【目印を見つけるノート】1063. 私と詩のお付き合いについて。これまでとこれから
ひな祭り、桃は魔よけの縁起物です。
みなさま安全に暮らせますように。
きのうは、ひさびさに詩を出しましたが、自分がnoteに出しているものには傾向があるなと思っているところです。これが正しいということではありませんので、ご留意ください。
・ひらがなが多い
・固有名詞がほぼない
・文字数あるいは韻を定型にする
・連以外で行を空けない
・起承転結
形、ということでは上記の5つです。趣旨はいろいろですけれど。
段階があったように思います。
手前味噌ですが、
今日はそれをたどってみます。
友人に喋るように書きますので、気になったらごめんなさい。
小学生の頃、先生に授業で選られるようなものはストレートでした。確か、川が汚れているのはどうしてだろうというような、半分怒り混じりのものです。
中学生の頃はものを擬人化していました。例えば愛しいギターを。夏休みの宿題でしたが、某新聞社主催の作文コンクールに引っ掛かりました。ああ、新聞社にデータがあるって言われたかも、探してみようかな。
擬人化や喩えは今でも頻繁に使います。ディラン・トマスも花を花火(茎を導火線)に喩えていましたので、いいなと思っています。
小中では壷井栄さんの童話もよく読んでいて、そこに書かれていた「綴り方」という作文の作法に影響を受けていました。取り繕ったような、うわべだけきれいなものを書くのではなくて、自分が感じるまま、思うままに書くという作法です。
自由な表現。
私が小学生の頃にはそのような作法はもうなかったと記憶しています。でも基本、今でも万事綴り方の作法で書いています。
作文をそのように書けるようになるのはとてつもなく時間がかかりましたが、詩ならば何とかできました。
そこが原初の段階。
次に詩を書くのはずっと後で、もう大学生になっていました。ライブを見に行くようになって、いろいろ刺激的でそこから再開した感じです。
書いていないときも詩を読むのは大好きでした。エリオット、エリュアール、ワーズワース、ロルカ好きもその頃からです。ミルトンの『失楽園』やブレイクの『天国と地獄の結婚』やワーズワース(これは岩波文庫でしたか)も原語でちょこちょこ朗読していました。ラングストン・ヒューズも好きでした🎵
What though the radiance which was once so bright, be now forever taken from my sight, though nothing can bring back the hour of splender in the glass, glory in the flowers, we will grieve not, rather find what remains behind.
暗誦なので、綴りも句点もはなはだ怪しいです😜
英文科に行けばよかったと後にたいへん悔やみました😖
私が受けたことのあるのは秋葉先生の素晴らしいドイツ文学の講義だけです。ハイネにブレヒト♥️
ある一夜(オールナイトイベント)の新宿某ライブハウス周辺の夜の景色を延々改行なしでギンズバーグ張りに書いたものがありましたが、今ではとても書けませんね。感覚のカタマリというか、後から読んでも恥ずかしくなく面白かったです。あの頃の詩は結構な数が新宿駅西口から小滝橋通りでできていました(苦笑)。
そのように、しばらく自分一人で完結していましたが、仕事をするようになってから詩の同人誌を立ち上げるというので声をかけられて、同時に職域の文芸誌にも書くようになりました。同人誌はおそれ多いばかりの御大がお揃いでしたが、私は特にディラン・トマス全集を訳された方がいらっしゃるのに高揚しました。それは前に書きましたね。
弾き語りをしくじった話です😥
憧れのパティ・スミスさまのようにはいきません。
人目に触れるようになってからは、少しずつ固有名詞が消えていきました(ボブ・ディランさんを何回出したことやら)。詩の雑誌に投稿して引っ掛かったり、居住地の文学賞で釣り上げていただいたりしましたが、だんだん詩を書く熱は下がりました。
理由ですか🤔
変化した方がいいというか、いったん手放さなければなと思うことがあって、それとセットで詩も飛び去ってしまった感じです。それから十二支が一巡するぐらい、仕事以外で詩も何も書き物をすることはなくなりました。
もう封印かと思ったのですけれど、そこはランボーのように潔くないようです。
エッセイ(ブログ)や小説を書くようになって、また違うスタンスで詩を書くようになりました。本稿でお分かりのように、文章が延々長くなりがちですので、詩はソネットとかバラッドぐらいの長さ、それ以上書くことはないです。言葉もシンプルですけれど、ひとつひとつが大切です。
一度手放したからこそ、大切にできるのかもしれません。
その代わりというわけではないですが、忘れられかけている詩人の紹介もしたいと思うようになりました。この前、ディラン・トマスさんのことを書いたのもそのような趣旨です。
ミニマリズムの絡みでしょうか、文学じたい、紹介をする方々がもうあまりいなくなってしまったようにも感じています。感想文ではなくて、評論とか紹介ですね。
日本の詩人が………今は茨木のり子さん、金子みすゞさん、宮澤賢治さん、長田弘さんが好きですけれど、他はよく知らないのですよね。そこは追求しがいがあるように思っています。
それでは今日の曲です。
Bob Dylan『Ballad Of Hollis Brown』
バラッドです。
バラッドというのはイギリスの伝統的な口承を含む詩の形式です。
結末は明るくなく、第三者のことを「語る」ことが基本かと思います。その意味でもこの曲はバラッドです。
Bob Dylanさんはこれまでさんざん詩のモチーフにも文章のテーマにもさせていただきましたが、詩は本当に見事です。詩の見本としてどの曲も引用できそうですが(それは驚異的なことです)……この曲の歌詞をバラッドとして見てみます。
6行一連で11のブロックに分かれています。韻は踏んでいるのですが、それぞれの連の最後の2行は破調して、後半のShotgunの展開に至ります。Dylanさんに聞いてみないと分かりませんが😅ここは物語りを劇的にするためのブレイクかと私は考えています。ただ韻を踏んでいるだけではないのです。
ストーリィテリングも含めて、このような詩を20代前半でドサッと出せるのは稀なる才能です。ですので活動を通してのノーベル文学賞受賞もそれほど意外には感じませんでした。
もちろん周りにいた人たち、恋人とかも影響を与えたのでしょうけど。ブレヒトを教えたりして。
え?スーザンさんはチェ・ゲバラに会ったんだ。行動力のカタマリですね❤️
私はあなたからスーザンさんのことを教わったけれど😉
ディランさんは今度来日されるとのこと、どうかお元気でいらしてください。
オチをやっぱりディランさんにして、この辺りで失礼します。
お読み下さってありがとうございます。
尾方佐羽
追伸 え?ツェッペリンのライヴアルバムが今日発売👀‼️
追伸2 これから小説にスイッチ。
追伸3 もう一曲お願いします。マスター😔☕
Miles Davis『A Night In Tunisia』
あ、こっち。
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