雑考・日記・メモ「かわいいを考える」
「かわいい」を考える
以下『かわいい論』ちくま新書 四方田犬彦 からの発展的考察・メモ。
赤子がかわいらしいのは可能性に満ち満ちているからであろう。満ちている。と言う事はなにものでもないという事である。だからすでになにものかになってしまい、そこに縛られている者にとっては、可能性に満ち満ちた赤子は羨望と嫉妬の対象なのかもしれない。しかし「彼」は、可能性をそぎ落とす「自由」によってようやく「彼」となり、社会の中に位置(≒居場所)を得る事ができたのだ。だから彼のその社会的位置は、赤子にとっての優位でもある。そしてこの彼の「羨望・嫉妬」と「優位」が相殺された結果、「かわいらしい」と言う入り混じった感情が生じるのだろう。
だから時として「かわいらしい」が嫉妬に傾くとき、それは「グロテスク」な相貌を垣間見せもするのかもしれない。
2021年12月6日 岡村正敏