東京湾の人魚
大して仲良くもない友達と遊ぶ約束を立てたお陰で、物凄い憂鬱になってしまった……遠いし。物理的な距離も心理的な距離も遠いのよ。
久々にFacebookなんか開くからこうなったんだわ。小学校の同級生って言ったってあんま覚えてないし、母校は廃校したし。
…で、明日 東京湾で待ち合わせだって。
いや、東京湾って日本地図で見りゃあ小さいけど、待ち合わせ場所に指定するにはデカすぎるでしょう。感性が違いすぎて、きっと会っても話が噛み合う気がしない。増々憂鬱になる。
シンプルに苛立って「で東京湾のどのへん?何駅?」とDMしたら「桜木町☺️」と返ってきた。
マジで最初からそう言えば良いだろうよ 。
めっちゃ普通に女子大生じゃん。腹立つわ。桜木町のこと東京湾って呼ぶな腹立たしい。
溜息をつきながら返信を打って、携帯を閉じた。
『了解。じゃあ14時に👍おやすみ』
さて、クラスのアルバムでも開いて話のネタ探してから寝よ。なんか試験前の一夜漬けみたいな気分だ。
居た居た……4年2組、ミヅキ。あー写真見たら懐かしくなるなあ。
そう、そう……思い出した。ミヅキは虚言にまみれた女だった。クラスメイトは気味悪いと言って嫌がっていたけど、バカな私はミヅキの言うこと全部真に受けて話を聞いていた。七不思議とか、呪いのなんたらとか、幽霊が見えるとか、実は人魚なんだ、とか。
意外と思い出せるものだな。
私も負けじと幽霊っぽいものを報告していたりした。
それで、5年生になってすぐくらいにミヅキは転校した。
転校してから「もしかして、私はあの時からかわれていたのか」と疑ったりもしたけれど、真意を聞けぬまま10年近くが経った訳だ。せっかくなら明日はそんな話もしてみよう。
刺々していた気持ちは少し凪いで、遠い桜木町への憂鬱が薄らいだ。
広い駅でもミヅキは存外すぐに見つけられた。白いワンピースを着て、片手にプラスチックの可愛いバケツを持って待っていた。
風変わりだなぁと躊躇いなく言えば照れて笑って見せた。
「ねぇ、ちょっと歩くけど良い?」
「良いけど、どこまで?」
「そこまでだよ」
危惧していた通り話は噛み合わなかった。
けれど、それは思ったほど不快ではなくて、生ぬるい春の風みたいに不思議な空気だった。
「そういえばさ、夜の理科室で」
歩きながら私は昔話を振る。
「ああ、骨格標本が動いてたよねぇ」
「トイレでこっくりさんしたときもさ!」
「次の日トイレが故障したり…!」
にこにこしているミヅキがかつての思い出と重なった。
脳内で測っていた記憶よりも、私達は実は仲が良かったのかもしれない。
あれ覚えてる?と尋ねる私にミヅキは首を傾げる。
「熊の銅像。」
ああ、と感嘆して、そして二人してくつくつ笑った。
「おかしいよねぇ。七不思議の1つがアレって。」
それは、熊の銅像の目に赤いビー玉を嵌め込むと夜な夜なビームを出して校庭を歩き回るという噂だった。
「置いてある熊もさ、獰猛で巨大!じゃなくて、パンダみたいな雰囲気じゃない」
たしかに、どうしてビームなんだろう。霊障の割にハイテクかつ物理的で、笑えてくる。
「私さ、ミヅキは本当は人間じゃないのかなって思ってたよ」
空は真っ青に乾いている。
ミヅキの横顔は何も変わらずゆるりと笑ったままで、どんな事を考えてるのかイマイチ分からない。
「今は?」
柔らかい口調の奥底に、得体のしれないものを飼っているに違いない。
「さァ。再会したばかりだし、でももしかしたらって思う。もしかしたら…」
「あ、着いたよ。」
もしかしたら人魚なんじゃないかって。
風に揺れる白いワンピースを黙って追った。
細い路地裏を抜け、柵をくぐった先には小さな海があった。打ち捨てられたテトラポットによじ登って、潮の匂いを胸いっぱいに吸い込む。ミヅキをちらりと見ると「穴場なの」と微笑んで見せた。
本当に東京湾で待ち合わせする予定だったんだ。
それにしても静かだ。ビル群の中に大きな公園が急に現れたような具合で、ぽっかり削れた人工物の穴に波が押しては引いてを繰り返す。
ミヅキは手にしたプラスチックのバケツをぢっと見つめていて、それから私に「泳ぐ?」と尋ねた。
「汚くない?」
「私は泳ぐよ。泳いであげる。」
変な物言いだな。上から目線で。
「そのさ、バケツには何が入ってるの?砂?みたいだけど」
「これ?」とバケツを揺らして彼女ははにかむ。中に入った白っぽい粉を指にとって舐めて見せた。
「灰」
そう言って彼女は白い粉を頭から被り、東京湾へ飛び込んだ。
状況についていけずに、目を白黒させたまま私は彼女に釘付けになる。
本当に人魚みたいだった。
煌めく水面を何度か滑り、あがる飛沫は宝石にも見える。
しばらくして海の中で手を振る彼女は振り絞るようにゴメンネと叫んだ。その姿にひかれるように私もざぶざぶと海に入っていった。
波と一緒にゆらゆら揺れるミヅキに手を伸ばす。引き寄せる彼女がゆるりと眦を下げた。
「遅くなってごめんねぇ。人魚さん」
そうして、ミヅキに抱きしめられる。
波は穏やかに何度も何度も私達を叩きつけてやめない。体がどんどん冷えていく。
「約束したから。戻る場所がなくなったら、海に還すって。」
「戻る、場所」
「学校はもうなくなったから」
喉がヒューヒューと鳴っていた。
浮かぶ泡のひとつひとつが弾ける度に、書き換えられていた記憶が元に戻されていく。人間のふりをしていたのは私の方だったのか。
人魚の灰は泡沫と帰す。
身体は痛くも痒くもなかったけれど、消えゆく間際、強く抱きしめるミヅキが悲しく微笑んでいて堪らなくなった。
「あなたといれて楽しかったよ、人魚のお友達」
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……っていう夢を見たんだけど、どう思う?!
意気揚々と語る彼女に「少し哀しいお話だねぇ」と私は微笑む。
「でもうちの学校にはそんな七不思議ないよね」
「人魚の呪い、なら分かるかも」
小声で言えば、無邪気な彼女はきらきらと目を輝かせた。
「ほんと!?じゃあ放課後やってみようよ!ミヅキ!」
【東京湾の人魚】
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