【1本400~2000字を、月5~10本配信】 「あの世とこの世」のように「都会と田舎」を行き来する編集者の、SNSでは書ききれない日々の生活や考察、ついSNSの建前で包み隠してしまう本音のぶちまけ、コンテンツの雑感などをぬるっとお届けします。 メンバーさんからの「こういうの書いてみて」があれば、なるべく投稿できればと。あと、そのうち、本や映画の感想戦、日々のモヤモヤの共有、ちょっとした企画づくりの場も+αでととのえられたらと作戦練ってます。 馬鹿にかまってください。
「一杯目だからとりあえず生で」という「とりあえず」に対して「(ほんとはレモンサワー飲みたいのに)とりあえずに流されていいんだろうか?」とモヤっちゃうような方に向いてそうなプラン。疑いつつ、探るように「とりあえず」に飛び込んでみてくださいませ。
大見謝
日記(のようなもの)
TENG(テン)の活動で考えたこと/感じたことを、書くか喋るかで記録してきます。
猫たち(たら、とび、よね、みそ、もず)と古民家で暮らしてます #NAWAFIVE
コンテンツを観た/聴いた/読んだ感想や考察、ときどきメモ
現状、本を「好きでも嫌い」でもないけど、「本を売ること」をしはじめた、地方出身・中産階級以下で育ってきた人間が、どのように本と関わってきたのか。 年齢とともに本との距離感が移ろってきた記録を辿ることで、「本を読む」意識が芽生えた瞬間を探っていく。
「くるいえぐる」という技がある。 と書いても意味が通じないと思うので、丁寧に書こう。ポケモンカードをやるなか、トドロクツキexというポケモンが使う技に「くるいえぐる」がある。 自分がダメージを受けながらも、どんなにHPが高いポケモンでも一撃必殺で倒せてしまうえげつない技だ。ひらがな表記でやさしく見せているが「狂って、抉る」のだ。そりゃあ、えげつねぇわけですよ。 その「くるいえぐる」様子を想像してみるに、トドロクツキ氏の一生懸命さが目に浮かんでくる。闇雲に暴れ回っ
「あいつは、あのときのおれだ」 ときどき、街中で人を見かけたときに思うことがある。 直近でいえば、たまたま入った喫茶店で、ぼくの後から入ってきた親子。その3~5歳くらいの息子さんのビジュアルというか、鼻垂れ具合というか、ぼけ〜っと世の中のすべてを陽気に捉えてそうな空気感がまさしく「あのときのおれ」だった。 唯一、手元に残っている幼いとき(幼稚園時の運動会?)の写真には、今みたく、世界と自分(のできてなさ)を憂う人間になる気配をみじんも感じられない。 ましてや
点と点を結んだら、線や面ができあがっていく。点だけじゃ見えないけど、線や面になれば、見える化する。そのための会社、"みえるかカンパニー"としてTENG(テン)がある。 2020年にできた弊社TENGの社名についての覚え書き。 ①水木しげるを追って、鳥取にきた。社名にするなら、大山にゆかりの何かがよくて、どうせなら妖怪がらみがいい。お、「大山伯耆坊」という天狗がいるんじゃないか。 ②これまでの自分の役割って、つなぎ、むすび、まぜ合わせることが多かったんだよな。地域
いつから心にもない「いいね」を押すようになったのか? 自問自答ではなく、身近な人に投げかけてみたい、ちょっとした疑問。 InstagramでもFacebookでもTwitterでもなんでもいい。SNSのタイムラインを眺めてた、自然と湧き起こった「いいね」の気持ちに釣られて指も動いて押された「いいね」と、人間関係だとか商業性が絡んだ「いいね」は色が違う。 特に後者の商業性でいえば、「自分のアカウントをのぞいてね」というPR目的の足跡としていいねを付けるなんて手法が
今日は、アシスタントのとある記事執筆についてのふり返りを行った。企画、リサーチ、取材、執筆までを本人にやってもらい、ぼくは最後の編集を担当した。 編集される側になって初めて気づくが、誰しも「書き方の癖」を持っていて、やりがちな構成や常用句がある。今回は、編集する側として、1年前との変化を感じつつも、その子らしい修正箇所があって、その部分(「リード」について)を広げてじっくりと話した。 ただ一番の問題は、執筆前の取材にあったことが発覚する。ようは、媒体とテーマに合わ
「毒にも薬にもなるもの」。 「お酒」なんてのはわかりやすく、毒にも薬にもなる(もともとは、薬として飲まれ始めたもののはずだけど、用法要領を間違っちゃうとアレよね…..という話で)。 週1とはいえバーカウンターに立つ身としては、薬になりうるお酒を提供しようと心がけてるし、物理的(身体的)はもちろん、精神的にやわらぐものであればいいなと考えている。 こっからは毒は無視して薬の話をば。 何が薬になりえるのだろう。これは"精神"に作用するほうとして。人によって違うか
