歳時記を旅する2〔聖五月〕前*指立てて齢告ぐる子よ聖五月
土生 重次
(平成三年作『扉』)
聖五月は、五月の信心とも言い、「マリアの聖月たる五月に彼女の栄光のため日々に或は更に頻繁に特別の信心を捧げることを言ふ。(略) 五月の信心の今日の形態は十八世紀前半にイタリアに發達し、それからやがてフランス、スペインに及び、十九世紀初頭にはベルギー及びスイスに、一八四〇年代にはオーストリアとドイツにも入った。(略) 現在では五月の信心は聖母のための民衆的な信心として、全カトリック世界に行はれてゐる。日本にもこの信心は明治時代以來とり入れられ、聖母聖月の信心として今も行はれてゐる。」(『カトリック大辭典 Ⅱ』冨山房 昭和十七年)とのこと。
句の子供は、もう数の概念の発達が始まっている。そしてその発達を期待する親の気持ちは更に高まっている。
(岡田 耕)
(俳句雑誌『風友』令和二年五月号[「風の軌跡-重次俳句の系譜ー」)