ショート・ネコ・ショート
令和六十一年。日本では何度目かのペットブームが人知れず去り、春の終わりに盛るネコたちの押し付け合いが横行していた。
古く遡れば、人の子も同じ憂き目にあっては『間引き』のように捨てられることもしばしばあったそうだが、最早人間より機械で溢れた現代社会では、いっその事その頃の子らが降って来れば良いのにと政治家が冗談を言う程である。
しかし、そんな戯言さえアッという間に水に流されてしまう。
なぜなら世界はネコを中心に回っているからだ。
ネコ、ネコ!ネコ!!!
年々ネコのいる店の数はコンビニよりも更に増え、というか、コンビニにもネコがいる始末である。
それはそうだろう。
ネコに人件費はかからないし、奴らは植物が酸素を作るよりも早く増えていくのだから。いや、それは言い過ぎたかもしれない。
それでも、ネコ・働き方改革などという言葉が流行したときは笑ってしまった。
無人の店内にネコが居座っていることも甚だ可笑しいし、その上この世にそこまでネコがいるのかと驚いたのだ。
このご時世、どこの家庭でもネコをかっているのだが、僕は生憎ネコと共存する運命にないようで、まだ小さな頃は「かってかって」とねだった気もするけれど、ともかく僕は近年稀に見るほどのネコと無縁の人間であった。
無縁故に、さして興味が無い。
ネコ天国の世間と打って変わって、越してきた田舎はインフラ整備すらまともに整っておらず、外に出れば湿った路がときどき浸水していたりするくらいだった。
自宅勤務の僕はわざわざ外に出る必要もないから、大した問題はないのだけど、その分やはり映像に映るネコはどこか現実味がないなと感じてしまう。
珍しくネコのことばかり思考してしまった。とうに旧型と呼ばれだしたなんたらロイドとか呼ばれる端末を切り替え、ニュースでも見ることにした。
ぼんやり眺めていれば、外では靴より大きい雹が降っている、だとか、太陽奪還の党の演説だとか、あまり興味のないものばかりだった。
正直言ってしまえば、各部屋の太陽照明パネルも簡易延命装置ならびに保険が利く完全栄養サプリメントも国で提示されてる上に、端末さえあればネットワークで世界中と繋がれる。これ以上ないくらい視界は広いのに、何故人は地上に出ようとするのか。
都心部はよっぽど明るく、涼しく、清潔に保たれたペッドウェイを構築し、大規模な地下帝国を築き上げて来たではないか。
バスコ・ダ・ガマやコロンブス、鑑真にマルコ・ポーロ、何世紀も何十世紀も前の偉大な冒険者たちに突如として触発され、未開の地を拓くような希望に満ちた声音で喋るのだ。余りの時代錯誤ぶりに虫酸が走る。
しかし、どうしてこうなったのか。
衛星から地表なんていくらでも眺められるのに。
増えすぎたネコの墓場と化した、暗雲立ち込める地上を、穴ぐらの底にある温い部屋から幾らでも見れるのに。
僕はそっと手を伸ばし、にゃうと鳴く子を撫ぜて端末を消した。
-ショートショート・ネコ爆弾
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