だから走る
お友達が、最近早起きをしてランニングをやり始めたんだって。「聞いて!ランナーのおっさん!前向きな思考になってきたのよッ!」と鼻息荒く言ってきた。僕にはそのお友達の気持ちがよくわかる。
ネガティブと呼ぶのか、後ろ向きと呼ぶのか、僕らが抱えているそういったものとの付き合い方って、人それぞれやんね。
文章に書く人もいれば、芸術を通してそういうものに向き合い、吐き出す人もいる。または、人と話すことでなんとかやっている人もいるかも知れない。ヨガとかダンスもあるかもね。
僕の場合は、専ら走ることによって散らしている。激しく呼吸して汗をかけば、ムカついてることとか、不安に思っていることなんかがすーっと蒸発していく。だから、散らすという表現がしっくりくる。
パンデミックが騒がれ始めた3月、走ることもせずほとんど家にいることにしたんだけど、ほどなくしてまずい状態になった。
まず、ありとあらゆるものに対する意欲がなくなった。それから、むかし人に言われた数々のしょうもないことを思い出して、しょっちゅう腹を立てたりしていた。(「誰々がアンタのことをキショいって言ってたよ(悪意に満ちたニヤリ)」とか。)
それがランニングを再開すると、あっという間に地球に平和が戻った。「はい、どうぞ、キモチワルがってください。左の頬を叩きましたね?右の頬もどうすか?」と寛容になるどころか、悪口みたいなことがあったことさえ忘れた。あらためて、自分は走ってないといかんな、と思った。
はっきり言って、メカニズムはよくわからない。有酸素運動がいいとかいう理屈があるようだが、走ることが万人にうまく作用する方法とも思えない。だってしんどい行為だからね。
いずれにしても、健全にエネルギーを回す方法を持っているっていうのは、自己肯定感を維持する上で、とてもいいことだと思うんだよ。