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追想〈#0-12〉

#0-6

 この頃のことはあまり覚えていない。微かな記憶の中では、まだ祖母が寝ているあたたかい布団に潜り込んだり、救急車のことを「ヘッコー(ピーポーというサイレンがそのように聞こえていたから)」と呼んだりする子どもだった。

 両親は共働き。だから日中は保育所に預けられていた。そこで出会った飛鳥(仮名)ちゃんのことを僕は好きになった。飛鳥ちゃんとは、毎朝どちらが先に保育所に着くか、という結果が完全に親に委ねられている争いを繰り広げる日々。

 やがて飛鳥ちゃんとは別々の小学校に進学することになって、苦さのようなものを感じたことを覚えている。そのときはまだ「好き」なんて分からなかったから、「あの苦さ」に「好き」という名前があることを、僕は後々知ることになる。

#6-12

 この頃の僕は、今では考えられないくらいに活発で、明るい人間だった。休み時間には必ず運動場に出掛けて、ドッジボールやドロケイの熱戦を繰り広げた。加えて、絵画や書道の作品展で入選したりする、芸術家な一面もあった。

 ──家の状況は、最悪だった。同居する祖父が文武両道な姉を溺愛し、劣等生のレッテルを貼られた兄を罵倒してこき下ろした。「お前は〇〇家の面汚しだ。恥ずかしくて外も歩けない」という兄へ言葉は、僕の心に暗い陰を落としている。

 「お姉ちゃんみたいになんでもできないといけない」と考えた僕にとって、完璧でいることは生存戦略そのもの。周りの評価を気にしはじめて、自分というものがどんどん失われていった。自分という人間の輪郭が無くなっていった。

 6年生の冬、祖父が僕の目の前で口から泡を吹いて倒れた。何が起きたのか理解が及ばなかった。救急搬送され集中治療を受けたものの、ほどなくして亡くなった。横たわる祖父の姿を僕は忘れることはできない。死が身近なものになった。

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