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フリーランスになったものの完膚なきまでに挫折した話

フリーランスでライターをしていたが、いまは事業会社への転職活動をはじめている。フリーランス生活、1年も経っていない。早すぎる挫折である。「フリーランスしくじり先生」と呼んでほしい。

挫折した理由を挙げればきりがない。「完膚なきまでに」という語彙は、「傷がない皮膚がない」状態を指す。こてんぱんである。ズタボロである。ボロぞうきんもかくや、という有様。

この記事では、フリーランスで味わった数々の傷をあげつらって総括してみる。もちろん、人には向き不向きがあるし、対策次第でこれらの傷は防げるものもある。ぼくが特別に怠惰で自堕落だったという事実も否定できない。

これからフリーランスになる人は、以下のしくじりに注意されたし。


❶仕事面(スキル面)

得意なスキルであっても多様性がないとしんどい

フリーランスの序盤は、SEO記事を書いていた。「エンゲージメントサーベイとは?」とか「脆弱性診断とは?」など、いわゆる「とは記事」という記事だったり、「自治体におけるDXの取り組み〇選」といった取り組み事例を調査して、3,000~5,000文字程度の記事を量産していた。

が、なんかしだいに疑問が芽生えてくる。インターネット上の情報でインターネット上に載せる記事を増殖しているこの行為、はたしていつまで需要があるのか。サステナブルな仕事なのか、と。

その後、じぶんでインタビューをして文章を書く仕事をするようになった。企業が運営するオウンドメディアへの対談記事や、採用サイトの「職場インタビュー」、企業のWebサイトの「導入事例」として掲載する記事を書く。

SEO記事に比べるとインタビューは工程が多くて面白い。いきなりインタビューにのぞむのではなく、記事の構成案や質問票を事前に作成する。そして関連する情報を収集する。専門書籍を買って勉強することもあった。

インタビューの当日、うまくファシリテーションできることもあれば、円滑にいかないこともある。インタビュー後には文字起こし作業を行い、文章をざっと書く。そして推敲を重ねる。

早く書くコツは、最初から完璧に仕上げるのではなく、粗くてもいいから一気に書きあげ、その後、時間が許すかぎり推敲を繰り返すことだと知った。

と、少しずつ慣れてきて、多いときはインタビュー記事を月に10本書いた。ただ、あるときふと気づいてしまった。

「あれ? 仕事が増えたけれど、やりがいを感じていなくね?」

なぜなのだろうと思って、学説を調べる。グレッグ・オールダムとリチャード・ハックマンという心理学者が提唱した「職務特性モデル」によれば、仕事のモチベーションの要因は以下5つであるという。

・技能の多様性
・タスク完結性
・タスク重要性(有意義性)
・自律性
・フィードバック

グレッグ・オールダム/リチャード・ハックマン「職務特性モデル」

フリーランスの仕事といってもさまざまだ。ライターは「タスクの完結性」や「自律性」は満たされる反面、「技能の多様性」という点では特化されているので、やや乏しい。

では、どうするか? 「技能の多様性」を満たすためにライティングだけでなくデザインやら写真撮影まで手を広げる? と自分に問うた。いやいや、別の技能には特化したプロがいる。あまり得策ではないだろう。

それでは、事例制作やオウンドメディア記事制作の工程も理解できたので、取りまとめて進行管理するディレクターになるか。「待て」と。そうなると企業に属して広報業務を行うのと変わらなくね?

「技能の多様性」の不足がきっかけに、フリーランス活動の継続に逡巡しはじめる。

フィードバックが得られないのもしんどい。というかさびしい

「職務特性モデル」からつづけて引用すると「フィードバック」が得られないのも、モチベーションを維持するにはしんどい。というか、恥も外聞も気にせず言えば、シンプルにさびしい

もとが事業会社の出自である。じぶんの仕事による働きは良くも悪くもフィードバックが得られた。「良い仕事したな!」と褒められるときもあれば(レアケースである)、「あと2~3倍はやれるな!」と発破をかけれられることもあった(たいていこっち)。

フリーランスが請け負うのは周縁化されたタスクだ。例えば、マーケティング活動において、コンテンツの企画・立案は企業自身が受け持ち、ライティング・撮影・デザイン・Webページ投入などのタスクは外注される。

ライターには納品した記事が公開されても知らされることはすくない。場合によっては、記事がお蔵入りになっても知らされない。これはフリーランスの気安さの良さでもあるのだけれど、無言のうちに「外注先のさらに外なんだよなァ」と思い知らされるのはさびしかった

