「終活」という言葉が嫌だから、と別の言葉に言い換えちゃう終活事業従事者さんに「なんでやねんっ!」とツッコミを入れたい。
一般の方が、「終活って言葉が嫌だから」っていうのはいいんですよ。自分の人生についてどう思おうが個人の自由ですから。
でも、終活事業に従事している方、もっと言うと、終活のやり方を伝えようとしている講師業の方が、これをやってしまったらダメなんじゃないかと思うんです。
なんで急にこんなことを言い出したかというと、
「終活っていう言葉が嫌だから〇〇〇に言い換えました!」
っておっしゃる終活セミナー講師さんに遭遇しちゃったんです。
で、なんとも言えない気持ちになっちゃって。
確かに、一見、参加者さんの終活に対するハードルは下がるかもしれない。
でも、人間、最後は絶対死ぬじゃないですか。
縁起が良かろうが、悪かろうが、それだけは確実なんですよ。
どう言い換えようが、その宿命からは逃れられない。
だったら、どこかで向き合うしかないんじゃないかな?と思うんです。
もちろん、いつ向き合うか?は、その人のタイミングでいいんです。
誰に何と言われようと、俺は、私は、人生の終わりなんて考えたくない!向き合いたくない!って思えば、全然それでいい。なんなら、向き合わずに人生終えたって全然いい。後は残された人が何とかするだろうから。
一般の方は、それでもいいんです。考え方は人それぞれだから。
でも、終活事業者は、ダメなんじゃないかなぁ。
特に、終活講師。
だって、終活って、終わりを意識して生きることですよ。そのことを伝えなきゃいけないのに、終活っていう言葉を言い換えちゃったら、回りくどくなるだけなんじゃないかなぁ。終活する意味がブレてしまうじゃないですか。
終活やりましょうよ。不安がなくなりますよ。
人生変わりますよ。良くなりますよ。
明るい未来が待ってますよ。幸せになれるんですよ。
そんでもって、ご家族さんもめっちゃ助かりますよ。
終活やっててくれてありがとうって、尊敬もされちゃいますよ。
って、伝えたいから終活講師をやってるんじゃないのかな?だったら、言葉言い換えて、終わりを意識することから目を背けちゃったら、耳障りのいいことしかしゃべれなくなっちゃいませんか?
それとも、多死時代だから、終活講師すれば儲かる!と思ってやってるだけなのか?だから、終わりを意識するなんて縁起悪いから嫌だ、と思ってるんだろうか?
もしそうだとしたら、色んなセミナー受け倒して、分かったような気になって、結局何もやらない変わらない終活難民を増やすだけだから、できれば、考え直して欲しいなぁと思います。