「日本の調査機関は小学生みたいな感じ」生存者の声はなぜ無視された?
現実、その1。
私たちは魚をおいしく食べている。
現実、その2。
魚を食べることができるのは、漁船で獲る人がいるからである。
現実、その3.
漁船は命に関わる事故のリスクを常に抱えている。
2008年、漁船の寿和丸は突如沈没。
20人のうち、17人が亡くなる。
3人の生存者は当時の状況を調査委員会に語った。
だが証言は無視され、調査報告書は不自然なものとなった。
なぜ、証言は無視されたのか?
なぜ、寿和丸は穏やかな海で沈没したのか?
『黒い海』はその謎に挑んだ”ミステリーノンフィクション”だ。
『黒い海』の著者・伊澤理江は、真相を知るために関係者に会い、話を聞き、資料を読み込む。
しかし、そこには
という高い壁が――。
※文中敬称略
1.不可解な調査報告書
事故の調査委員会である運輸委員会(行政機関)の報告書は、次の3点が不可解だった。
以下、その3点について書く。
事故当時、寿和丸は休憩のためにパラシュート・アンカー(パラアンカー、パラ泊とも呼ぶ)を使っていた。
横波を受けにくくし、船体を安定させる方法である。
寿和丸の事故調査に専門委員として関わった武田誠一(東京海洋大学の元教授)は、次のように語る。
安全なパラ泊をしているうえ、風は強くなかった。
事故当時、僚船(寿和丸を含む船団のひとつ)が現場に到着した際の風は10メートルだった。
数値でみても、海況は落ち着いていたのだ。
生存者の一人、当時49歳のベテラン・豊田は、弁護士の聴き取りに対して次のように語っている。
しかし、調査報告書の結論は「波が原因で転覆した」であった。
清水勉弁護士は、次のように語る。
なぜ、調査委員会は「波が原因」だという不自然な結論づけをしたのだろうか?
事故の際、寿和丸の船底にある燃料油が流出した。
調査報告書では、その量は「約15~23リットル」と推定されている。間をとるなら、約18リットルだ。
だが、生存者は、海に投げ出された際、油まみれになっていた。
事実、写真を見ると「約15~23リットル」(2リットルのペットボトル8~12本程度)とは思えない。
「油まみれになった」という証言は無視されている。
寿和丸は、転覆しても油が流出しないような造りだった。
油が流出したのは、船体損傷が原因ではないか。
いったい、寿和丸に何が起きたのか?
著者の伊澤は調査報告書の内容に疑問を感じていた。
著者を含む原告団が裁判で開示を求め、一部の資料が公開される。
しかし、それは異様なものだった。
ほとんどが黒塗りされていたのだ。
なぜ、情報公開を拒むのか?
黒塗りにされた資料には何が書いてあるのか?
2.不誠実な対応
寿和丸の船主で、酢屋商店の社長を務めていた野崎も苦しかった。
親から事業を受け継いだ時、会社にあった借り入れ金は40億円。
経営が前向きになってきたとき、大切な乗組員17人と15億かけて造った寿和丸を失う。
寿和丸は2隻しかない網船(魚を獲る船)の1隻だった。
残った1隻の網船も、やがて沈没する。
東日本大震災によって。
野崎は福島県漁連の会長でもあった。自社の経営問題を抱えつつ原発事故に伴う海洋汚染や汚水処理を巡って国・東京電力と向き合わざるを得なくなる。
そうした大混乱の中、震災直後の2011年4月22日に寿和丸の報告書が公表された。
さらに、前述したとおり、調査報告書は不自然な点ばかりで到底納得できるものではなかった。
運輸安全委員会(調査機関)の事務方トップであった柚木浩一は、アメリカと日本の調査機関の規模の違いを次のように表現した。
3.著者の強い想い
『黒い海』の著者・伊澤は、ふとしたことがきっかけで寿和丸の事故を知った。事故から11年後たってからのことだ。
国家公務員は法律で守秘義務が課せられている。
それでも伊澤は取材依頼の手紙を書き、実際に足を運んで”聴き取り”を行ない、真実に近づいていく。
そこには強い想いがあった。
伊澤は”強い者”の『大きな声』より当事者たち『小さな声』を大切にした。
小さな声が「点」となり、「点」と「点」がつながっていく。
少しずつ全体像が浮かんでくる展開は、ノンフィクシでありながらミステリーと言える。
調査委員会は、なぜ生存者の証言を無視したのか?
寿和丸は、なぜ沈没したのか?
この国の調査機関の存在意義とは?
そして・・・・・・伊澤がたどりついた驚くべき真相とは?
――了――