知識は活かす場がないと定着しない

取材やインタビューで知識を得たつもりになっても、それを活かす場がないと、知識が定着しない。砂のように手のひらからこぼれ落ちていく。それがもったいない気がした。

わかりにくいのだけれど、例えば、人事・HR系の会社に取材をして「エンゲージメントサーベイの具体的な流れ、ポイント、注意点」にずいぶん詳しくなった。ただ、じぶんは組織人ではないから覚えた知識を活かす場がない。

知識は実戦で使わなければ忘れてしまう。フリーランスのライターになったのは、いろんな産業の仕事や知識を得たかったからだが、実戦の場がなく使用せずに忘れてしまう。それが惜しいと感じるようになった。

チャットツールのやり取りが増えるとメール作成が億劫になる、そして文章を構成する力が下がる

フリーランスはテキストコミュニケーションが多い。SlackやChatworkでのやり取りが多く、メールを打つ機会が少ない。請求書を送付するときくらい。

少しずつ、メールで文章をつくることが億劫になる。これは非常にマズイ症状だと気づく。地味な気づきだが、ビジネス上の体裁を保ったメールをつくる機会が減ると、文章の構成するチカラが下がる

そして、自分以外の同僚や取引先が送るメールを見る機会が無い。

かつて会社づとめのころ、いろんな日々メールに目を通した。過不足なく美しく情報が整理されたメールもあれば、内容が重複したもの、文章のつながりが不自然で読みにくいメールもあった。よくも悪くも参考になる。

つまり、ライターとして文章のアウトプットが増える半面、インプットが減ったのだ。企業づとめのころ、メールの文章表現や構成力、誤字脱字の推敲にムダに気を遣っていた。そうした種々の力が弱ることに危機感を覚えた。

❷生活面

基本的にテレワークなので移動がなく、体力が落ちる

生活面では、体力の減退が顕著である。例えば、フリーランスのライターは移動がすくなく電車に乗る機会もあまりない。インタビューも対面ではなくWeb会議システムを経由することが大半だ。

1日中、デスクに張りついて記事を書き、印刷し、推敲を重ねる。納期が迫っていると、ほとんど歩かない日もある。どうしても足腰が弱る。

意識して朝にランニングをするが、それでも移動する距離の範囲がせまい。足腰が弱ることのメンタルへの弊害は、古今東西、ひろく指摘されていることである。

家が"仕事場"になり仕事が終わってもリラックスできなくなる

フリーランス活動をはじめる前に、万全の準備としてわりと高級なオフィスチェアを買った。何時間すわっても腰が痛くならない。

クライアントとの会議やインタビューは、回線が安定した環境で行いたいので、なるべく家で行う。昨今のライターは、外に出る機会が少ないと思う。

自宅は静かすぎて落ち着かない。しだいにひとりで作業しているのが苦痛になる。ついには家でYoutubeで「【10時間】オフィスの音、電話や話し声など、集中力を高める」という動画なんかを流し始めた。

「おいおい。お前……行くとこまで行ったな……」

という声が聞こえた気がした。

そして、いつからか「家は"作業場"である」と自分の認知が切り替わったのだろう。家の中がリラックスできる場所ではなくなってきた。

対策として、終盤(今年7~8月)は、カフェやファミレスで作業するようになった。昔はそういう人たちを見て「意識高い系が!」「気取りおって!」とせせら笑っていたのだが、やんぬるかな、自分もそうなった。

(この「フリーランス総括」の記事もファミレスで書いている)

話す機会が減るため、会話のやり取りが下手になる

体力の減退とも影響しているのだろうが、話すためのいろんな筋力が落ちたのか、腹から声が出なくなる。仕事柄、座りっぱなしの姿勢であることも関係がありそうだ。

インタビュー取材をしていると、質問の発話はするものの、大部分は「聴く」時間だ。なめらかに言葉が出てこなくなる。もともと喋りは得意ではないが、輪をかけてコミュ障っぽくなってくる。

起床時間が遅くなるなど生活が自堕落になる

以前、「朝型人間だ。5時半から6時のあいだに起きる」とか書いた。

それが、直近は7時~7時半に起きている。なぜなら出社する必要がないからだ。皮肉なものである。時間に余裕ができた結果、あの静謐な早朝の時間に起きられなくなるとは。焼きが回った。

