雨の中でも駆け出せた
「もっさん、もっさんってば!!!」
店長の浅井さんの声にハッとした。
コンビニの店内に流れるラジオは、いつ聞いても同じテンションで、同じような曲が流れていて、バイトを終えた後には何も記憶に残っていない。
でも、ラジオが流れていたという記憶だけはしっかりとこびりついていて、くだらない話や音だったはずが、最終的にはラジオという大きなメディアとして記憶に残っていることがなんだか図々しいな、とか考えていた。
まとまらない自分勝手な思考の途中に、浅井さんに呼ばれたことで、夢から目が覚めたように不思議な感覚だった。
「え、はい、ごめんなさい」
「いや、謝らないでいいけど。もっさん、顎出てるよ。何か考え事していたでしょ」
浅井さんって、意外とよく周りを見ているなと思った。
私は何かを真剣に考えこんでいたり、疲れがたまっていたりすると歯を食いしばる癖があるようだ。
浅井さんに指摘されるまでに気づかなかったが、思い返してみれば、家に帰ってお風呂に入る時にこめかみにかすかなだるさを感じることがあった。
上下の前歯の位置を合わせてかみしめているようで、少し顎が出てしまう。そんな姿をまた浅井さんに発見されて、少し恥ずかしかった。
「きょうは何を考えていたの」
「え、ラジオってすごいなって」
「ラジオってすごい?この曲好きなの?」
浅井さんは本当に優しいのだ。
私が自分の思考から覚めたばかりで浅井さんとの会話に気を回しきれず、よくわからない返答をしたとしても、こうやって話を広げてくれる。
「従業員に辞められたりしたら僕がつらくなるだけだからね」とよく憎まれ口をたたくが、それも全く嫌味がない。
「いらっしゃいませ!私レジ行きます」
「よろしく!この辺の商品は僕の方でやっておくから」
「ありがとうございます」
もうすぐ午後5時。
夕方のラッシュアワーに合わせて、コンビニも混み始める時間だ。
梅雨の時期に合わせたように、私の心はくさくさしていた。
本で読んだのか、フォロワー0のTwitterで見たのか、ドラマのセリフだったか覚えていないが、心に残っている言葉があった。
「地元懐かしいな。変わったところもあるけど空気は同じだね」
そんな言葉に、腹が立っていた。
私にとって、地元は懐かしくない。常に変化があって、空気が同じだとも思わない。
過去のものだと決めつけられ、そこに生きている自分のことを過去のものだとされたことにイライラとしていた。
私は大きな音が苦手である。
電車の警笛、大型トラックの走行音、音楽室で耳にしたリコーダーの不協和音。音を聞いたときにドキッとするのはもちろんこと、イライラとしてしまう。
リコーダーに関しては自然と涙が出てきてしまう。平衡感覚が奪われ、椅子から転げ落ちそうになったこともあるくらいだ。
「地元が懐かしい」という言葉に触れた時、そのときのような感覚で、ドキッとしてイラっとして平衡感覚がおかしくなった。
言葉にそこまで動揺したことは初めてだった。
でも、考えさせられることも事実だった。
私は今、どの時代を生きているのだろうか。
「あやか~、ごはんだよ」
母やおばあちゃんに言われて、「はーい」と返事をする。
読みかけの漫画を切りの良いところまで読もうと思ってそのままにしていると、「ちょっと、早く!!」ともう一度声がかかる。
私は「はいはい」と不遜な態度をとってからリビングへと行く。
私が読んでいた漫画は、小学生の時に買った少女漫画。大好きなその作品を、大人になった今でも読み返している。
中身を知っている昔の漫画をずっと読んでいる私は、小学生のころと何も変わっていないのではないかと思う。
「はいはい」と返事をして渋々リビングに行く私だって、小学生と変わっていない。私は日常を繰り返しているだけで、小学生と同じ時間を過ごしているのではないかと思ったりする。
またある日。
炎天下に自転車をこいでいると、ふと懐かしい道へと方向を転換する。
かつて光一くんと歩いた道、一緒に笑った交差点、キスの味がするかげろうが見える道をふと通っている。
その時、光一くんの八重歯も上唇も思い出して、一瞬だけ強く瞬きをする。
光一くんと疎遠になってから何日も、何カ月もたった今、思い返しては切なくなる時間を過ごしている私は、過去に生きているのではないかと思う。
バイトの行き帰りには、そこに櫂くんがいるのではないかと思ってしまうこともある。信号待ちをしているとき、何気なく後ろを振り返る私は、どこを見ているのだろう。
「地元が懐かしい」という感覚に違和感を覚えつつも、私も地元にある懐かしさのカケラを拾って生きているのではないかと思ってしまう。
朝から降り続いた雨は、バイトが終わった夜にもまだ降っていた。
朝に比べて勢いが増し、東京都全域に警報が出ていた。
深夜のシフトの従業員2人と軽く挨拶をして、出口から外へ出る。
店先にあるむき出しの蛍光灯に照らされた雨を見ると、この雨さえも昔から幾度となく繰り返されていることで、私が過去に生きている証拠のように思えてしまう。
「櫂くんに、傘借りたなあ」
そう思い出して、くさくさ度はさらに高まる。
「もっさーん、また顎出てますよ」
突然の声にぎょっとすると、そこにいたのは店長の浅井さんだった。
「きょう俺もこの時間に上がりなんだ~。駅まで付き合ってよ」
徒歩1分の駅まで、浅井さんを送ってあげることにした。
「最近さ、何か悩みあるの?顎出ている回数多いよ」
「え、そうですかね」
「何か悩みがあるなら言いなよ」
「えっと、」
「本当に悩みあるの?マックでも入る?」
打ち明けようとする私を前に、浅井さんが意外と動揺したことが少し面白かった。
