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【図解】私的『人新世の資本論』~長い黎明期編~

マルクスが晩年に関心をもったという原始的な協同体における「生活様式」から「資本制生産様式」はどのように発展してきたのだろうか?現在では人類学や考古学の成果により、彼が生きていた頃よりもその変遷を素描することができるようになってきている。今回、自分なりに図解したことを整理してみた。今回は全5回のうちの1回目だ。

私の『人新世の資本論』についての書評はこちら


まず押さえておきたいのは、人類がどのようなタイムスパンで「集団生活のあり様」を変化させてきたかだ。霊長類である人類の祖先がチンパンジーと進化の袂を分かったのが、およそ600万年前。そして現生人類(ホモ・サピエンス)が登場したのは約20万年前といわれている。

むかし習った歴史の教科書では、農耕の開始とともに定住化が始まり、やがて文明を備えた都市国家が現れる、となるところだが・・・

現在分かっている限りで言えば、人類はおよそ紀元前1万2千年に定住を始めだし、農耕集落の最も古い証拠が見つかったのが定住からずいぶん経った紀元前5千年頃。文字を使用し、城壁を備えた最初の都市国家となると紀元前3200年頃にならないと出現しない。

つまり、現生人類に限ってみても20万年にわたる人類史のうち、およそ19万年は農耕はおろか、定住すら行っておらず、ほとんどの期間を50~150人規模の集団で遊動しながら狩猟採集生活を続けていたということだ。

また、定住化がはじまって以後も、定住を拒んで狩猟採集や遊牧による生活を続けた人たちはかなりいたようで、数は減っているが現在までそれは続いている。

それでは、遊動による狩猟採集生活の特徴とはどんなものだろう。農耕を中心とする定住生活と著しく異なっているのは、生物の生存にとって最も重要なファクターである「食」に対する取扱い方である。

遊動生活では食料のある場所や獲物を探して渡り歩くため、定まった所有地をもたず、そのためテリトリーをめぐる縄張り争いは基本的に生じない。また、得られる食料も腐食しやすいため、皆でその場で分け合って食べざるを得ない。

したがって、食料や獲物を得た人間が自分の食べる分を超えて占有することがおきにくく、すべての成員に平等に分配される。これは、自分がいつも上手く食料を見つけられるとは限らないことを考えれば、当然といえば当然かもしれない。

自分が上手くいかなかったときに食べる物がまったくないよりは、最初から「皆のもの」にして分かち合えるようにしておく方が「食いっぱぐれ」がなくなるからだ。狩猟が上手な人とそうでない人との格差も生じないため、長期的に集団生活をするうえで互いの関係もこじれにくい。

しかし本来、自己保存だけを考えるならば、食べ物はこっそりと独り占めした方がいいはずだ。他の動物でも、せいぜい親子など特定の他者にしか食物贈与がおきないのが普通である。

しかしながら、人類だけが自分と同じ血縁関係にない他者とも気前よく食べ物を分かち合い、もらった相手にお返しをし、さらにそれを良いことだと感じることができるようになった。

人類は食料が豊富にあった森林からサバンナに出たことで、大型獣による捕食リスクや飢餓とつねに背中合わせであった。一定規模の集団を形成し、他者との積極的な協力関係を築かなければ、厳しい生存環境を乗り切ることができなかったのだろう。

また逆に、力づくで獲物を独占したり、自分だけズルをして分け前にあずかろうとする者には、悪い評判や厳しい非難の目が向けられることにもなった。人間が他人の目や集団内での自分の評判をどうしても気にしてしまうのは、集団から見放されては生きていけなかった環境に適応した進化的産物なのだと考えられている。【1】

もちろん、少人数とはいえ複数の家族を結合させた集団である以上、まとめ役の立場をになう人間はいたはずだ。ただし、その場合でも、現代の遊動民の首長がそうであるように、皆に対して気前よく振る舞い、皆の話をよく聞き、トラブルを上手く調停できる人物が選ばれていたに違いない。

副葬品に明確な差がつけられていないことからも窺えるように、優劣によって序列をつけ、格差を生み出す集団ではなかっただろう。

そしてなにより、狩猟採集生活では基本的にその日に必要な分さえ得ることができれば、余って腐らせるほどの食料は必要ない(穀物のように長期保管が可能であれば、貯蓄して後で食べられるため、専横する人間が生じる可能性がつねにある)。

その場に食料がなくなれば、また移動して次の食料を探せばいいのだ。こうして、人類は食料を調達するためにマンモスをはじめ数々の動物を絶滅させながら、さらなる餌場を求めて地球上の各地に拡散していった。

とはいえ、農耕や牧畜生活のように食料を安定的に確保できるわけではないので、自然による再生力を損なうほど、過剰に採取・捕獲することを控えなければならなくなったはずだ。

食餌となる自然環境や生態系を著しく破壊することは、結果的に自らの生存を追い詰めることになると知り、自然との共生を模索していったのだと思われる。

「自然の恵み=贈与」に対して返報する(生贄や供儀などで祈りや謝意を捧げる)儀式が狩猟採集民の間で古代から行われてきたことからもそのことは窺える。人類学者の中沢新一のいう「対称性の原理」(人間の生活世界のロジックと自然界の摂理を均衡させる営み)がそこでは有意に働いていたのかもしれない。

人類にとって大きな転機となるのは、食料が豊富にとれる湿地帯などの肥沃な土地で定住化をはじめ、増えた人口を維持するため、栽培種による農耕や動物の家畜化を本格化させたときである。


【1】
人間は地球上で唯一「血縁種を超えた個体」と(裏切られることを加味しても)自発的に協力することができ、そのことに喜びを感じることができる動物だ。これが何故他の動物では困難なのか。それは協力とは個体どうしが双方向に行って初めて成立するもので、一方的な協力行動は自分の生存確率を下げることに他ならないからである。言い換えれば、人間は「他者」のためには命も投げ出すことも辞さない特性をもつ、そうした個体からなる種族として生き残ってきたのだ。

仲間に対する気前良さや優しさ、協調性の高さは今でも他人の評判を高める特徴である。逆に言えば、横暴で狡賢く自分勝手な人と見做されれば、悪い評判を立てられ、いじめや社会的制裁を受けやすい。こうした特徴は、狩猟採集生活の長かった我々ホモ・サピエンスが、協働して採った食料を集団内で公平に分かち合うために獲得されてきたと言われている。他者の顔色を窺い、相手の気持ちを忖度して機嫌を損なわないように振る舞う―これは何も昨今の日本人に限った行動習慣などではなく、集団内で協調性を高める必要性から自然選択された人間の進化環境に適応した産物でもあるのだ。集団を離れたり、集団から放擲されてはとても一人では生きていけない生存環境だったのだろう。

(②へつづく)


主な参考・関連書籍


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