野末雅寛

現住所:富山県朝日町 ▼株式会社アガトンラボ(哲学カフェなど https://agathonlabo.com/) ▼有限会社イージー・エンジニアリング(自動機・省力化機械の開発・設計・製作 https://www.ez-eng.jp/)

野末雅寛

現住所:富山県朝日町 ▼株式会社アガトンラボ(哲学カフェなど https://agathonlabo.com/) ▼有限会社イージー・エンジニアリング(自動機・省力化機械の開発・設計・製作 https://www.ez-eng.jp/)

最近の記事

YouTubeチャンネルからのインタビューを受けました

品質と利益がリンクする経営を実現する【QA Plus Engineering Overviews】様からインタビューを受けました。 家業である社名「イージー・エンジニアリング」の由来と哲学と工学がいかにして繋がっているのかが、これまでで最も上手くお話しできました。 それぞれのインタビューでは、私の哲学と工業に対するアプローチがどのように価値を創造することができるのかについて、道筋を示したつもりです。興味のある方はぜひご覧ください。 【インタビュー1】業務を3D化すると会

    • プラトンの洞窟の比喩とYouTube時代の政治哲学

      プラトンという哲学者は偉大だと痛感させられることが増えるようになった。 ニーチェに始まるプラトニズム批判からポストモダンの哲学に至るまで、若い頃から私は幾度もプラトン批判を読まされてきた。善のイデアは、リアルな感性の世界を肯定できない弱者が捏造した干からびた背後世界への郷愁であるなど、20世紀以降のプラトン批判は百花繚乱状態である。 しかし、年を老いて、政治に関しても様々な挫折の経験を経ると、国家篇一つ読んでも何とも滋味深い含蓄に富んだ経験則が訥々と通奏低音のように聞こえ

      • 回復へのプロローグ~哲学エンジニアのライフヒストリー(9)~

        長らく休止してしまい、年の瀬が近付いて更新しようというきっかけが与えられた。人工知能の使い方が分かってきて、創作意欲がわいてきた点も大きいのだろう。 98年の4月に転地療養を行い、「海の病棟」に3か月ほど入院していたが、捗々しい回復を果たすことはできなかった。 その悔しさと無力感は、心の奥深くに重くのしかかっていた。京都に帰ってきた後、最初に行った精神病院の待合室では、松坂大輔がPL学園との伝説の準々決勝の一戦が放映されていた。 甲子園で見せた圧倒的な活躍は、私にとって

        • 書評:鮫島浩『あきらめない政治』(那須里山舎)

          本書は、ネットメディアであるサメジマタイムズを主宰する鮫島浩さんへのインタビューとコラムで構成されています。 生々しい体験記 政府の中枢で取材した経験のある元新聞記者である鮫島さんが語る生々しい体験記である点が一つの特徴です。具体的には、東日本大震災に関する取材や、竹中平蔵氏の評価、財務省についての体験、自民党政権や民主党政権の番記者としての経験について触れています。 東日本大震災に関する取材では、人々をパニックに陥らせかねないという限界状況の中でどこまで情報を公開して

          円安雑感その3~円安をめぐる不見識~

          前回に円安の記事を書いてから、もう2年近く経った。それから円安はさらに進みいったん160円を付けて、その後152円程度まで下落した。 今の円安水準はオーバーシュートだと思うし、この円安進行スピードとボラティリティは異常であるが、2年前とは基本的に見解は変わらない。ただ、さすがに不見識が横行し過ぎだと思うので、今回はその点を指摘したい。 円安をめぐる不見識1~外国為替特別会計~ 円安をネガティブに取り上げる報道の中で、外国為替資金特別会計(外為特会)を取り上げていない報道

          円安雑感その3~円安をめぐる不見識~

          書評:岡野八代『ケアの倫理』(岩波新書)

          大意 身体性に結び付けられた「女らしさ」ゆえにケアを担わされてきた女性たちは、自身の経験を語る言葉を奪われ、言葉を発したとしても傾聴に値しないお喋りとして扱われてきた。男性の論理で構築された社会のなかで、女性たちが自らの言葉で、自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想、ケアの倫理を第一人者が詳説する。 本書の目次 序 章 ケアの必要に溢れる社会で 第1章 ケアの倫理の原点へ  1 第二波フェミニズム運動の前史  2 第二波フェミニズムの二つの流れ――リベラルかラ

          書評:岡野八代『ケアの倫理』(岩波新書)

          松本人志氏のこと~哲学エンジニアのライフヒストリー(番外編)~

          これまでの半生を棚卸しようと、下記のようなライフヒストリーを連載しているのだが、巷で話題の松本人志氏がスターダムを駆け上がった時期と重なっていることに気づいた。 私は1993年からライフヒストリーの連載を始めたが、松本人志氏の人気が一つの頂点に達したと見られる『遺書』のベースとなった週刊朝日での連載は、まさに1993年の7月から開始されている。1994年9月に『遺書』と題して単行本化され、200万部を超える大ベストセラーとなった。 いみじくも文春オンラインに『遺書』のレビ

          松本人志氏のこと~哲学エンジニアのライフヒストリー(番外編)~

          山崎元氏とベーシックインカム

          経済評論家の山崎元氏が亡くなった。 私にとって山崎氏とは、最初期のベーシックインカム論を切り開いた功労者であった。まだ思想家の概念であったベーシックインカム論を、分かりやすい平明な言葉で日本の一般読書層に向けて説明した最初の方であったし、事実、私も初めて腑に落ちたのは彼の記事を読んでからであった。 この記事が2007年である。今でこそMMTが市民権を得て積極財政論は一定のプレゼンスを持つようになったが、当時はリーマンショック以前で、このような膨大な予算を必要とする考えは異