結局、マクドナルドではなくてその隣にあるパン屋に入った。
私は温かいカフェラテ、浅井さんはジンジャーエール。店内の効きすぎたクーラーを寒いよねと言いながらジンジャーエールを飲む浅井さんは、なんだか中学生みたいだった。
「悩みって何さ」
「あの、変なことを言ってもいいでしょうか?」
「まさか辞めるとか?もっさん辞めたら困るよ~お願い辞めないで」
「違いますよ」
「ああ、ごめんごめん」
「浅井さんって今何を目標に生きていますか?」
「ん?え?はい?」
目を丸くした浅井さんがうっすらと笑っている。
単純な動揺にも見えるが、嘲笑されているようにも見えて、言わなければよかったかなと少し後悔した。
でも、浅井さんは一通りおちゃらけたあと、右手を顎にあって、視線を泳がせている。徐々に眉間にしわがより、二重の目元に力が入りくっきりとしてくる。
「子供のためかな。彼ら彼女らが大きく健康に成長できればいいなと思っているよ」
「お子さんのため、ですか」
「自分の未来を託しているとまでは言わないけど、成長している姿を見るのが楽しいよ」
「あの、失礼ですが、自分の人生はどうでもいいんですか?」
さすがに失礼な質問をしてしまったかなと思った。
レジの女性がお金をしまったあとに勢いよく閉めたレジの音がやけに耳に残った。
浅井さんは真剣な表情を少し和らげていう。
「自分の人生、まあつまり幸せってさ、点みたいなものじゃないかな」
「点ですか」
「この点って2つの意味があって。点をつなげて線になるみたいな考え方があるでしょ。ああいう感じで、人生って色々な出来事、つまり点があると思うんだよね。
それをたまに振り返って線でつなげてみる。そうすると、今の幸せの形がわかったり、面白い形が浮き上がったりして、生きていることの意味や幸せがわかったりすると思うんだ」
「なるほど…」
「説教くさくない?平気?」
「はい、全然」
私はカフェラテをひと口すすって、少し目をそらす。
浅井さんもジンジャーエールで口を潤す。
「ははは。じゃあ続けるよ。もう一つは得点という意味での点。俺は、人生は加点式だと思っている。
自分の幸せも他人の幸せも家族の幸せも、どんな出来事を幸せと捉えて加点するかを決めるのは自由なんだ。
俺たちはそんな嬉しい点数を加点していきながら生きている。その点数を他人と比較する必要は一切なくて、自分で何を、どのくらい加点していくのかは決めていい。そうやって生きているんじゃないかな」
「お子さんの成長を、幸せとして加点していくということですか?」
「両方の意味を含んでいるよ。
小さかったころの思い出も、未来の成長を願っていることも、将来大きくなったときにしゃべれることも全部幸せな点で、もう少し年を取ったときに、その点と点を結んで自分の人生の形を見てみることも楽しみなんだ。それと、日々子供たちと過ごせる日常を、自分の人生の幸せな得点として加点している。だから今は子供成長が一番の楽しみかな」
私は、「へぇ~」しか言えなかった。
過去を振り返ることも、今の目の前の幸せを噛み締めることも、全部を肯定してもらえた気がして結構感動していた。
普段はおちゃらけて、みんなが働きやすくなるように気を使ってくれているな~というぐらいの印象しかなかった浅井さんに対して、はっきりと尊敬の念を抱いた。
その気持ちをなんと表現すればよいかわからなくて、間に合わせの感想しか言えなかった。
「ひいた?笑」
「いえ、あの、ありがとうございました」
「え、何。やっぱり辞めるの?勘弁してよ~」
浅井さんは笑っていたが、私は笑えなかった。
目の前にいる人の哲学に触れて、心に響いて、たやすい表現ができなくなっていた。
ガラス張りの店内から見る外にはまだ雨が降っていたが、櫂くんや光一くんのことを思い出すわけではなく、浅井さんの言葉をかみしめるために雨を見ていた。レジやほかのお客さんの声ではなく、外で降る雨の音が私に染み入っていた。
「怒っている?」
浅井さんは真剣な顔で聞いている。
「いえ、全く。本当にありがとうございました。」
深々と頭を下げた私に、「やめてやめて」と慌てる。
そして私が顔をあげると、ぷっと噴きだした。
「もっさんさ、顎出てるって。落ち着いて」
「地元が懐かしい」と振り返る人たちは、幸せをかみしめていたのかもしれない。
昔の自分と今の自分を結んで出来上がった形を思って幸せを感じていたのかもしれない。
幸せだった日々を思い返して、自分の人生の点数を上げていたのかもしれない。
懐かしいの言葉の裏に隠れた、安心感や哀愁を思うと、彼ら彼女らの言葉に対して、もうイライラする気持ちはなかった。
そして、自分自身の行動を否定することもなくなった。
櫂くんに借りた傘も、光一くんとの道も、サドルで濡れたお尻も、環くんと会った日に感じた自分のずるさも、全部が自分だ。
それに自覚し、それらの点を結んでも結ばなくてもいい。勝手に形ができていてもいい。
母や祖母の声を幸せなものとして、人生に加点しても良い。
自分の人生は自分で作っていくんだね。ありがとう浅井さん。
浅井さんを駅まで送り帰路につくと、前のほうに母が歩いている姿見える。
「お母さん!」
母に声は届かず、振り向かない。
もっさんは一度足元を見つめて、ぎゅっと傘を握る。
母に向かって駆け出していた。
↓これまでのもっさんシリーズです↓
<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月
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