シェア
由井檸檬
2024年2月19日 20:08
#0 -6 この頃のことはあまり覚えていない。微かな記憶の中では、まだ祖母が寝ているあたたかい布団に潜り込んだり、救急車のことを「ヘッコー(ピーポーというサイレンがそのように聞こえていたから)」と呼んだりする子どもだった。 両親は共働き。だから日中は保育所に預けられていた。そこで出会った飛鳥(仮名)ちゃんのことを僕は好きになった。飛鳥ちゃんとは、毎朝どちらが先に保育所に着くか、という結果が完
2024年2月19日 23:02
#12 中学校に入学したばかりの僕は、生徒名簿に飛鳥ちゃんの名前があることに気付く。小学校は別だったが、中学校では一緒になることができた。──なんたる幸運。別のクラスではあったものの、その幸運を噛み締めたいと思った。 最初の学期で僕は総務委員を務めた。学級委員長みたいなものだ。誰も挙手する生徒がいなくて、それならば自分が、という思いで立候補したことを覚えている。はっきり言って、僕には向いて
2024年2月23日 18:00
#15 部活引退直前の夏のあの日、部活の同級生と所謂恋バナになった。「実は飛鳥ちゃんのことが保育園時代を含めて9年好きだった」という話を同級生にした。迂闊だった。悔やんだって後の祭りだけど、きっと死ぬまで後悔するのだろう。 その同級生は、僕のいないところで、「その話」を晒したのだった。飛鳥ちゃんにも伝わったし、悪意のある人たちにも伝わった。──あれは彼女たちにとっては揶揄いでも、僕はとにか
2024年2月25日 15:40
#15 夏休み。僕は進学塾の合同合宿に参加していたが、心に深い傷を負ってしまい、受験勉強どころの精神状態ではなかった。会場のホテルで倒れてしまい、遠方から叔父が迎えに来てくれたことを覚えている。──あの日は大雨だった。 夏休みが明けた2学期からは長期欠席。担任の先生に「人間不信になってしまった。詳しくは話せない」と事情は伏せて理由を伝えた。母は僕が急に学校に行かなくなったものだから混乱に陥
2024年2月25日 19:49
#15 何度も学校に行こうとした。朝、制服に袖を通してボタンを閉め、通学路に足を進める。しかし、途中でザワザワする。心がきゅっと縮んで、手足が震えるような感覚に陥る。堪えきれずに自宅へと引き返す。毎日がその繰り返しだった。 「定期試験だけでも受けたほうが良い」と先生から説得を受けていたこともあって、なんとか保健室で試験を受けるという日もあった。勿論、授業を受けていないので成績は壊滅的。僅か
2024年2月25日 23:42
#16 高校はビルの中にあった。多くの人が想像するような高校の校舎ではない。運動場もなかったから、授業などで運動をするときは公共施設を学校が借りていた。教室はいかにもビルの一室といえるものだった。最初は戸惑った。でも慣れた。 それよりも戸惑ったのが授業内容で、数学の授業が分数の計算から始まったことがショッキングだった。察するに、底上げ(ボトムアップ)方式の授業を展開しないと、授業内容につい