ストレスフリーすぎて、すこしずつ自己管理能力が緩む。ビジネスパーソンがまとう甲冑の鉄板が「ばしーん、ばしーん」と、1枚ずつはがれていく感覚がした。

きっと育ちのせいもあるのだろう。性根が自堕落なのだ。育ちが良くて品格のある人間は、会社に行っていようが引退しようが、一定の生活リズムを保って整った生活をしているものだ。

このフリーランスの期間は、余生を先行体験したようなものだ。この感じだと、この先、60か65才くらいまで働いて引退したとして、すぐさま昼ビールを味わっていそうな気がする。(それはそれで楽しい気もするが)

❸金銭面

所得税と住民税と社会保険料を目の当たりにする恐怖

3月に確定申告で所得税を納税した。6月上旬に住民税の納付書が届いたので、きちんと支払った。社会保険料は毎月支払いにしている。

「なんじゃこりゃ!」と叫びたい。お前ら何のカネやねん、と。

いや、個人事業主になるときに覚悟はしていましたけど、この所得税・住民税・社会保険料を目の当たりにする嫌悪感って何なんですかね(思わず敬語になってしまいました)

社会保険料にいたっては全額負担である。意味わからん。逆に言うと、会社づとめの社会保険料と厚生年金の折半という恩恵を、会社はドヤ顔で伝えていいと思う。それくらい、税金を自分で払うという行為は苦痛である。

もう、国家にとっての会社の役割の半分は各種税金、社会保険料を意識させずに支払わせるためではないか、とすら思う。納付書こわいよー……。

将来の年金受給額が少ないことへの漠然とした不安

これは考えても仕方がないことだが。

フリーランスは年金の2階部分である厚生年金の保険料を支払わないので、将来の受給額が少なくなる。ここに漠然とした不安がある。

これは、具体的に金額が少ないことよりも「周囲の企業づとめの人たちと自分は、将来に差が出る」という、普通との差異への恐れなのだろう。

漠然とした「周りとちがう」という疎外感も、会社づとめから離脱したタイプのフリーランスにありがちな感情なのかもしれない。

カフェやファミレスで仕事をしていると節約にならない

家に対する認知が"作業場"と化すことを防ぐために、カフェやファミレスで記事の執筆作業や推敲をする。

1日、同じカフェにいることはあまりない。2件ハシゴする。「コメダ珈琲」や「デニーズ」「ジョナサン」 などは、ほとんどの店舗で電源が設置されており、よく通う。

移動の費用や、カフェ/ファミレスでの費用も発生するので、当初思い描いていたような「昼は家を食えばいい」という節約の構想が霧散した。

東京都は広いので、電源が設置された図書館などもあるかもしれない。すでにフリーランスに挫折した手前、もはや調査する気は無いけれど。

❹心理面

所属の欲求が満たされない。つまるところ外部であるという気分

さいごの方は「きもちの問題」だけど、特定の組織や共同体に所属していないことは欲求が充足されない。

アブラハム・マズロー「欲求5段階説」でいうところの、

5.自己実現欲求
4.承認欲求
3.所属と愛の欲求 ← コレ
2.安全欲求
1.生理的欲求

アブラハム・マズロー「欲求5段階説」

である。ちなみに、クレイトン・アルダーファーという心理学者は「マズロー、アイツこまかいねん」とでも言ったのだろう、「欲求5段階説」をさらに整理して「ERG理論」を唱えた。

Exstence(存在):存在の欲求
Relatedness(関係性):人間関係の欲求 ←コレ
Growth(成長):成長の欲求

クレイトン・アルダーファー「ERG理論」

ERG理論で「人間関係の欲求」にあたる部分がフリーランスでは不足する。

対策として、フリーランスのライターのコミュニティに入る、という手もあったのだろう。ただ長い期間、会社づとめを経験すると、会社の人間関係特有の距離や密接さがなつかしくなる。

危険を察知する能力を喪失していく(気がする)

あくまでじぶんのキャリア特有の感覚なのかもしれないのだけど。

会社づとめのころ、社内で飛び交う見えない銃弾、張りめぐらされたレーザートラップ、そこかしこに埋められた地雷を感じながら過ごしていた。見えない銃弾に打たれ、地雷を踏んでこっぱみじんになる人を何人か見た。跡形もなく散った。

