【目印を見つけるノート】1009. とんどと天守と紫禁城
土曜日で、満月ですね。
けさ、お参りする夢を見ました。
今さらながら、今年が皆さまにとってよい年になりますように。
9日に行われる福山の『とんど(左義長)祭り』の告知をインスタで拝見しましたが、時代行列がすごい配役でびっくりしました。
行きたいなあ😃💦
行けないなあ😖
左義長はお正月にお迎えした神様をお送りするお祭りです。福山のとんどは、町が開かれた記念のお祭りでもありますね。
虎屋さんが初代藩主に献上した『とんど饅頭』の箱、まだ大事に持っています😊
中身は大事にいただきました🍴🙏
勝成さん、小説もう少し待っとって🙏💦💦
ここまでは書いてありますけえ。
できるまで見とってつかあさい。
きのうは『オデュッセイア』の年初更新でしたけれど、いきなりの北京話になりました。飛びますね。飛ぶのが特徴のお話かもしれません。
語り手の僧・策彦周良(さくげんしゅうりょう)は室町~戦国期に生きていた方で、『(京都)五山の碩学』と呼ばれた方です。もっとこの方を紹介したいと思っているうちに時間が飛び去って、「今頃?」という感じですが。この時期本当に数少ない、明代の北京を訪れた方でもあります。
北京だけは行ったことがあります。その見聞を基にできればよかったのですけれど、故宮(紫禁城)などは「広いなあ」と歩くだけで終わってしまって、宮殿内はまったく見られず、何の参考にもならない😱
いや、龍だけは随所に見られたように記憶しています。
あと、十三陵(明の皇帝一家の陵)と万里の長城という定番コースに行きましたけれど、前者は本当に陵墓なのかという建物の規模で、威容でした。万里の長城は眺めて終わりました。十三陵のことだけは生かせたかもしれません。
と、私の北京話はこれぐらいにして。
今、お城といえば「天守」ですね。
この形自体は戦国期より前にもあったといわれますが、確立したのは織田信長だといわれます。
そして天守という形は何を参考にしたのかーーというのは今でも研究されているところです。
それと同様に、『天下布武』という信長のポリシーは何を意味するのか。『岐阜』という名前はどこから取ったのかなどの「謎」がよく俎に上がります。
私は個人的に中国由来かと考えています。
信長がそれらを明確にしはじめたのは尾張を平定してから、美濃を手にする辺りかと思います。そこに影響したのが、幼い頃からの教育係でもあった禅僧・沢彦宗恩(たくげんそうおん)だといわれていますが、策彦ともやりとりはあったようです。もし策彦、沢彦ら禅僧と信長が中国の大帝国について清談していたならば、上記の謎のもとになる着想ができただろうと思いました。
策彦は二度、遣明船の代表的立場で北京に行きました。日本で唯一それをリアルに、トータルに、アカデミックに語れる人だったでしょう😊
実際に鼎談していたかは分かりませんが、可能性はあるということです。
小説がフィクションだからできる想像でもあります。可能性のあるフィクション。
故宮の太和殿(主殿)が安土城と即結び付くかというと、フィクションでもまだ検討の余地がありますが、この頃から尾張や美濃や畿内や京都ではなくて、世界をフラットに見ていたという説は立てられるかと思います。
小説前半の主人公、チェーザレ・ボルジアがプルタルコスの『英雄伝』を読んでいたと思われているように。
世界は広がりました。
どこの話でも瞬時にスマホに飛んできます。もちろんこぼれていることも多いのでしょうけれど、少なくとも500年前より世界は広く開かれています。
それにも関わらず、フラットな空気が今一つ感じられないのはなぜだろうと思います。そして、環境の違いに関わらずずっと先までフラットに見ていた人に思いを馳せてみたりもするのです。
それでは今日の曲を。
Mercy Dee Walton『One Room Country Shack』
艶のあるいい声ですねえ(惚れ惚れ)。
歌詞は人里から離れた小屋(部屋)で救いを求めるような、諦めを乾いて口ずさむような寂しいBLUESなのですけれど、そのような小屋に滞在したことのない人にも通じるものがあると思います。
この「離れている」感というのは、今の空気でもあるのかな🤔
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
追伸 🙏💦💦
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