          山崎元氏とベーシックインカム

          大牟田での転地療養~哲学エンジニアのライフヒストリー(8)~

          97年4月からの京都での新生活で挫折して、98年の4月に転地療養を決断することとなる。と同時に、もう一年休学を更新することになる。指導教官は人格者だったこともあり、その方針は受け入れられた。 転地療養先は大牟田市にある「海の病棟」である。両親が読売新聞に掲載されていた記事を見つけてくれた。電話して現地訪問して入院を依頼したら、スケジュールを組んでくれて4月末から入院することを許可してくれた。 当時は寝台特急が健在で、京都から寝台特急あかつきの自由席に乗って、いったん博多駅

          大牟田での転地療養~哲学エンジニアのライフヒストリー(8)~

          軽症うつ病の発症~哲学エンジニアのライフヒストリー(7)~

          97年の4月から始まった京都大学大学院での暮らしは、3か月ほどして挫折を迎えることとなった。前回も書いたように様々な要因でお先真っ暗な状態になり、勉学も日常生活も手につかなくなった。そもそもハイデガーの「無」の哲学に格闘するという悪条件も重なっている。まさに、私は「虚無の淵」から転げ落ちようとしていた。 たまらず近所のメンタルクリニックをタウンページで探し出して駆け込んだ。飄々としたドクターが「軽症うつ病」と診断してくれたことにホッとした。当時の日記を振り返ると、激しい苦し

          軽症うつ病の発症~哲学エンジニアのライフヒストリー(7)~

          大学院での挫折~哲学エンジニアのライフヒストリー(6)~

          間が空いてしまったライフヒストリーの執筆を少しずつ再開したい。「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっていたが、まさに大きな不安を抱えての京都での暮らしが97年の4月から始まった。 出迎えてくれた京都駅はリニューアル工事中で、アバンギャルドな新駅舎が京都市民の議論の的となっていた。今やこの駅舎もなじんだ風景になってしまった。 京都大学近郊の北白川の疎水沿い(北白川西瀬ノ内町)にアパートを借りて新生活を始めた。京都市は狭いイメージがあるが、御影通りから歩くと10分以

          大学院での挫折~哲学エンジニアのライフヒストリー(6)~

          哲学カフェのご案内~SDGsとは何か?~

          SDGsとは何か? SDGsとは、2030年までに達成すべき具体的な目標で、人類がこの地球で暮らし続けるために進むべき道を示す17項目の「持続可能な開発目標」であり、他方、前回哲学カフェのテーマとしたウェルビーイングは、肉体や精神、社会的に幸福な状態を意味します。 SDGsの目標のひとつである「すべての人に健康と福祉を」は、ウェルビーイングに関連しているだけでなく、地球の持続可能性については、「人新世の人間の条件」や「環境倫理学とは何か」など何度かこれまでの哲学カフェでも

          哲学カフェのご案内~SDGsとは何か?~

          哲学カフェのご案内~「ウェルビーイング」とは何か?~

          ウェルビーイングとは何か? 新田富山県知事肝いりの政策であるウェルビーイング。 富山県民である私たちも哲学の観点から考えてみる企画です。この哲学カフェの目的は、ウェルビーイングという概念について基本的な理解を深めて、哲学的にとらえ直すことです。 富山県内では良くも悪くも注目度が高いテーマなので、そのノイズをいったん除去して、知識と理解の整理を行います。 「ウェルビーイング」という言葉には、幸福や健康、満足などさまざまな意味が含まれています。私たちの生活にとって、ウェル

          哲学カフェのご案内~「ウェルビーイング」とは何か?~

          大学院試験~哲学エンジニアのライフヒストリー(5)~

          連載を開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっている。 不安と虚無感に駆り立てられながら、その自らの不安経験にフォーカスした論文を書いた。ハイデガーの『存在と時間』にある不安と、そこから導かれる先駆的決意性に至る論考の過程をたどる予定だったのが、自らの不安経験に引っ張られてしまい、なぜか西谷啓治のニヒリズム論にまで話が広がり、野心作のつもりが惨敗の論文になってしまった。 哲学研究者として生きていくことができればと願って大学院

          大学院試験~哲学エンジニアのライフヒストリー(5)~

          卒業論文~哲学エンジニアのライフヒストリー(4)~

          連載を開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっている。 私は金沢で一人暮らしを始めた大学時代はずっと不安と虚無感を抱えていたような気がする。漆黒の不安を見ると感性がヒリヒリするというか、心がいつも痛んでいた。 前回も書いたが、その虚無感を癒すために、語学の勉強は実に役立った。ロジカルなドイツ語の文法や、複雑な古典ギリシャの初級文法を追いかけていると楽しくて気がまぎれるのであった。 しかし、そうこうしている内に学部3回生とな

          卒業論文~哲学エンジニアのライフヒストリー(4)~

          大学時代の愉楽と不安~哲学エンジニアのライフヒストリー(3)~

          連載を開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっている。 思春期の頃からずっと不安で、それに駆り立てられて哲学にたどり着いたことを前回話した。禅仏教では脚下照顧と言ったりもするが、自己の根源を探求できる予感に導かれたのだ。 モラトリアム気分で教育学部の今は無きゼロ免課程に1993年に入学したが、もう1994年には哲学研究室に所属してドイツ語や古典ギリシャ語の学習に打ち込んでいた。ドイツ哲学やギリシャ哲学の原典を読みたいという情

          大学時代の愉楽と不安~哲学エンジニアのライフヒストリー(3)~