女の人が結婚相手を選ぶときのお話ですが、
男の人は何を基準に選ぶのでしょう?
小説の中に、主人公ふたりが婚活中に出会った人に対して
「ピンとこない」という表現がでてくるのですが
結婚ってこれから何十年も生活を共にしていかなくちゃ
いけないのだから、「ピンとこない」=違和感がある
は、悪いことじゃないと思うのですが・・・
(おばちゃんだからかなぁ・・・)
相手を品定めすること、今で言ったら、
上から目線で品定めすること。
それは傲慢。
確かにそうだと思います。
そうなのですが・・・
傲慢と気付いて、心痛むなら、それは善良なのではないかと。
本当に傲慢な人はそれさえ、気づきもしないと
思うのです。
考え方は、ひとそれぞれ?
結婚に対しても、何かを選ぶことに対しても
価値観って様々なのかと思うのです。
100人いたら100通りの考え方があって
当然だと。
小説内の二人は、根底のところで
価値観が似ていたと私は思いました。
価値観が同じ、あるいはお互いに許せる範囲の
価値観であれば、結婚という共同生活は
うまくいくような気がします。
何を選ぶにしろ、そのベースの価値観が同じなのだから。
最初の価値観のズレを気付かないふりをして
強行突破すると、悲しい結末になるやもしれません。
昔のことを、思い出しました
遠い昔、付き合っていた彼に言われたことを思い出しました。
小説の中で、主人公の彼女を地獄へと導く
「嫌いな彼女たち」が出てくるのですが。
私の元カレはこう言いました。
「女の子は、少しズルくてもいいんだよ。
駆け引きやだまし合いも、やっていい。
それが、女の子に与えられた特権だから。
正しくなくても、少しズルしても
幸せをつかまないとね、女の子はね」
って。
いまだ、おばちゃんになっても元カレの真意は
測りかねますが。
元カレの言いたいことは、
「自分の幸せをつかむためなら、少しくらいの「悪」に
男は目をつぶってやる」
って言いたかったのかな?
最後に、タイトルについて。
オースティンの「pride and prejudice」の方が
言葉的には好きです。
プライドは「高慢」とも「自負」とも色々と訳されています。
高慢と訳したのは、訳者が内容に沿ってそうしたと思うのですが、
他の訳者は「自負」と訳しています。
プライドは、良い意味もあるし、悪い意味もある。
でも、傲慢って、真っ黒な悪い意味。
キリスト教では7つの大罪が有名ですが、傲慢も
そのひとつです。
(7つの大罪。傲慢、貪欲、邪淫、憤怒、貪食、嫉妬、怠惰)
きっと、辻村先生は色々な考えを持って、「傲慢」
という言葉を選ばれたのでしょう。
でも、結局のところ、傲慢にならずに善良でいたいって
良い子ぶりっこ(どの時代?)の私は
おばちゃんになってもそう思っています。
~あなたのお時間を頂き、お読みくださり、
ありがとうございました。~