サステナビリティの土台に諸行無常を置いてみる - 書きかけ -
noteをはじめて1ヶ月ほど経った。
書かなければならないという義務もないので、ゆる〜く活動記録やらを振り返る形でまとめていくつもりだが、その意図や姿勢について改めて触れておきたい。
Bottling the VINEYARDをコンセプトにしたワイン産地づくり(再構築)の取組は、時勢にのった言い方をすればサステナビリティ(持続可能性)の確保を目指すものでもある。
2030年を目標年限とするSDGsにも一定の貢献と配慮ができればという姿勢ではあるが、別に2030年あるいは17ゴール、また169ターゲットに執着するものではない。2030年ではないのならば、2050年、2100年、あるいは. . . と時間の長さの問題でもない。
”諸行無常”という道理にどう向き合っていくか。
悟りをひらけたかのように聞こえたら申し訳ない。ただ、究極はそういうことだと言い切ってしまうと腑に落ちるのだ。
諸行無常というのは仏教における価値観で、世の中のあらゆるものは絶えず変化し、ひとときも同じ状態にとどまることはないとする考え方。
平家物語の冒頭が有名であろう。
筆者は地方公務員の職務として、小中学生向けにSDGsに関する普及啓発などを行ってきた。以前の記事でも矛盾との葛藤について触れてきたが、ようやくここにきて思考が整理できてきた。
サステナビリティの土台に諸行無常を置いてみるのである。
我々を取り巻く情勢、つまりは自然環境も社会構造も何もかもが絶えず変化していくのだとすれば、持続可能性になった姿もまた一つの姿にとどまるものではない。
仮に(実現性はさておいて)2030年の時点で17のゴール・169のターゲット・232の指標がすべて達成できたとしよう。その快挙には人類みんなで祝杯をあげてほしいし、そのときに赤湯のワインも飲んでもらえたら. . . まずはそれはそれでいいとして、次に直面するのは「で?」という虚無感であろう。
目標を達成した次の瞬間からもう世界の有り様は変わっていく。そう、持続可能性の追求には”ゴール”など存在しないのだ。
SDGsアウトリーチにおいて小中学生に「何番のゴールはこういうもので・・・」だの「市もSDGsに取り組んでいて例えば・・・」などといった価値観の押し付けを嫌悪するようになったのも、真に伝えるべきなのは混沌とした未来を直視する勇気と覚悟であると定義したことによる。
今更ながらこういうことだったのだと気がついた。
Bottling the VINEYARDとSDGsチャレンジ事業とをジョイントした取組があって、革製のコースターにエチケットのデザイン画をいれたことがあった。
タイトル画像にもいれたがここに再掲する。
赤湯葡萄の生き字引 神尾 伸一のダルマ。
成就を願う事柄として「持続可能」をお腹に描いた。. . . ギミックをお察しいただけるだろうか。
お腹にそう描いた以上、右目は入ることはない。持続可能にはゴール自体が存在しないのだから。
ただし、デザインの真の意図はネガティブなものではないので、決して悲観しないでほしい。神尾 伸一さんとも話したが「終わりのない持続可能に向け、絶えずチャレンジをし続けていく姿そのものが”サスティナブル”というものだ」という結論に至った。
たとえゴールのないものであっても、そこにチャレンジし続けられるのであれば、その主体は意思をもって前進している。チャレンジを諦めた瞬間に消滅に向かうというのもまた真であろうが、あくまで発したいメッセージは「未来に向かって進んで行こうぜ」的な前向きなものである。
noteでBottling the VINEYARDのはじまりから経過をまとめたのも、過去を美化する意図ではない。
記事を書いている今の時点も、これらを後から見返す未来の時点も、あらゆるものが絶えず変わっている。どちらかといえば、変わっていなければ(変えていなければ)いけない。
我々はTRANSFORMINGという宿命をを自らに課した生物なのだから。
変化に対する覚悟は、変化を嫌う執着を助長する。強い覚悟を持ちたいと藻掻けば藻掻くほど、執着の念が大きくなる。
この執着の核心は不安だ。どこからどこに向かっているのかが分からなくなる。迷走状態は前進とは言えない場合が多い。
来たるべきそのときに備えてこれまでの記録を整理しているのがこのnoteの役割である。何を目指し、何がどう連鎖したのかを振り返ることで、立ち位置を見失わないようにするためだ。
また無常の中で生まれた”1本のワイン”との一期一会、そのひとときをより充実したものにするストーリーテラーになれたら、これは副次的なものとしても、なお嬉しい。
筆者がnoteを書くのはそういう意図である。
この記事にもまたゴールがない。タイトルに”書きかけ”を追加したところで、時間も時間なので一旦筆をおくことにする。