火曜日は、休みだ。 休みだから、何してもいい日なんだぜ。おっしゃ。 自営業(フリーランス)の働き方の場合、「いつ休むか」を凄まじく意識しないと中途半端に休むことになり、つまりは、休めているようで休めていない状況になりがちだ。これは良くない。だから、働く意識と仕組みを改善に取り組むようになった。 弊社TENGというか、自分の場合、「火曜日に休む」そして「年に一回は一ヶ月休む」を念頭に置きながら稼働している。といっても、これも実験中の休み方なわけで。 1ヶ月休暇
SNS全般、印象づけ(あるいは、刷り込み)が必要だなぁと噛みしめるている。"いるけど、いない人"になればいいのだ。 「仕事で必要だから使ってしまっている」SNSを少しずつ離脱していくために、Facebookを止め、LINEと(あえて)Twitterはパソコンのみに切り替え、触れる時間を減らしてきた。 そのおかげか、受け身で勝手に入ってくる情報の煩わしさはほとんどなくなっていた。ときおり、(たまにメッセンジャーに連絡してくる人がいて)Facebookを覗くのだけど、そ
「結論から話せ」 …….という「結論ファースト」について考えされる仕事のやり取りがあった。 …….というか、おそらく誰しも話を聞いてて「あれ、このおじさん(先生、上司、後輩etc.)、何が言いたいんだろう」ともどかしくなることはあるだろう。反対に、話者として「しゃべり始めちゃったけど、どこに着地していいかわからない!」と結論迷子になってしまうこともあるはずで。 そんなときに、結論ファーストが有効かどうか、って議論はいくらでもできそうだ。仕事柄、文章の指南書をいろ
その一言、一連のくだりに全力を注ぐ。全身全霊で挑んでいく。って、どんな感じなのだろう。自分がこれまでに手をつけたものの中にそんな取り組みがあったか。 やや感傷的になりそうなので、こっからは隠れてぶつぶつ言おう。
ぶっ倒れるように寝、気がつけば朝だった。 少し仮眠をとって、また夜中に起き上ろうと思っていたけど体が重たかったんだよな。怠け心を加味しても、一昨日の営業の疲れを引きずったまま、朝イチで出かけ、初のポケカ大会に参加し、そのあとリサーチも含めて歩き回ったんだ(データみると15kmくらい歩いてた)。そりゃそうだわ。 納得して、ごろごろしてたら、布団(+寝袋)の上には猫が2匹いる。多少の重たさを感じながらも、どけるほどではない。逆にどけたら、気持ちよく寝ているこいつらが不憫
目が覚めたのは10時半、そこからだらだらスマホで調べてごとをしていたら、お昼過ぎ前になっていた。14時にはお店の開店準備をしに行かなくちゃいけない。それまでに作っておきたいチラシや、販売用の商品の整理もあって「やらなくちゃ」がドスンとやってくて、気が重い寝起きになった。 テントから抜け出し(家内だけどいつもテントで寝ている)、歯を磨き、シャワーを浴びる。ついでにパーカーの染みを抜くために、ウタマロ石鹸となんかよくわからないが効き目が良い海外の洗剤を使って、もみ洗いし、漬
お店を閉めてからの帰り道。時刻は23時前。鳥取の田舎だもんで、右も左も畑や田んぼの畦道を通る。 ちょっぴり風が強いせいか、木々が振り子のように揺れている。少し先に見えてる植物は、木よりも軽いせいか、ぐわんぐわん揺れ、まるで生きもののように動いている。「暗闇×植物」の組み合わせは、怪しく、ビビる気持ちがあればいくらでもお化けに見えてしまうだろう。 お化けを含む「妖怪」という存在がいかにしてつくられてきたのか、その原体験をさせてもらっている気がして、心地よかった。
生きづらさ、という言葉を耳にするようになったのは、10年ほど前の24~25歳のときだったと思う。とある福祉関連のメディアのお手伝いをしていたこと、重なるように家族友人知人の中にもいわゆる"病み"を抱える人も増えた時期だった。 最近のことを考えれば、昔よりも「発達障害」だと「うつ病」だとかも社会的には言い出しやすくなった気もする。根性論・精神論だけで片付けられてていたことが、新たなカテゴライズされ、安堵した人も多かったんじゃないだろうか。性質など先天的に持って生まれたもの
何かを思いつきたいのだけど、何も思いつかない。そういうことある。クソほどある。自分の凡庸さにあきれちゃうよ。まったく。 次やるイベントの企画だったり、記事として書くネタだったり、今晩の夕飯メニューだったり、いろいろと思いつかない。なんでか、頭がプスプス鳴ってショートしてしまっているようで、思考停止。こうなったら、閉店ガラガラ。 パソコンをのぞき込んでも、ノートを眺めてみても、無、無、無、無、虚無と、真っ白だか真っ黒だかの世界が広がっている。机の上に座っているだけで、う
子どもたちと続けて遊んでいると、その変化(成長)に気づくことがある。そんな遊びだとしても、それは変わらない。たとえば、ポケカ(ポケモンカード)。 自分ややっているお店では、「ポケカミングデイ」と称して、定期的にポケカをひたすらやる日をつくっている。子どもから大人までポケカをやりたい人で集まって、対戦したり、デッキついて情報交換したりするオープンな日になっている。 2週間に1回のペースで確保しているポケカミングデイ、それが今日だったんだけど、小学低学年の子が遊びにきて