白居易が春を惜しむ訳
【スキ御礼】杜牧が春を惜しむ訳
季語「春惜しむ」の起源は、中国の唐の時代にまでさかのぼる。
中唐の詩人白居易には春を惜しむという季節観念の詩は多くみられるが、それらの中で、「惜春」という言葉を直接表現に用いた詩がある。
837年、白居易65歳のときの詩である。
題の「贈李尹」とは、河南府の長官(尹)の李氏に贈るという意味。
白居易は59歳でその河南府の長官の職に就き、62歳でその職を辞している。
だから、かつて自分のいた職に今いる後輩に贈る詩ということなのだろう。
この時の白居易は、名誉職に優遇されていて、ほとんど仕事はなく、俸禄を受けながらも束縛はなく、自分の好きな人生が存分にできる境遇にあったという。
忙しいとは言いながらも、昼間から酒を飲みつつ、後輩に手紙を送るくらいの融通はつけられるご身分になっていたのだろう。今でいえばセミリタイアして、月に二度だけ出勤するリモートワークであったようだ。
悠々自適な生活を手に入れて、幸せな詩を読んでいるが、実生活はそれがすべてではなかった。
白居易は、男児に恵まれず、57歳にしてようやく授かった男児、阿崔を60歳のときに亡くしている。女児は4人生まれたがうち3人は早逝している。
当時の中国では、男の子は家を継いで祖先の祀りを行う必要があり、男児が偏重されていたという。
跡取り息子の生まれた白居易は、60歳の頃には、老後は公私ともに成功して、詩作に没頭できる生活を期待していただろう。
だが、実際に62歳で名誉職に就いたときには、息子は亡くなっていた。
職業人としては成功したが、家庭人としては必ずしも幸福な老後にはならなかった。
詩は、春の終わりに咲く白い花を雪に譬えている。
その花は、杏の花や梨の花などだろう。
過ぎ行く季節を惜しむゆとりを詠ってはいるが、心のどこかには満たされていない部分もあっただろう。
忙しく働く後輩には、自分の生活の充実ぶりをあえて伝えることによって、自分の境遇を肯定してみせる。
そのことで自分は人生に満足して幸せであるのだ、と自分自身に言い聞かせようとしているようにも思えるのである。
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(岡田 耕)
*参考文献(引用のほか)
川合康三『白楽天――官と隠のはざまで』岩波新書 2010年
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