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遺書となるはずだった文
前書き遺書本文は、2023年2月6, 7日の2日間で執筆した文章となります。
初めて本記事を投稿したのが2023年2月8日。
その後、この『前書き』については何度も加筆・修正をしています。
2024年10月23日現在、私は存命であり、またこの前書きを直しています。
さて本文は題の通り、私本人が自死決行に向けてしたためた、「遺書となるはずだった文」となっております。
当初は実母に向けて書き始めた
解放こそゴールである
幼稚園の運動会
徒競走で走る彼らを、理解できなかった
なぜ走る?
1位になったとして、何が得られるだろう
2位になったとして、1位を欲することはない
1位になることの意味が、分からないから
3位になったとして…
5人でのレース中、5位になったとして
なにか問題があるか?
私の感覚では「ない」のだが
彼らは、平然と歩いて5位になった私に言った
「悔しかったね」
と。
悔しいとはなにか
「負ける
脱糞について本気出して考えてみた②
さて、以下の記事で「脱糞」について触れた。
(糞を手で触ったということではない。)
上記記事の最後で言及したように、脱糞について少し真剣に考えてみようと思う「きっかけ」となった事件があった。
今回は、この事件について触れていくとする。
(触ってない。)
◼︎ 本編先日電車内で、ある初老の男性に出会った。
しかし一目見た時から、彼の様子は不自然だった。
臀部に右手を添えながら、おぼつかない足取り
脱糞について本気出して考えてみた
「糞を脱ぐ」
いや、「大便をすること」の能動的な言い方が、「排便」であるとすると、
受動的な行為である「脱糞」は
糞が「脱げる」
と表現するのが正しいのかもしれない。
というわけで、今日は脱糞について語るとしよう。
◼︎ 本題小便の排泄も快感を得られるのだが、大便の排泄はまた別次元である。
体積・質量の問題であるのか、形状に依拠するのか、あの感覚は代替できない。
クリトリス、Gスポット、
知らないことを教えてもらう
「私は彼女のことが好きである」、という事実をそのコミュニティ内で流布することは、苦しくなかった。
冷やかしもあったが、むしろ「彼女」の親しい友人・彼女の周りが、この話題で盛り上がってくれることで、好影響を及ぼすパターンも想定できた。
当時そのコミュニティ内で私が信頼していた「先輩」も、彼女のことを好いているらしく、よく私に進捗を聞いてきていた。
同じくそのコミュニティ内で、私と最も近しい間柄にあっ
向かう先が一緒なら嬉しい
深夜0時はまわっていなかっただろうか。
日中は賑わいを見せる、この小さな商店街の一本道にも、人通りが少ない。
気温は0度近かったか。
寒さに震えながら家路を急ぐ、私の視界の右端に、彼が現れた。
ここはなんの店なのか?
通る度に気になって覗いてみるも、結局はよく分からなかった、そんな馴染みある店舗「らしきもの」の入り口ドアの前、2段だけある緩やかな階段に、彼はもたれ掛かっていた。
怪我でもしたのか
【私が最近絵を描く理由】
母によれば私は幼少の頃、絵を描くことが好きだったらしい。
にも関わらず、絵・工作・美術といった科目を、どうしても好きになれなかった学生時代。
おそらく原因は、私の幼稚園時代に遡る。
おもひで
あれはたしか幼稚園年少期、早生まれの私が、3歳になってすぐの頃だったように思う。
お絵かきの時間だった。
お題はなんでもよかった、はずなのだが…
よく思い出せないのは、消し去りたかった記憶だったからなのか
机の引き出しの奥にいつまでもあって、捨てられないもの
上の記事を投稿したのがもう2年前くらいになることに驚きつつ、とはいえ自分の投稿のなかでも一番好きくらいのものなので、埋もれてしまわぬように。
ぜひ読んでみてくださればと思います。