【#09】100円硬貨の準備はできてるかい?
1991年(平成3年)5月12日【土】
半蔵 4歳 保育園(年中)
「とんでもないゲームが出てきたわ。今日、うちに来なさい」
「いきなりだな・・・・・・」
保育園に着くなり、花蓮が話しかけてきた。
最近はスーファミのソフトに驚きっぱなしである。
いくらゲーセンのゲームだからって、そんな簡単には“すごい”と言わないと思うが・・・・・・
「どうする半蔵?オレは花蓮んち近いからいいけど……」
イイケンも誘われたようだが、あまり乗り気ではない。
今日は『きんぎょ注意報』の放送日だからだ。
花蓮の家まで、歩いて1時間かかるからな……
ゲームセンターも魅力的だが、家でゆっくりしたい気もする。
「わぴこなんて、ビデオにとればいいじゃない。半蔵がゼッタイゼッタイゼーッタイ好きになるゲームよ」
「そう言って、また金をしぼり取る気だろ?」
「いや、たぶんプレイはできないと思うわ」
『すごいゲームなのに、プレイはできない』だと?
意味不明だ。
そんな言われ方をすると、気になってくるじゃないか。
「さぁ、朝のお歌の時間ですよ~」
さくら先生のきれいな声が教室に響き、みんながオルガンの周りに集まっていく。
「しんぱーい、ないからねー♪」
「きみの おもいが♪」
おっ。
今朝の歌は、僕の大好きな「愛は勝つ」だ。
しかし、僕は“すごいゲーム”のことで頭がいっぱいだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「波動拳!」
鼻タレの僕でも、そこが異様であることがわかった。
2台のゲーム機をはさみ、向かい合って座る二人の大人。
そして、それを囲うようにして見守る大人たち・・・・・・。
「よっしゃ!」
「きぃぃぃぃぃぃぃ!」
勝った人は両手を上げて喜び、負けた人は頭をかきむしる。
大のオトナが、本気で感情表現していた。
「 ストリートファイターⅡよ」
不気味に立っている大人の隙間を縫い、画面をのぞく。
画面では、白い道着の男と青い服の女の激闘が続いていた。
「なんて滑らかな動きなんだ・・・・・・」
「見ろ、ボタンが6つもあるぞ!」
「あっ!女の人が勝った」
興奮して騒ぐ僕たちの前で、ゲームをプレイしていた大人がスっと立ち上がった。
(うるさかったか!?)
怒られると思ったのだが、その人はスッと後ろに回った。
そして、別のオジサンがゲーム台の前に座る。
「花蓮、今のは?」
「このゲームは、一対一で勝負するの。負けたら交代。勝ったら、続けられる」
「ということは、負けたらそこで100円も終わり?」
花蓮は無言でうなずいた。
逆に言えば、勝ち続ければ100円でずっと遊べる、ってことか!?
「このゲーム作った会社、すげーな。シーエーピーシーオーエム!!覚えておこう」
「あのね半蔵、それはカプコンって読むのよ・・・・・・」
次の人は派手な顔をしたお相撲さんを選んだ。
プロロォォォォォ。
キャラを決めた時の独特な音が心地いい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
花蓮が『プレイできない』と言った意味がわかった。
ストⅡの人気は抜群で、大人が行列を作っていたのだ。
そこに並ぶ勇気はなかったし、何より見ているだけで楽しめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
帰り道、僕はふいに立ち止まった。
腰を落とし、両手の手の平を合わせ、後ろに構える。
そして一気に、両手を前に突き出す。
「波動拳!」
もしかしたら、と思ってやってみたが、何も出なかった。
(これでいい。大人になれば、出せるかもしれない)
僕は、強いものに惹かれる性分である。
ストリートファイターのリュウのようになりたい、と思うのは自然だった。
憧れと決意を胸に、家の玄関を開ける。
しかし、そこで待っていたのは、絶望だった。
「ただいまー!」
「おかえり。千代の富士、負けたよ」
バカなっ!
最強の横綱・千代の富士が負けるはずがないじゃないか!!
「ウソ!?誰に!?」
「貴花田っていう人だよ・・・・・・」
タカハナダ!?
聞いたことない!!
テレビには、ちょうどニュースが映っている。
そこにはたしかにあった。
自分より一回りも小さい力士に、土俵の外へ寄り切られる千代の富士の姿が。
泣いた。
泣くのは、たいてい、身体が痛い思いをしたとき。
心が痛くて泣いたのは、これが初めてだったのかもしれない。
(それでも、僕は千代の富士のファンを辞めないぞ!)
夕食を食べながら、そう誓う。
もちろん、この時は知るはずもなかった。
千代の富士がこの2日後に引退してしまうことを。
(つづく)
解説【ストリートファイターⅡ】(ゲームに関心がない方はスルーしてください)
1991年3月から稼働した、カプコンの格闘ゲーム。
ゲームをやらない人でも名前は知っている大ヒット作。
今でも、雑誌の表紙を飾るなど人々の思い出に残る作品だ。
ヒットの要因は、いくらでも挙げられる。
それぞれに必殺技を持つ個性的なキャラクター。
躍動感あふれるグラフィック、ゲームバランスの良さ。
が、最大の要因は、やはり“プレイヤー同士の対戦が盛り上がった”ことであろう。
「一人でゲーム攻略を目指す」閉鎖的な空間が、目の前の相手をぶっ倒す「闘技場」に変わったのである。
人間相手に勝つ喜びと興奮は、コンピュータ相手では得られないものだった。
ゲーム雑誌編集者のブンブン丸は、当時の盛り上がりをこう語る。
ストⅡが稼働した当初、人との“対戦”より“コンピュータ戦“が遊びの中心だった。
しかし、海外で「対戦が盛り上がっている」とゲーム雑誌が紹介してから、日本でも対戦プレイが浸透していった。
ところが、当時は「同じ筐体(ゲーム台)に肩を並べて座って対戦する」形式であったため、日本人の気質的に躊躇されがちであった。
ところが2台の筐体を背中合わせにする配置になると遠慮がなくなり、急速に盛り上がっていった。
(下記ツイートの左側の写真にあるのが対戦台です)
実際のところ、私はゲーセンではやったことがなかった。友人Tの家でのスーファミ版が初プレイである。
波動拳のコマンド(←懐かしい言い方)は知っていたが、めったに出なかった。
昇竜拳は、もっと出なかった。
「歩きながら波動拳を撃つと出るよ」という情報を仕入れてきたヤツがいたが、そもそも波動拳が出せなかった。なお、スクリューパイルドライバーは・・・・・・(略)
こういう事情で、ガイルの使用率が高かった。しかし、ガイルのため技は「6秒以上ためないと出してはいけない」という謎ルールがあったのを覚えている。
学校では、「いちばん難しい難易度でクリアすれば、ベガが使えるようになる」という噂が流れた。
そのため、友人Tは憑りつかれたかのようにプレイしたらしい。その結果、視力が1.0→0.2まで落ち、母親に袋叩きにされたらしい。(結局、噂はデマだった)