私が思う「noteが荒れない理由」は、これしかない。皆さんはどう思います?
現在、私のnote連続投稿は916日。終活に関することを中心に書いているが、ネタが尽きることはなく、楽しみながらやっている。
note以外にも、FacebookやXなど他のSNSもやっているが、圧倒的にnoteをやっているときの方が楽しい。反応があっても無くても、それほどフォロワーがいなくても、やっぱり毎日noteに向かっている。
なんでだろう?
noteで稼いでるわけでもないのに。
爆発力は、Xの方が遥かに大きいのに。
なんでnoteなんだろう。
他のnoterさんの記事を見てても、やっぱり、
noteは荒れない。noteの街は優しい。
といったコメントが見受けられる。確かに、Xみたいに攻撃的なコメントを入れてくる人はあまり見当たらない。とはいえ、2、3回ほど、Facebookで暗躍している国際ロマンス詐欺的集団がコメント欄から私に近づこうとしてきたことはあった。
でも結局続かない。
なぜ?
おそらくは、noteには、優しい人が集まってるから。なんじゃないかなぁと思うんだけど、じゃあ、
なんで優しい人がnoteに集まってくるの?
っていう疑問がずっと私の中に浮かんでは消えていた。それが、昨日、とある記事を読んでわかった。その記事とは、なせじょーじさんのぷち伝記小説。相当な長文だが、深夜に読み始めたが最後、途中でやめられず、夢中になって読み終わり、はっきりと分かったことがある。
noteと他のSNSとの決定的な違い。それは、noteには、
自分の作品を愛している人たちが溢れているから。
自分の作品を、大切に大切に書いて、そっと投稿する。
自分が思ったより反応が薄くても、コメントが無くても、逆ギレすることなく、愛でるように自分の記事を大切に育てていけるプラットフォーム。それがnoteなんだと。
自分の作品を愛している人は、他のnoterさんが、どんな思いで記事を書いているのか。その気持ちを知っている。その思いの大きさをわかっている。
だから、軽はずみなコメントを書き込まない。反対意見があっても、感情を投げつけるのではなく、よく考えて、コメントを入れる。そんな配慮が、そこかしこに転がっているのだ。自分の大切なものが痛めつけられた時の辛さが分かるから、人にもその刃を向けない。そんな思慮深さが、誰にも強制されずに広がっているnoteの世界が
荒れるわけがない。
人の痛みを知っている人たちが集まるnoteが大好き。これからも書き続けます。
皆さんが、思うnoteが荒れない理由って、何ですか?