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満ち足りることに気付く

2024.10.18(金)23:21
なんでこんな時間にnoteを開いてしまったのだろう、とちょっと後悔しながら、しかしなにかを書かねばならない衝動に駆られてぽちっとボタンを押下して今にいたる。

さきほど、危険なメソッド、という映画をみていた。
コーチング関係の人におすすめをされた作品だ。

実話に基づいて、心理学者として有名なユング、フロイト、患者であったザビーナの関係性から当時のドラマが描かれている。
(映画として脚色されている部分もあるらしい)

ザビーナ・シュピールラインについてはいくつか書籍も出ている。
彼女を単なる神経症の患者、不倫相手という観点で終わらせてしまうことは計り知れない気づきの機会に対する損失である。

この場では映画の感想というよりも、映画をみて今感じていることを綴っていく。


私は、心理療法家ではない。
心理士関係の資格を持っているわけではないし、精神分析に精通しているわけでもない。しかし、彼らが口にする言葉の意味合いはなんとなく通じ合えるものがあったように思う。

ユングは「偶然は必然」と説いた。
偶然を偶然と捉えるのも人間だし、偶然を必然と捉えるのも人間であるな、と思う。

ザビーナとユングの対話。ユングとフロイトの対話。
フロイトとザビーナの対話。

言葉にすることはきっと表面的な意思疎通のこともあれば、その表情や奥底の温度感が言葉以外にも表れていて伝わることもあるのだと思う。

だから「対話」であり「会話」なのだと思う。相手と対して、会って、話すのだ。

ここから少し飛躍するが、現代の中でも、対話が足りないな、と思うことがよくある。

家族の中、友人関係、恋人同士。仕事の中でもそうだ。

『結論から言う』

これはとても端的でスマートで素晴らしい情報伝達手段の一つだと思うけれど、その端的にするために削ったことは、「無駄な情報」とは言い切れないと思う。

本人が感じ取ったこと、今後のなにか必要になるかもしれないヒントが眠っていると感じるのである。それは「過程」を大事にする私だからこその意見なのかもしれないけれど。

最近では「コスパ」と「タイパ」という言葉もでてきた。(もう少し前に出現したように思う)
タイパの究極系って、寝て起きて、秒速で物事が過ぎ去っていって、それを突き詰めると生きる喜びや感動が減っていくことなんじゃないかと思う。本人が無駄だと思うことを省くのは、取捨選択として必要だと思うが、遊ぶことにタイパが必要か?と考えると、好奇心の塊である私はそうは思わない。

大人だって全力で駆けまわったり、かくれんぼしたり、縄跳びしたり、なにいかをつくったり、そういうことに時間を気にせず熱中することだってあるのだ。それって幸せじゃない?

あとはデートにコスパやタイパの概念を持ち込み過ぎると、愛を見失うと思う。

話を戻すと、そういう「感じること」や「伝えること」を端折っていくと、心が動くことが、どんどん減っていってしまう気がする。他者と通じ合う、自分自身の内的な部分と外的な部分が繋がる。この感覚は満ちた人生をいきるためにとても必要なものだと思う。

なので、今日のテーマ

「満ち足りることに気付く」

というのは

・あなたは何をすると満ち足りますか?
・今のあなたは、実は満ち足りていることはありませんか?

そういう問いかけをしたかったのである。

大変な状況にいる人だったら、後者の質問は酷かもしれない。
それは申し訳ない。
けれど、実はなにか、あなたの中に大切な思い出や、誰かとの約束がありませんか。

それが、あなたを突き動かす動力源なのではないかと、思います。

思い出の中の自分や、大切な人と対話すると、きっと今自分が本当にしたいこと、願いというものが見えてくるのだと思います。

そんなことを、夜と霧の内容を思い出しながら言葉にしてみました。



なんだか、誰かと話したいなぁという気持ちで、この金曜の夜を終えたいと思います。

私がしたいのは、コーチングやカウンセリングという具体的な手法というよりも、ただ「話がしたいよ」。
あなたの人生について聞かせてください。そして、あなたの人生がより面白い、幸せな方向に向かう、その過程に関わらせてください、という想いでいるのです。

なにかを実現したいけれど、不安を感じている方へ。
周りとは違う異質さを感じていて、自分のことがよく分からない方へ。

また、どこかでお会いしましょう。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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