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哲学・日記・メモ「方位への問いからメタ自体への問いに向かうという事」

前後左右・東西南北の名づけ方はどうでもいい。要はそれが水平軸の方位の命名であるという事。この水平軸の命名である「前後左右」の後にそのメタとして「上下」が生じる。さらに上下が生じてそのメタとして「内外」が起こる。そしてまた更に「内外」が起こる事で「未来・過去」と言う時間軸が定まってくる。「前後左右」の方位のクオリアを超えて「上下」のクオリアが生じ、そして「内外」のクオリアが新たな方位として生じ、「時間軸」はその最後の方位のクオリアなのだろう。

と、ここで考察を終わりにしてはいけない。ここから問いが始まらなくては。ここから問いを為さなければ。しかしそれはどのような問いなのか?

それは「前後左右」と「上下」と「内外」が生じる起因である、その「メタ」に関する問いである。「メタ」は事実だ。事実という意味では確かに私たちは「メタ」を知ってはいる。しかし「メタ」とは何なのか?または何故なのか?と言う問いにはおそらく全く答えられてはいないのではないか。せいぜい「メタ」の活力を「蕩尽」と同一視して「生命の充溢」と語る事で行き詰まっているのではないか。
すると「生の充溢」に尚足りないものがあるとすればそれは何か。
「終焉」の観点なのかもしれない。





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