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8月の自己紹介。生き辛さを紐解く
こんにちは。個性収集・研究家のおかゆです。
2023年4月から対話を通じた思考整理・才能分析のサポートを始め、約1年が過ぎ去りました。
私は現在30歳、今年31歳になります。
思い返すと、ここ最近、毎日「今が一番生きやすい。今が一番幸せ」と感じているように思います。
今回は、8月の自己紹介として。
私にとっての「生き辛さ」を、紐解いていこうと思います。
私の特徴
26歳から今までかき集めてきた、私を表す言葉はこちらです。(一部)
先天的気質:HSS型HSP/洞察系HSP/内向型
行動傾向:マルチポテンシャライト(スラッシュアプローチ)
MBTI:INTJ
ストレングスファインダー上位10資質:収集心 着想 学習欲 最上志向 個別化 責任感 内省 運命思考 ポジティブ 目標志向
数秘:LP1 D6 S2
エニアグラム:5w6/5w4
DiSC理論:C(Conscientiousness)慎重型
ウェルダイナミクス:ダイナモ/スチール
あとは特徴的なことでいえば
・小学生の頃から環境問題に関心がある
・世界の裏側で起きていることに心を痛める(気温が高い日は北極で氷がとけているんだろうなと悲しい、等)
・小さいころから周りよりも落ち着いていた
・集団に馴染めず距離をとって観察していた
・周りに気を遣いすぎて頭を抱える
・相談するのが苦手
・本人は普通にしているつもりなのに、真面目と言われる(地雷ワード)
・背景や全体像がわからないとモヤモヤする(しかし周りには気にしない)
・多くの人が気づかないことに気付く
・自分がしたことの影響を先々まで考える
・映画や小説で号泣する
・洞察が深いといわれる
あたりです。多くの人が気づかないことに気付く、でいえば、仕事で(他の人はやらないような粒度で)過去の案件まで遡り、他の方のミスに気付いてしまい…と、「(会社としては)気付けてよかったけど、気付いてしまったゆえにその人を傷つけてしまった…」と結構、微妙な立場になることもあります。。
皆はどんな世界を見ているんだろう?
なんで、気付かないんだろう?
気にしないんだろう?
なんで、なんでー?????🐧
というのを今でも思う、そんな探究者です。
自己分析ツールや占いなどでも、大体、レアなタイプの結果になります。
自分とマジョリティとの違いを知らないうちは、とても生き辛かった。
巷の情報発信への怒り
突然ですが、私には巷の情報発信への怒りがあります。
ここでさす『巷の情報発信』とは、SNSやメディア等、多くの人が閲覧できる、1対多数の一方向的な情報発信、を指します。
その前提でお伝えすると…
「これさえやっとけばok!」
「頭の良い人がやっている習慣」
「人生に失敗する行動」
など、タイトルならわかりやすさ重視になるのは理解できつつも、その中身さえも「これだけやっとけ!!」みたいな表現がされている内容はザワザワします。
受け手は、これを「この人はこう言っているけれど、他の可能性もあるかもね」と読みこめているのだろうか。
昨年たまたま、長年社会科の教員をされている方とお話する機会がありました。哲学にも精通されている方。
その方に
『目にみえないことがわからない人が多いように思います』とお話したところ、
『目にみえないことがわからないことよりも、文章を読めない人が多いことが問題だと思いますよ』
と。筆者/著者の伝えたいことを汲めない、理解できない、曲解する、というニュアンスだと思います。ゆえに、教育面でいえば問題文を読み間違えたり、SNSでいえば一部だけ切り取って勝手に解釈する人もいたりするわけです。
これは、人が如何に自分の都合のいいように情報を受け取るか、ということにも表れていると思います。
・書いてあることを素直に受け取り過ぎてしまうこと
・自分の都合のいいように解釈すること
この両方が起きえている。人間って、複雑ですね…
ぶっちゃけた私の現状
突然、愚痴になってしまいました。
なので、巷の情報発信への怒りがあるので、「わかりやすさ」のみに囚われたくない、というのが私のスタイル。私はできるだけ、伝えられる私のことはオープンにしたいと思います。内なる秘めておきたい想いもあるタイプなので、言わないこともあるけれど、嘘はつきたくない。
「今が一番生きやすい。今が一番幸せ」
と申し上げました。
しかし、ぶっちゃけた話でいえば、
・悩みがない
・ストレスフリー
・どんな状況も耐えられる
・敏感さが消えた
・怖いことは何もない
というわけではありません。
(どんなスーパーヒューマンですか、とも思うが)
今でも、悩むことはあります。ストレスを感じることも、耐えがたい困難に直面することも、世間一般よりも強いであろう敏感さも、怖さも、あります。
けれど、それらが、昔の自分に比べたら
「あるけれど、付き合えるようになった」
「その存在を許容範囲として受け止められるようになった」
というのが、齟齬の無い表現になるかと思います。
生き辛さとはなにか
「生き辛さ」とは、なんでしょうか。
結論、人によるとは、思う。
今の時代、多くの人が「生き辛さ」を抱えているように思う
— おかゆ🐧の個性研究所 (@oky_pngn) July 31, 2024
あなたの生き辛さは、どんな感じ?
