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本との距離

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現状、本を「好きでも嫌い」でもないけど、「本を売ること」をしはじめた、地方出身・中産階級以下で育ってきた人間が、どのように本と関わってきたのか。 年齢とともに本との距離感が移ろ…
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本との距離⑮(800字)

1~2年生の頃から、時間はだいぶ空くことになったが、5年生になってからやっと久しぶりに腰を据えて"小学生”をやることになった(良くも悪くも義務教育に呑まれていったような)。 2年以上も学校に行っていなかったせいで、授業に慣れるまでにやや時間はかかった。マラソンで痛感した体力どころか、1~2年生まで続けていた(先回りして勉強していた)公文の知識ストックも尽き、ビハインドからの「追いつき、追い越せ!」の状況だったのをよく覚えている。 ただ負けず嫌いなのがよかったのか、6年生に

本との距離⑭(1000字)

島での暮らしは、横浜にいたときに比べたら、何もかもが違っていた。まず放映されるテレビが違う(本や漫画との関連性が今よりもずっと強い時代だったように思う)。そして、流行っている遊びが違う。 すると、同級生との話題づくりに困る。ぼくが知ってるものを相手は知らない。相手の知ってることをぼくは知らない。無駄にプライドが高く、知らないものとの付き合い方も超絶下手くそなとき。 小さな文化(コミュニケーションの)の差異が、学校に馴染むまでの大きな壁となった。おそらく、周りからすれば、ぼ

本との距離⑬(450字)

神奈川・横浜という"やや都会"から、沖縄・伊平屋島という超田舎へ。横浜市内ですでに転校を二回繰り返していたこともあり、生活環境が変わることに対しての怯えはなく、ただただ楽しみばかりがあった。 どこの港を出たかはわからないが、車ごと大荷物を乗せたフェリーは鹿児島を経由して、沖縄へ着いた。(おそらく)那覇で降りてからは、一度、例の奇抜なじいちゃんのところに寄った。もう体は良くなかったと思う(会ったのはその時が最後で、葬式に参拝した記憶がある)が、お年玉替わりの小遣いをくれたのを

本との距離⑫(1100字)

本よりも漫画で、絵を軸に活字に徐々に慣れていった不登校時代(小学3年生、横浜)。家族が持ち寄った単行本と少年誌に支えられながら、カルチャーらしきもに触れていた時期とも言える。 TVアニメ化された作品のおかげもあってか、コロコロ、ボンボン、語呂のいい少年誌にのめり込んでいた。振り返ると、小学低学年がどれだけメディアの影響を受けやすいかがよくわかる。YouTubeはおろか、インターネット検索すらも子どもじゃやらない頃である。 あんなにも本や漫画がテレビと手を組めてのか、その情

本との距離⑪(400字)

不登校児、学校に行かないから、図書館に行かなくなる。そして、本との距離は遠ざかる。そりゃそうか。 そんな時期を過ごしてたとき、本の代わりになったかはわからないけど、漫画がギリギリ活字離れを救ってくれた。家族が持ち寄った漫画も読んでいたけど、もちろん自分でも積極的に漫画を購入していた。 それが少年雑誌類である。とはいえ、『少年ジャンプ』はまだちょっと大人な感覚があった頃である。もっと幼い『コロコロコミック』と『コミックボンボン』を貪りついていた。 ライバル誌である両冊を程

本との距離⑩(400字)

小3の約一年は、家浸りな日々を過ごしていた。いわゆる、不登校だった。それまでは図書室と、同級生との競争心から本に触れる機会をつくってもらっていたのが、突然その読書の接点を失うことになる。 その分、のめり込んだのが漫画だった。なぜか漫画が集まってくる家だった。母は漫画を読むような人ではなかったが、別居した父はそこそこ漫画を読むような人だったと記憶している。 置き土産として家に残る『釣りバカ日誌』に『釣りキチ三平』、単行本でしっかりと読んだ初めての漫画だ。青年雑誌連載の漫画を

本との距離⑨(400字)

文字ばかりの本に慣れつつも、漫画から興味を広げることも覚えた頃、転校することになった。ちょうど3年になる手前だったような。 ついに親が別居することになり、4人姉弟みなで母に付いていく(そのだいぶ前から籍は外していたようで、子どものために一緒に住んでいたとか)。 学校が変わること、仲良い友達と会えなくなることに、いうほど不満があったわけではない。けど、環境の変化にうまく対応できなくて、転校後の学校の記憶はほとんどない。そう、登校拒否をしていた時期があった。 なので、ほとん

