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雑考・メモ「メモ・写真とは何か・虚構と事実の狭間としての」

メモ・写真とは何か・虚構と事実の狭間としての

写真が「それは・かつて・あった」という証人の座を失い、写真は真相を語らなくなり、むしろ「騙し・欺き」の道具に転落したのはそう古いものではなく、しかし今私たちはもう騙され欺かれる者などいるはずもない。私達は「騙し・欺き」を透過して、写真のその虚構性を楽しむ時代に生きている。虚構を虚偽と一蹴するのではなく、虚構を楽しむ私達にとって、真実とは虚構をより際立たせるためのものでしかないのかもしれない。だから私達が真実を口にする時でさえ、実はそこに価値を置いているのではなく、虚構の価値付けにむいている。真実とは虚構の、その潜在的な可能性を展開するための跳板でしかない。真実が唯一であり必然であるのに対し、虚構は多様と偶然と可能性が混然とした潜在性である。この虚構の為にこそ真実は必要とされている。古来真実を求める故に虚構を排してきた、東西問わぬ文化を根底から否定するような、虚構と戯れる現代の文化は、しかし私には悪いものとは映らずにむしろ楽しい。ただその楽しさのただ中で生じる問いがあるとしたら、「虚構を求め愉しむのは何故か?」と言う問いである。そしてこの問いを立てる事で、虚構は単なる愉快を超えて、真実とかみ合う事が可能になるのではないかと思うのです。

2021年 岡村正敏

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