フリーランスになって組織人をはなれてみると、じぶんのなかの地雷探知機的な能力や、触覚のような、アンテナのような機能が、何だかやせ細っていく気がした

この能力は、裏をかえせば「気遣いの意識」でもある。危険を察知して先回りして動ける能力。この能力をじょじょに喪失していくことに、言いようのない焦りを覚えてきた。

フリーランスの良いところ

と、ここまで「❶仕事面」「❷生活面」「❸金銭面」「❹心理面」の観点でフリーランスでのしくじり(味わった傷)を挙げた。

ただ、もちろんメリットもある。

ひとつの会社や組織にコミットせず、専門スキルを高められる

ひとつの会社や組織に依存せずに、専門的なスキルをみがきあげて社会の荒波をわたっていく。そういう生き方は、とても魅力的だと思う。

(ぼく自身も、事業会社で働く面白さを知らないまま若いうちにライターになったとしたら、このままフリーランスを続けていたと思う)

フリーランスは会社づとめにくらべて、スキルの多様性が乏しくなる一方、クライアントに対してじぶんのスキルや実績と報酬を天秤で測りながら、継続的に交渉を行うことは得がたい貴重な経験だった。

出社が義務ではなく、拘束される時間が少ない

ライターなどの職種は基本的に出社する場所がないため、通勤時間のような不要な時間を削減できるのは大きかった。

また、拘束時間が少ないこともメリットだと思う。もちろん、案件を増やせば業務時間も増えるわけだけれど、じぶんが請け負った仕事の時間は不如意な「拘束時間」ではない。

さきに上げたハックマンの「職務特性モデル」でいうところの「自律性」が高い点は、フリーランスのいちばんの魅力でもある。

社会人として当たり前の対応とマナーがあれば仕事をもらえる

メリットというかポイントとして。

「納期を守る(自分で納期設定をする)」とか「クイックレスポンス」、「親切でわかりやすいコミュニケーション」といったビジネスパーソンとしての基本があれば、リピートで仕事はもらえるようである。

いくつかの会社の社長や事業部長、マーケティング担当の方と接して「ここを評価してもらっている」と感じた大事なポイントは、品質や専門スキルの高さではなく、基礎的なビジネススキルやマナーだった。

もっとも、ぼくが運が良かっただけかもしれないが。

加えて、クライアントのビジネスや企業の強み、企業文化やカルチャーへの理解がとても重要だと思う。そうした理解を踏まえてインタビューや記事の作成をすると、アウトプットには基本的にズレが少なくなる。

会社づとめで働くことのメリット


改めて、フリーランスの経験を踏まえて会社づとめのメリットを整理する。

フリーランスのメリットは「自由であること」「会社に依存しないこと」だ。専門スキルを高めるとともにビジネスパーソンとしての基礎能力を備えていれば、運が良ければ「食っていける」のだろう。

ただ、会社づとめの中でしか得られない醍醐味もある。それは良い事業を行っている会社で、良い人びとと連帯して、複雑で多様な仕事ができるということだ。

会社組織の中でしか生み出されないダイナミクスがある。ひとたび、それを知ってしまった人は、個人事業主は向かないかもしれない。

仕事とグルメは似ている。一度、味わってしまった味覚や趣向はカンタンに失われない。過去に事業会社で経験した仕事には困難でつらいものもあったが、それは同時に舌の肥えるような「ぜいたくな」仕事でもあった。

苦しい仕事や困難な仕事に自分や周囲の人が追い込まれ、心身をむしばまれることもあった。ただ、困難な仕事を直視し対峙してみると、ふしぎと周囲のひとは協力してくれ、するするゴールまでたどり着き、その過程でじぶんの成長も実感できた。

あの成長の感覚、自分の脳内でニューロンが発火して、ひらめきというか、まったく新しいルートがひらける感覚というのは表現しがたいものだ。そういう有意義な感覚を味わえるのは幸せな体験であると思う。

(フリーランスの仕事は、特有の面白さがあったが、同時に味気ないものでもあった。いや、有意義な仕事をじぶんで生み出せなかった。怠慢だった)

といって、まだ転職先が決まっていないが——

以上、フリーランスの総括である。

今後は事業会社で働きたいと思い、転職活動を行っている。3社ほど最終面接に進んでいるが、正式には決まっていない。なんせ変な経歴を歩んでしまった。拾ってくれる会社がある方がまれな気もする。

数ヵ月後、noteに「転職活動に盛大に失敗した話」を書いているかもしれない。そのときこそ、背水の陣でライターの事業に取り組むときなのだろう。