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批評家達に告ぐ。マスと対話の重要性

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批評家やインフルエンサーは、現代の文化空間において二つの象徴的な存在である。しかし、彼らが直面する課題―内輪の自己満足や一過性の関心―は、社会の中での役割を疑問視させるものとなっている。


コミュニティ消費の実像


批評は本来、文学や芸術、思想を深く理解し、それを通じて社会や人間の本質を問う営みであった。しかし、近年の批評文化はその本質から乖離し、閉鎖的なコミュニティや自己表現の手段として消費される傾向が強まっている。


批評誌の相互批評や内輪での評価に終始する姿勢は、社会への応用や普遍的な価値の創造を妨げる


この状況は、批評が本来の目的を失い、単なる「市場のための商品」として消費されていることを示唆する。


批評の「中身」が空虚と化すのは、作り手が自己表現に固執し、読者との対話を放棄したときに起こる。


つまり、批評文化が自らの存在意義を再定義し、内輪ではなく外部に向けてその価値を発信しなければならないのだ。


注目の循環


インフルエンサーは、批評家と異なる形で注目を集める存在だが、その活動が持続可能であるかどうかは、同様の疑問を投げかける。


SNSの世界では、個人のブランドやキャラクターが注目の中心となり、短期間で大量のフォロワーを獲得することが可能である。しかし、その注目のほとんどは一過性であり、炎上や一時的な流行によってのみ成り立つことが多い。


一般の社会人はインフルエンサーの人格に興味がない。彼らの関心はあくまで自らの日常―仕事や家族、友人、趣味―にあり、インフルエンサーに向けられる視線は、娯楽の一部として消費されるだけである。


この現実を認識しないまま注目の循環に振り回されるインフルエンサーは、いずれその虚構に押しつぶされてしまう


一方で、信念を持ち、長期的なビジョンを掲げるインフルエンサーは、持続可能な活動を展開する可能性がある。HIKAKINのように、注目を得るまでに数年の努力を重ねた人物は、その過程で築いた信頼によって長期的な支持を得ている。


虚構を超えた価値


批評文化は虚構性を内包しながらも、その枠を超えた価値を生み出す可能性を持っている。それを実現するためには、以下の二つの視座が重要である。


1. 対話と共感の再構築

批評活動における根本的な課題は、他者との対話が欠如している点にある。批評家はフォロワーに向けて、自らの価値をどう伝えるかを再考する必要がある。ここで重要なのは、一方的な発信ではなく、相互的な対話を通じて共感を生み出す姿勢である。



2. 内的信念と外的影響の調和

批評家が持続的な価値を提供するためには、自己表現だけでなく、社会や他者への影響力を意識することが求められる。信念を内に秘めるだけでなく、それを現実の行動や言葉として外部に発信し、受け手との調和を図る姿勢が必要である。




時代を超える価値とは何か


批評文化は現在、学問の枠組みを超えて注目を集める存在であるが、内向きの活動に終始することで、本来の価値を失う危険性がある。


この危機を克服するためには、対話と信念を軸とした新しい価値創造が求められる。批評家は社会に普遍的な視点を提示し、一過性の注目にとどまらず、長期的な信頼を構築することが重要だ。


虚構を超えた価値は、常に他者との共感や社会への貢献を通じて生まれる。批評文化も、その本質を問い直し、新たな道を切り拓くべき時代に入っている。






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