上野公園でじいちゃんとおにぎりを食う #祖父と終戦記念日
長く続いた梅雨が明けて、うだるような暑さが続く。
東京はこんな状況になっているけれど、週に何回かは出社している。先日、暑さで汗びっしょりになりながら「一ミリも働きたくない」と憂鬱な気持ちで会社に向かっていると、小学生くらいの男の子が、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて散歩しているのを目にした。
小さな男の子がおじいちゃんと手を繋いで歩く後ろ姿を見るといつも思い出すのは、昔頻繁に訪れた上野公園の光景だ。都会のど真ん中で育った生粋の江戸っ子であり、かなり文化的だった僕のじいちゃんは、上野の美術館や博物館によく連れて行ってくれた。
午前中に上野駅で、じいちゃんと待ち合わせる。
お気に入りのおにぎり屋で、お昼ご飯を買う。
緑豊かな上野公園を、汗をかきながら2人で歩く。
お目当の展示をやっている館内に入ると、キンキンに効いた冷房がとても気持ち良い。
静けさの中で、じいちゃんは食い入るように展示を見ている。
それをみて、僕も負けじと解説を頑張って読んで、じいちゃんに話しかける。
でも途中で飽きてしまって、椅子を発見したら座り込むようになった僕を見て、じいちゃんは笑う。
お昼にしようかと言って、公園のベンチに座って買ったおにぎりを食べる。
大抵、2人とも唐揚げや卵焼きもついてくるおにぎりセットを選んだ、美味しい。
昼ごはんを食べたら、もう一度別の展示を見るために博物館に向かう。
夕方頃になると博物館を出て、ちょっと散歩したりじいちゃんは写真を撮ったりしながら、駅へ向かう。
電車に乗る方向は一緒で、僕の方が先に電車から降りる。
電車の中に残ったじいちゃんが見えなくなるまで、僕は手を振って降りたホームから見送る。
僕が歴史や美術にそこまで詳しくないのに、博物館や美術館に行くのが好きなのも、おにぎりとちょっとしたおかずのセットが好きなのも、じいちゃんの影響が大きい。じいちゃんのことはもちろん、じいちゃんが愛を注いでいるものも大好きだった。
毎年8月15日が近付くと、じいちゃんは少しソワソワしていた。母が「終戦記念日が近いからね」とよく言っていたことを思い出す。東京が火の海になったときの話を、じいちゃんは悲しそうに、辛そうに話してくれた。その話の内容は後世に引き継がれるべきであり、もっと書き残しておくべきだった。後悔している。ただ同時に、僕が代弁してじいちゃんの言葉を一言一句なぞったところで、その切実さまでを他の人に伝えることはできないだろうとも思う。
僕が次世代に対して、できることはなんだろう。
4年前、仕事の合間に原爆ドームを見学したころから、ふと考えるようになった。その時には、既にじいちゃんはこの世からいなくなってしまっていた。
ぐるぐると考えていると、いつも辿り着く答えが一つある。
それは、大好きだったじいちゃんと過ごした大切な思い出を、それが成り立っていた理由とともに、拙くてもいいから、自分の言葉で伝えていくことなのではないか、ということだ。
上野公園のベンチ、青空の下でじいちゃんとおにぎりセットを頬張ったこと。
母が手土産に作ったカレーを大事にリュックにしまって、相鉄線に乗ってじいちゃんに会いに行ったこと。
熱が出て寝込んでいた僕に、看病に来たじいちゃんが近所の弁当屋でひたすらおにぎりを買ってきて、食べ過ぎた僕は結局ゲロを吐いたこと。
地元の祭りでじいちゃんが遊びにくると、張り切って神輿を担いだこと。
思春期真っ盛りの高校時代、合唱祭を見に来たじいちゃんがニヤニヤしながら拗ねてる僕を見ていたこと。
お酒を飲んで愉快になったじいちゃんが歌う歌は、ただただ音痴だったこと。
時には笑えて、時にはもどかしくて、時には寂しくなる、忘れられない思い出を、じいちゃんは僕にたくさんくれた。それは、辛い戦争が終わった、平和になった日本だからこそ、できた思い出なんだ。当たり前のように理解していても、日々を過ごしているうちに忘れてしまうようなことを、僕は忘れないでいたい。
せめて1年のうちに1回だけ、8月15日だけでも、こうして思い出して、こうして文字にして、誰かに伝えるようにしたい。
僕は、じいちゃんの孫としてこの時代に生まれることができた奇跡に感謝している。
奇跡 / くるり
<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。
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