本との距離⑧(400字)

シリーズもの、推理もの、そして、文字中心の本に少しずつ慣れてきた小学低学年期。そういえば、転校する前の話として記録しておきたい本があった。 『学研まんが ひみつシリーズ』である。特に、トン子・チン平・カン太の3人組が登場する『トン・チン・カンの科学教室』はよく覚えている。「なぜお風呂だと歌が上手く聞こえるのか」などの日常の不思議に応えてくれる嬉しさがあったし、すぐに試してみたくなる実験の紹介も多かった。 恐竜に宇宙(UFO)と首ったけの頃、化学/科学としての「なぜ」を紐解

本との距離⑦(1226字)

「給食早食いできるとすごい!」みたいな、低学年特有のなんでも競争としてはしゃいでしまう性質のせいで、小学校の図書室でちょっとしたバトルが勃発していた。 貸出カードをめぐる争いだ。 図書室の本の最後のページには、必ず小さな封筒が付いてて、カードが挟み込まれている。そこに過去に借りた人の名前がずらりと記されていた。知ってる名前もあれば、全く知らない名前もあったが、今思い出すと、facebookのように校内の人の情報をかじる媒体としてカードは存在していたんだなあ。 まずは、本

本との距離⑥(400字)

あの頃のぼくにとって、「図鑑」は、チョコボールの「おもちゃのカンヅメ」くらい期待に胸を膨らませてくれるものだった(しかし、金銀のエンゼルをすべて集め切ったことはない…...)。 時期は同じくして、小学低学年。ぼくは横浜は都筑区の小学校に通っていた。今と違って、まだまだこれから開発していくぞ、というエリア。母の意向か、家の近くに畑も借りていて、たまにその作業を手伝っていた記憶がある。 その頃は、まだまだ外で遊ぶのが楽しく、家に帰ったら、駄菓子屋に立ち寄り、公園に集まることの

本との距離⑤(400字)

小学生になる前、ビデオきっかけでゲゲゲに出くわし、妖怪を覚えた。その影響は、しばらく続く。 『妖怪大図鑑』にはじまり、地続きのページが展開していく『絵巻えほん 妖怪の森』にはどハマりし、暇さえあれば眺めていた。熱量と反復の掛け算とはすごいもので、知ってる妖怪の数がどんどん増えていった。 ここで書きながらの気づきがある。「図鑑」との出会いは、まさにここだったのだ。「いろんな種類のもの・ことを、分類しながら、まとめて確認できる本」ってお得だな、と幼いながらに感じていた。 ヒ

本との距離④(800字)

壮絶10代を過ごしてきた母が選んだ本に囲まれて、牛歩以下、かたつむりのようなブックライフがはじまった4~5才。まずは絵本から。 『じごくのそうべえ』以外にも記憶に残っている絵本はいくつかある。『どろぼうがっこう』に『グリーンマントのピーマンマン』は、共働きのなか、母が読み聞かせしてくれたのを覚えている。 泥棒だって勉強するんだなぁとなんとなく思ってたし、(クレヨン)しんちゃんに共感できるほどにピーマン嫌いだったのもあり、食べると嫌いなのに読むと好きになっちゃう絵本のキャラ

本との距離③(1191字)

大学生のとき図書館で雑誌ばかり貪っていた、という話から、さらに過去に遡ってみるとしよう。朧げにも記憶が残る4~5歳くらいから。 その頃は、横浜の鶴見に住んでいた。マンションだったかアパートだったか定かじゃないけど、父母姉兄ぼく弟の6人家族、2~3LDKくらいの広さでギュウっとして暮らしていたような気がする。その記憶の中にかすかに本棚があった。 そして、ぼくは絵本にそれなりに親しんでいたと思う。以前触れた『じごくのそうべえ』と出会ったのもこの頃だった。 父はさほど本を読む

本との距離②(400字)

恥ずかしながら、20代までを年間1万も本に使わない生活していた。と書いた。本離れはしてたけど、雑誌には、活字にはどうにかしがみついていた。 大学生になった18歳からは、暇あれば大学図書館にいた。手にするのは図書館の奥にある難解な本ではなく、図書館の外のエントランスにあった、表紙やレイアウトに惹かれる雑誌だった。 AERAの最後らへんにあった(今でもある)「はたらく夫婦カンケイ」というコラムを毎週楽しみにしていた。彼女なし童貞野郎だったくせに……と今思えば、なんとふざけた娯