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10回のうち9回褒められても、1回けなされたら「私ってだめなんだ」と思ってしまう話。

夕方「おせち料理の予約開始」というニュースを見て、もう今年も終わりか…と遠い目になったオカダですけれども。こんばんは。

ダイソーでハロウィンの陳列見て驚いてたけど、もうお正月て。
まだ8月も終わっていないというのに。
生き急ぎすぎてやしませんか。


さて。
話は全然変わって、最近思ったこと。
それは「私って本当に自分に自信がないのだな」ということ。

ありがたいことに、時々「オカダさんの書く文章が好き」と言ってもらえることがある。

すごく嬉しい。嬉しいのだけど。
何年か前に言われた「オカダさんの文章は何が言いたいか分からない」「全然伝わらないです」という言葉が、ずっと私の中に根を張っていて、イマイチ自信が持ちきれない。

だから、褒めてもらっても「ありがたいな。私の文章は分かりづらいのに」と、どこか申し訳なく思ってしまうのだ。


昨年末から撮り始めた写真も同じ。

撮らせてもらった方が「素敵に撮ってもらえて嬉しい!」と喜んでくれると嬉しい反面、心のどこかで「本当は気に入ってないんじゃないか…申し訳ない…」と疑ってしまう私がいる。

人物撮影用のインスタグラムも作ったのだけど、「みんな、私のインスタになんて載りたくないんじゃないか」「私に写真を撮られたって、周りに知られたくないんじゃいか」と思い、なかなか更新ができずにいた。

それを撮影した友人たちに話したら「そんなこと思ってる人は撮られに来ないでしょ」「どうしてそうなるの!?」と驚かれたり怒られたりした。

そう言われて客観的に考えたら「確かにそうだよね。だいぶ気持ち悪いよね」と納得したので、最近更新を頑張っている。

(よかったら見てください→ https://www.instagram.com/okatomo_photo/ )


思い返してみると、文章も写真も褒めてもらうことの方が多いのに(わざわざ否定する人ってあんまりいないし)、どうしても数少ない否定の言葉を大事に抱えてしまう。

たとえるなら、10回のうち9回褒められて、けなされてるのは1回。
なのに、9回の褒め言葉は「社交辞令でしょ」と受け取らず、1回の否定的な言葉は「やっぱりそうだよね」と素直に受け取る。

そして、否定的な言葉を大事に仕舞い込み、ことあるごとに取り出しては眺めて味わって「そうだよねそうだよね」と落ち込む。

よく考えたら、それってだいぶひねくれてる。
それに、褒めてくれた9人の人たちにもだいぶ失礼。

(でも否定してくれた人がいるおかげで、図に乗らずに一歩ずつ歩けているのはありがたいことだね)


だからこれからは、褒められた言葉もけなされた言葉も、同じように味わっていこうと思う。

もし褒めてもらえたら、心から「ありがとう」と受け止めよう。
けなされた時は、受け止めて反省して改善しよう。
けなされた言葉を、何度も何度も取り出すのはもうやめよう。


という満月の夜の誓い。

今回の満月はブルームーンとスーパームーンらしい。
よく分からないけど、みんな笑顔で幸せになあれ。

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オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
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