マガジンのカバー画像

哲学日記・メモ

153
運営しているクリエイター

2021年12月の記事一覧

雑考・メモ「メモ・写真とは何か・虚構と事実の狭間としての」

雑考・メモ「メモ・写真とは何か・虚構と事実の狭間としての」

メモ・写真とは何か・虚構と事実の狭間としての

写真が「それは・かつて・あった」という証人の座を失い、写真は真相を語らなくなり、むしろ「騙し・欺き」の道具に転落したのはそう古いものではなく、しかし今私たちはもう騙され欺かれる者などいるはずもない。私達は「騙し・欺き」を透過して、写真のその虚構性を楽しむ時代に生きている。虚構を虚偽と一蹴するのではなく、虚構を楽しむ私達にとって、真実とは虚構をより際立

もっとみる
雑考・メモ「当事者性・生き延びる為の独身者のコミュニティの事」

雑考・メモ「当事者性・生き延びる為の独身者のコミュニティの事」

メモメモ・当事者性・生き延びる為の独身者のコミュニティの事

生活の為・生き延びるための当事者性を考えるのならば、独身者のコミュニティというものは、切実にあってもよいとおもいます。最小単位のコミュニティは家族だという考え方は確かにあるし、大切なことではあるけれども、ここに固執しすぎる事は危ういような気もするから。時代は変わっていく。そして、うーん・・・家族って何だろう?

2021年12月 岡村

雑考・日記・メモ「護教論を超えて・・・すなわち哲学」

雑考・日記・メモ「護教論を超えて・・・すなわち哲学」

護教を超えて・・・すなわち哲学

護教論と哲学は異なる。信仰に篤く、知識に溢れ、答弁パターン適用の勘が良かったりすれば、その護教家は最強だ。しかしそれはやはり哲学とは異なる。すごいなぁ・・・とは思うが尊敬の対象にはならないし、対話していてもあまり面白くない。うーん・・・批評と言うよりも否定的な物言いになってしまったけれども、護教論からは知の飛躍は起こらない。飛躍こそが知の要でもあるのだろう、と考え

もっとみる
哲学・日記・メモ「方位への問いからメタ自体への問いに向かうという事」

哲学・日記・メモ「方位への問いからメタ自体への問いに向かうという事」

前後左右・東西南北の名づけ方はどうでもいい。要はそれが水平軸の方位の命名であるという事。この水平軸の命名である「前後左右」の後にそのメタとして「上下」が生じる。さらに上下が生じてそのメタとして「内外」が起こる。そしてまた更に「内外」が起こる事で「未来・過去」と言う時間軸が定まってくる。「前後左右」の方位のクオリアを超えて「上下」のクオリアが生じ、そして「内外」のクオリアが新たな方位として生じ、「時

もっとみる
哲学・日記・メモ「生活・暮らし・在り方の弁別」

哲学・日記・メモ「生活・暮らし・在り方の弁別」

生活・暮らし・在り方の弁別

「生活」は生き延びるための「具体的な手段」の総体であり自助に通じている。生活はだから、私が如何に生き延びるかを目的としている。

「暮らし」はこの「生活」を保障する為の生活のメタにある「図式的な方法」でありその内実は公助と共助にさらに別けることが出来る。
そして「暮らし」は如何に良く、または善く暮らすかを目的としている。

しかし「在り方」は、「生活」や「暮らし」とは

もっとみる
雑考・日記・メモ「かわいいを考える」

雑考・日記・メモ「かわいいを考える」

「かわいい」を考える

以下『かわいい論』ちくま新書 四方田犬彦 からの発展的考察・メモ。

赤子がかわいらしいのは可能性に満ち満ちているからであろう。満ちている。と言う事はなにものでもないという事である。だからすでになにものかになってしまい、そこに縛られている者にとっては、可能性に満ち満ちた赤子は羨望と嫉妬の対象なのかもしれない。しかし「彼」は、可能性をそぎ落とす「自由」によってようやく「彼」と

もっとみる
哲学・日記・メモ「信から認識へ、そしてその先へ」

哲学・日記・メモ「信から認識へ、そしてその先へ」

信から認識へ、そしてその先へ

「信じる」のは「疑い」があるから信じようとするのであろう。「疑い」を払拭しようと「信じる」のだから。だとすれば「信」と「疑」は必ず対している。対したうえで「信」は「疑」を無くし「信」そのものに至ろうとする。とするとその「信」の極北に在るのはもはや「信」ではないのだろう。何故ならばそこには「疑」はもはやなく、つまりその対を為す「信」は望みが適い自ら霧散してしまっている

もっとみる