下北沢駅前の居酒屋チェーンで
大学3年生の春、就活の影が見え隠れするようになってきた頃の話だ。
ティーンの頃から音楽が大好きで、その音楽を仕事にできたら幸せだろうなあ、と漠然と考え始めたタイミングで、当時よく読んでいた音楽雑誌が「音楽業界で働くとは?働くには?」という内容の講座を開くというお知らせをたまたま見つけた。
「ここに行けば夢が叶うかも」と少し興奮してすぐに申し込み、月に数回下北沢に通うことになった。
講座には、僕と同じように音楽業界に憧れている学生や、異業種から音楽業界への転職を目指す社会人など、いろんなバックグラウンドの人たちが10人程度集まっていた。
歳や職業はバラバラ。
それでも音楽という共通項があり、会話のテンポ感が噛み合う感じがあって、気付けばなんとなくみんな仲良くなっていた。
ちなみに、このOLiでともにエッセイを書いている環と出会ったのは、この講座がきっかけだった。それから10年以上経っても、僕と環は仲良くしている。
今まで遊びに行く場所でしかなかった下北沢にそれっぽい講座という真面目な理由で通っていること(しかも定期的に)、講座終わりには必ず社会人の方々と飲みに行けることがとても楽しい上に、他の人とは違うことをしている感じがして、ちょっとした誇らしさがあった。大学やバイト先の友だちに、それとなく自慢するようなこともあった。
講座の最終日も、それまでと変わらず飲みに行った。
ゆるく盛り上がって、何人かが終電を逃して、朝まで飲むことになった(元からそのつもりで飲んでいたかな?)。
僕や環みたいな大学生だけではなくて、社会人の方も何人か付き合ってくれた。今にして思えば、社会に出てから学生と朝まで飲んでくれるなんて、なんて優しい人たちだったんだろうと思う。
たしか何軒目かに、始発が動くのを待つために駅前の居酒屋チェーンに入った。
酔いが回って、良い感じに睡魔が襲って来る時間帯で、寝始める人もいた。
僕はそのタイミングでお腹か減ってしまって、ざる蕎麦を頼んだ。
目をシパシパさせながらそばをすすっていると、出版社で編集者をしていた方に
「君はこの時間に蕎麦をすするのがすごく似合うねえ。太くんが社会人になってからの姿がなんか目に浮かぶわ」
と笑われた。
時間帯的にも、その人は何も考えずにその言葉を口にしたと思うけれど、僕はその言葉がすごく嬉しかった。
通っていた講座の内容はほとんど覚えていない。
覚えているのは、その講座に行って少し焦りはじめていた自分の気持ちだ。
音楽業界が狭き門だとか、そういうことではなくて、僕は自分自身に焦りを感じた。
僕は、人より知識があると思っていた音楽のことを全く知らなくて、何もわからないことばかりなんだと、その講座で思い知らされた。
そんな自分が業界を目指すことは烏滸がましいと思ったし、講座で「すごいな」と感じた人たちのように、音楽への愛情を持つことはできないなと、諦めのような感情が湧いていた。
だけど、当時の自分にとって音楽はアイデンティティーだった。
「音楽にちょっと詳しいこと」を捨てた瞬間、僕には何も残らないのだ。
少し途方に暮れるような気持ちもあって、じゃあどんな業界、どんな企業に就職したら良いのか。
見当も付かなかった。
だからこそ、真夜中に蕎麦をすすっている姿に、朧げながら働く輪郭を与えてくれたその一言は大きいもので、それをきっかけに僕は働くということを考えられるようになった。
音楽雑誌は難しくても、出版社なら自分にもできることはあるんじゃないか。
いや、もっと広げて、広告代理店とか、テレビ局とか、イベント会社とか、いろんな選択肢がある。
これからの時代はインターネットだし、それに強い会社に行くのも良い。
どこを選んでも忙しいだろうし、家に帰れないこともあるだろう。
でも僕は真夜中に居酒屋チェーンで蕎麦をすすりながら、「仕方ねえから明日も働くかあ」とか言って、同僚と笑いながら、懸命に働くのだ。
講座が終わってからも、僕は下北沢に通って、環と遊んだり、ライブハウスでイベントを開いて朝まで飲んだりした。
次第に就活に突入して、内定をもらって、社会人になってからも下北沢に定期的に足を運んだ。
社会人になってしばらく経ったときには、少しの間だけど下北沢周辺に住んだ。
僕にとって、大人に足を踏み入れはじめた青春時代を過ごした下北沢での時間は、一つひとつがすごく輝いている。
その中でもとびきりの思い出のひとつが、あの真夜中の居酒屋チェーンで蕎麦をすすった時間なのだ。
下北沢にはもうしばらく行っていないけれど、再開発が進んでいるあの街に、まだあのチェーン店は残っているんだろうか。
これはもう青春じゃないか / THEラブ人間
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