私が記憶のある時からもつのは「他者とのコミュニケーションでの生き辛さ」。困った、ストレス…という質感でなく、理解されない、通じ合えない
異文化コミュニケーション
しかも訳し方がわからなかった
今の時代は、終身雇用が終焉をむかえつつあり、変化が激しくて、隣の隣のその先の隣のなんなら別の街の芝生まで見えてしまって…
多くの方が、窮屈さ、生き辛さを感じているように思います。
私の生き辛さは「他者とのコミュニケーションがうまくとれない」ことでした。小さい頃から、つい最近まで。特定の人じゃなく、家族を含めてほとんどの人。同じ日本語を話しているのに、異文化の中にいる感覚。
そもそも、頭で考えていることと口が繋がったのが、ここ1年くらいの体感です。
少し前までは、人前に立つのが恐怖、急に話をふられても困る、フリートークとか無理…!!という感じでしたが。
今は、その時に感じていることを、その時の言葉で出せるし、完ぺきとは言い難いけれど、相手にも理解してもらえるような表現をできるようになった気がしています。
これがつい1年前くらいからなので、小さいころはそりゃあもう、話すのが苦手だった。
小学生
小6の頃、親族の中で大きな出来事がおこる。それに付随したことを外には言ってはいけない、うまく過ごそう、というところから、私は「大人の対応」を覚えたように思います。
言ってはいけない、なんて大人たちには言われなかったけれど、勝手に空気を読んで「普通の家庭」「自分は大丈夫」と見せるようになった。
親にも自分の本心はいわず、周りの大人に相談するという選択肢すら私にはなく、「相談する」「頼る」という手段を獲得できずに成長した、というのが振り返ると実感すること。
現在もわりと、大丈夫なフリのプロ。(うまく使っている)
あとは母が外向型、私が内向型で、そういった違いにも困難があったように思います。じっくり一人で考えて結論を出したい、みんなよりも身内で過ごしたい。そういったことが、うまく伝わっていなかった。
学校教育でも外向型を求める傾向があるので、積極的に手をあげる、とか、皆の前で発表、とかも嫌でした。今も嫌です。
とはいえ、小学生までは周りとの違い、というのは「自分は落ち着いている方」「友達関係はどこか特定のところに所属するわけではないが、それを周りにとがめられることもない」という感じで、疎外感はなかったように思います。
中学生
中学にあがってからが生き辛さを加速させたように思います。思春期って、激しい人も多い。何も悪いことをしていないのに強く当たられる、うまく自分のことを表現できない人間は『弱者』とみなされて、攻撃される。
私は中学1年のときに半年ほど運動部に所属していましたが、言葉がでてこなくて「もういいよ」、プレーに失敗した時に「ごめんで済んだら警察いらないよ」と言われたことがあります。思いかえすと、今でも怖いですね…。。
(相手と相性が悪かった、競争にあまり興味がなかった、というのもあると思います。)
高校
部活動を3年間していたのですが、部活終わりに皆が帰らずにグダグダしていること/通学路で広がったり電車内で騒いでいたりすること/部活中に私語が多いこと などがかなりストレスでした。
当時の私はだいぶトゲトゲしていたので、部活中の私語に関しては個々人のパフォーマンスにも関わることもあり、まぁ強めの口調で注意していた記憶です…たまにだけれど。(切れ気味の高校生おかゆ)
たぶん、そういうところが「真面目」って言われるところだったんでしょうね。あの集団の中にも、言いたいけどいえない人もいただろうけれども。なぜ多くの人は、その状況における全体最適や、周りの迷惑(通学路や電車内は一般の人もいるし、実際怒られてることもあった)を考えられないのか。
まぁ、学生だから、ちょっと騒いでいるくらいがいいのか…?
