見出し画像

わたしの周りは、すごい人達だらけだと感謝した話

久しぶりに目が覚めるような出来事があった。
この前、ややユーザーの年齢層が高いことで知られる、某SNSで旅の写真を投稿したときのことだった。

そちらは主に学生の友人知人や、社会人になって知り合った人とつながっている。なかには親族もいるし、わたしのドイツ生活を気にかけてくれているので、月に1度くらい旅の思い出などを書くようにしている。

そこで夏休みに行った、旅の話をした。
noteにはまだ書いていないのだけれど、乗った客船が少し独特な雰囲気で、「こういう世界もあるんだなぁ」と感じるいい機会だった。その感想を添え写真を投稿すると、知人からコメントが届いた。

「(あなたの体験は)勘違いだと思うけど」
ぼかしているけれど実際は長文でもう少し鋭利だ。要約すると、船旅経験のある自分にはそんな経験はないから、わたしが何か思い違いをしている、と思っているらしい。
わたしははっとした。


「自分は経験してないから、あなたがしたという経験はおかしい」
この考え方を持っている人は世の中に結構いるのは知っている。
自分の知識が優れているとか、経験豊かだと自負していると、こういう考えになりやすいのだと思う。

言われたことにも驚いた。
でもわたしが驚いたのはどちらかというと、この言葉が向けられたことより、わたしの周りにこういう言い方をする人が最近いなかったということだった。

noteで関わってくださる方も、今仕事で関わる方も、ずっと付き合っている友人や家族たちも、こういう一方的だったり断定的なもの言いで何か言ってくることがほとんどないのだ。

それはわたしが年を重ねて、「若いからものを知らないんだろう」と思われる機会が減ったというのもあると思う。
でもそれ以上に、人は色々な生き方があって、抱える事情も違っていること。同じ場所や境遇にいても、人が違えば感じることや経験することが違うこと。
そういう「違い」を理解したうえで、関わってくださる方が多いように思う。

「違い」を善悪でジャッジしたり一方的に否定したりをせず、「あなたはそう思ったんだね」「そういう経験として受け取ったんだね」で受け止めてくれるように、わたしからは見えている。
それが実は丁寧にコミュニケーションができる、すごい人たちだからできることで、自分はとてもありがたい状態の中にいるのだと気づいたのだ。

わたし自身、自分の話のすべてに共感・賛同にしろ!とは微塵も思っていない。
発信したものを受け取ってくださった方が共感してくれるのは嬉しいし、その方のお役に立てればなおのこと嬉しい。
でもそのままポイっとされてもいい。それは受け取った人が好きにしてくださって構わない。受け取るまでのアクションをしてくださっているだけで、十分ありがたいのだ。

あと別の経験や考え方、思うことをお話してくださるのもありがたい。勉強になるし、別の視点を持つきっかけにもなる。
どちらにせよ、議論や意見交換をしようという姿勢があって、こちらが考えたりお返事をする余地を与えてくれることが多い。
今までも優しい人たちだなぁと常々思っていたけれど、それにプラスして、丁寧にコミュニケーションをとることができる方が多いことにも気づくことができた。
それがすごいスキルだしとても素敵なことで、そういう人が集まっていることはラッキーでしかない。つまりわたしは、超ラッキーな人だったのだ。


前に自分という「n=1」について記事にしたけれど、自分が体験したことは他の人も経験することかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「あたりまえ」って思ったより「あたりまえ」じゃない。

それがわかっているだけで、出てくる言葉や向き合う姿勢はかなり違う。
自動車に乗っていて、この先に急カーブがあるかもしれないと思っていたら、アクセルをベタ踏みできないのと同じ。
それは相手を気遣う気持ちだけでなく、様々なリスクを回避するために必要なことだと思う。
派手に事故っても生きて帰ってこられるのは、トム・クルーズと何人かの映画スターくらいなのだ。


あ、インド映画の俳優さんも、生きて帰ってきそうな人多いよね。
(マジ蛇足みたいなことも書いてみる)


きっとわたしが書いたことを「そんなの普通でしょ」と思う方も多いと思う。でもそんなことはない。
「普通にできる」くらい身についているから「普通」と思っているだけで、それは全然普通ではないのだ。

見よ、ネットの海を!職場を!
普通じゃないからネットではいつもどこかで炎上してるし、終わらないバトルが繰り広げられている。
友達はともかくとして、職場や仕事仲間の間でわだかまりのあるところはたくさんあるだろうし、わたし自身「会話のキャッチボールが成立しない」と頭を抱えたことも今まで何度もある。


それに、仮に一旦受け取ったものをスルーすると決めたとしても、知ってしまったことを無視するのは結構難しい。
逆に、気に入らないことを攻撃するのは結構容易い。

距離をとって見るのをやめて終わりにする。
それが難しいから不毛なバトルは起き続けるし、誹謗中傷がどれだけ問題になってもなくならないのだと思う。

そこに参加する一部の人が「悪い」のはたしかだけれど、参加しないでいられる人たちは「普通」じゃなくて「すごい」。
理性的に振る舞えることを誇りにしていいことだと思うし、もっと褒められるべきだ。
人やものとの距離を調整できるスキルを持つ人も、実はとってもすごい人なのだ。

色々考えた結果、わたしの周りには、傾聴の姿勢があって、会話のキャッチボールが上手で、距離感の選択と調整が上手な人が多いのだと思う。
わたしも日々気をつけていることではあるけれど、まだまだだなと思うことも多いから、いつも学ばせてもらっている。


人と接していると、同じ境遇や同じ気持ちになっている人と出逢い共感することがある。
逆にまったく違う境遇で、まったく共感できない人と出逢うこともある。
そういう人を知るために話しかけるのはいいけれど、「お前には共感できない」とわざわざ言いに行く必要はない。
それはただの挑発行為だ。
撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけなのである。



……それにしても、「勘違い」ってなんやねん!
ここまで書いて、いまさらちょっとイラッとした。(笑)


なぜそう言えるのかを探るべく、その人の話を一応聞いみたのだけれど……強めに否定してくる割には根拠が薄くて、納得することはできなかった。
うーん……。

宇宙人やUFOを見た人が家族や友達に「勘違いだよ」とか「嘘つき!」と言われたら、こんな気持ちになるのかもしれないと思った。
「ほんとだもん!!うそじゃないもん!!」って気持ちになるのかな……なんだろう、この「となりのトトロ」のメイちゃん感。
あの船、もしかしてトトロだったの……? 大人になると見えくなるはずの……

話が明らかに迷走してきたので、このあたりで終わりにする。
今後もっと歳をとり経験を積んでも、「無知の知」と傾聴の姿勢、スルースキルは忘れてはならないと肝に銘じておくことにした。


あと、好き勝手書いているわたしのnoteを見守ってくださっている皆様、そして日々関わっている皆様には感謝しかありません。
本当にありがとうございます!!!
これからもよろしくお願いいたします!


いいなと思ったら応援しよう!

ニョコロ*
サポートしていただくと、たぶん食べ物の記事が増えます。もぐもぐ。