宮岡志衣
宮岡志衣のショートショート。短編小説。メモ書きの夢。
メモ。まあしょうみ投稿するもの全部独り言なんですけどね…………
〇朗読や絵などに活用してくださいませ。 あらすじ 『私(アオイ)』には幼なじみの『桂樹(ケイジュ)兄ちゃん』がいる。 私たちは、暇さえあれば自転車に乗って、家からほど離れた場所にあるダムへ遊びに行き、その美しいエメラルドの鏡面にうっそりとして過ごしていたのだが… 時が経つにつれて兄ちゃんと疎遠になる ──思い出の場所に帰ってきた私。 決して交わることのない二人の話。 許可不要ですが、『 #月の泉 』とつけてSNSにアップして頂ければ、喜んで拝見しに伺います。 ─────
大して仲良くもない友達と遊ぶ約束を立てたお陰で、物凄い憂鬱になってしまった……遠いし。物理的な距離も心理的な距離も遠いのよ。 久々にFacebookなんか開くからこうなったんだわ。小学校の同級生って言ったってあんま覚えてないし、母校は廃校したし。 …で、明日 東京湾で待ち合わせだって。 いや、東京湾って日本地図で見りゃあ小さいけど、待ち合わせ場所に指定するにはデカすぎるでしょう。感性が違いすぎて、きっと会っても話が噛み合う気がしない。増々憂鬱になる。 シンプルに苛立っ
ちきゅうの栓が抜けて、ずるずる水が吸い込まれてくるような夜だね 音を立てながらどこかへ消えていく浴槽の中を覗き込んで、ぼくは小さな穴を見つめる 水が抜けきる手前の瞬間は一層音が響くのだ 溺れてしまいそうにボコボコと空気を噴き出して、穴がこちらを見つめ返してくる 排水溝のもっともっと沈んだ先の暗い夜に、ぼくらは居た。さいしょからずぅっと。 月はもう光すら見えない。見てくれない。
黒く暗い空気が音を立てて車を撫でる。 11月の高速道路。18時を過ぎればば辺りはすっかり闇に包まれる。 窓から見える無数の灯りはきらきらと輝いて空の星よりも強く大きく輝いていた。まるでその光が宝石箱のように美しく愛おしいものに見える。それがたちまち滲んでぼやけた。 父の運転する白い車の一番うしろ。 イヤホンをさして鼻をすする。奥の方がツンと痛くて目が熱い。嗚咽が小さく漏れた。 前に座る母が何も言わなかったのは、ただ聞こえないふりをしてくれただけなのか、車を引っ掻く黒い闇が邪
重ったるい空気が体の表面を撫で、肺にぬるりと入り込む。 太陽に焼けたアスファルトは夜に取り残されて、てんで爽やかとは掛け離れた焦げ付く匂いを薄明かりに持ち越すのだ。 道路脇に咲く百日紅は暑さに負けて、紅い花はすっかり醜く灰色に項垂れていた。 心がこうも靄に掛かったように燻るのは、如何したものか。 情景が蘇るのだ。生ぬるい風に当てられた昔むかしのことを。 当時私はまだ高校生で。 そして彼女もまた同じだった。 共に夢を語らい、屈託なく笑いあうこともしばしばあったが、私たち
『トラウマってさ、自分の意思では消せない記憶でしょ。』 ────────── 5月の夜は風が心地よく吹いていた。 ようやく仕事を終えた23時、上司と共に駅に向かう。 朝は土砂降りだったのに、すっかり雨はやみ、役目のなくなったビニール傘をふらふらと揺らしながら、私は少し前を歩く上司を見ていた。 また、変な咳をしている。 仕事中もやたらと咳き込んでいて、しかし普段から病弱そうな顔をしているだけにあまり気に留めていなかったのだが。 「病院行ったらどうですか?」 「え?
令和六十一年。日本では何度目かのペットブームが人知れず去り、春の終わりに盛るネコたちの押し付け合いが横行していた。 古く遡れば、人の子も同じ憂き目にあっては『間引き』のように捨てられることもしばしばあったそうだが、最早人間より機械で溢れた現代社会では、いっその事その頃の子らが降って来れば良いのにと政治家が冗談を言う程である。 しかし、そんな戯言さえアッという間に水に流されてしまう。 なぜなら世界はネコを中心に回っているからだ。 ネコ、ネコ!ネコ!!! 年々ネコのいる店の
今のつらいは明日の幸せだと信じて生きて、足場は砂。食べるものも砂。人の形をした砂の眼に見られ、ざらつき水気のない時間を過ごしておりました。 禍福は糾える縄の如し、という言葉通り、大きなワザワイは後にコウフクに転じると信じていたのです。 遠い目で見れば言葉の表す通りなのかもしれませんが、縄の節は拳より膨れあがり不格好に編まれていきます。 不揃いな縄に嫌気が差し、丁度節目に差したとき、まァ、なんと謂いますか、私は少し、編むことを辞めました。 季節はアッという間に一巡し、そして
サモトラケのニケと、アポロンとダフネ、という作品が好きだ。 どちらも彫刻作品である。 ニケは頭と腕の欠損した、翼の生えた女神像。 後者は、クピドに射られたアポロンが恋に狂い、美少女のダフネを追いかけている像だ。ダフネは拒絶し、神である父に願いその身を月桂樹に変えた。柔和なダフネの指先から木の芽が硬く生える様が実に美しく映えている。 像の時間が止まってるのではなく、我々の生きる時間が彼らの瞬きよりも何万倍も早く過ぎ去っているだけなのかもしれない。そんな錯覚をする程に、石の
不登校は不幸じゃない、か。 それでも、私は今も鬱々とした日々を送っている。 宿題が苦手だった私の実家の本棚には、かつて学校で配布された名前すら書いてないテキストや、答えを丸写ししただけの折り目のない綺麗な冊子がそのままにある。 なんの思い入れもない。 そのままだ。 私はあの頃から何も変わらずにいる。 不登校だった私は、無職になった。 21歳。大学は2年通ってドロップアウトした。 とはいえこの件はややこしく積み重なった事情の上の止むを得ない選択なのであまり気にしない