周りのことを考えすぎて良い子ちゃんなのも、成長の過程としては心配…しかしうるさいのとにぎやかなのは違う(迷走)
そんなこんなで、ただ周りの状況をみて「こうした方が良い」と思って行動したり口にしていたりすると『おかゆは真面目だよね』といわれ、面倒臭い/硬すぎる/近寄りがたい そんなニュアンスを(勝手に)受取り、また孤独感を覚えていました。
人間関係で深く悩んでいたのが高校時代。ここで人間不信に陥りました。もうほとんど関りがありません。
自分を苦しめる縁は、離れて良い。流しても良い、というのが持論。
大学
大学は興味関心が近い人が集まり、落ち着いた人が多かったので結構楽しく過ごせた。けれど、やはり人が集まる場は苦手でした。
サークルの歓迎会や飲み会。できるだけ、行きたくない。頑張っていっても、自分の話はしたくない。話をふられるのが苦手。(今でも、聞いている方が好きではある)
三年次、四年次は、研究室に所属していました。研究室に「ちゃぶ台」という、10人はつかえる大きめの机がありました。私は、皆で集まる場所が苦手なので、ちゃぶ台にはできるだけ近寄らないようにしていました…笑
荷物だけ置いて、あとは自分の実験卓に移動。実験中は自分のことに集中できるし、皆もそれぞれ真剣にやっているので、少人数でたまに雑談しながら…という距離感が心地よかった。
研究室旅行は、大人数での移動や食事がとても苦手でした。共通の話題が難しいし、数日間毎朝…だんだんなに話せばいいかわからん。仲の良い子数人の旅行だったらいいのだけれど、色んな人がいて、どの席に座って…というので変に気を遣ったり神経をすり減らしていました。なんであんなに、団体旅行って疲れるんでしょうね…?
話しやすい子、自分の深いことまで話せる子、気持ちの良い子なんだけれどなんだか苦手な子…、その違いはなんなのだろう?というのを深く意識し始めたのは、大学からだったと思います。
社会人
長くなるので、ざーっくり。
転職4回、オンラインコミュニティ、講座、コンサルなど含めて、18カ所に所属してきました。
2018年からの6年間で300名以上の方と1:1で対話する機会がありました。どんな人とは心地よくて、どんな人とはしっくりこないのか。その検証と、自分にとって居心地のいい場所や関係をひたすら求めていたように思います。
それで、やっとたどり着いたのが、いま。
傷つきやすくも一生懸命いきるキミに伝えたい
HSPというキーワードで繋がれた人
副業やフリーランス、仕事を頑張りたいという想いで繋がった人
コーチングや自己理解をきっかけに繋がった人
私にはたくさんの繋がりができました。
その中でも、私の一部と似ている人、近い感性を持っている人、似た葛藤をされてきた人…とも出会うことができました。
今まで、自分に似ている人がいないと感じていました。
私は一生、誰にも理解されない、と10代で絶望していました。
そんな私に、この場でちょっとした手紙を送ろうと思います。
10代の私へ。
なんだか予測もつかないところまで、きたよ。
キミと似ている人が、この世界にいたよ。
キミのことを、どんなキミであっても全肯定して、受け止めてくれる人とも出会えたよ。
どんな個性を持った人同士でも、ひとりひとりの見ている世界は違うから、100%理解しあえることはありえない。
だからこそ、寄り添っていきたいし、相手の視点を想像していきたいよね。
キミは、そのままで、いいんだよ。
もし困難があるのであれば、それを否定せず、とことん向き合ってみよう。
そうしたら、その困難が、いつかキミの味方にもなってくれる。
だから、「大丈夫」と私は、キミに伝えたい。
そんな想いで、活動しています。
だいたいが、理想主義であったり、抽象的であったり、何言っているかよくわからない部分があると思うのですが、私は、
・自分に理解者がいないと感じている人
・挑戦したいけれど強い不安がある人
・周りと自分の違いがわからず困難さを抱えている人
・コミュニケーションで生き辛さを感じている人
・治療という質感ではないと思うけれど、悩みを抱えている人
そして、それでも、他者と共に生きたい人。
そんなあなたに向けて。
あなたの存在を、私は肯定したい。
年齢とか立場とか生まれとか、性別とか趣味嗜好とか
それもあなたの一部で、『全て』ではない。
人はこんなにも多様で、一人の人が色んな一面をもっている。
誰かと分かり合えることも、分かり合えないこともある。
そういうことを、伝えていきたいです。
長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
現在、気軽にセッションを受けていただけるように9/23までキャンペーンを実施しているので、良かったら遊びにきてください。
(ちゃっかり宣伝、けれど知ってもらいたいから、大事だと思っている)
それでは。この世界のどこかで、また。