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河合俊雄 『集中講義 河合隼雄』

☆mediopos-2426  2021.7.8

実際に心理療法を受けたことも
それに関わったこともまったくないけれど
ひょっとしたらぼくは河合隼雄の著作を通じ
二十歳頃から数十年にわたって
じぶんの魂を個性化に向けて
育てていこうとしてきたのかもしれない
このテキストを読みながら
あらためてそんなことを感じた

河合俊雄はぼくとほぼ同世代だが
その著作を読むようになったのは二〇年ほど前
最近では井筒俊彦の関係でも
その深い示唆に驚くことも多々あり
現代で最も傾聴に値する方のひとりだと思っている

もちろん河合俊雄は河合隼雄の
「父であり、師であり、同志」である
ベタな言い方をすれば河合隼雄二世であり
日本のユング関係の心理療法の二世代ともいえるが

河合俊雄の言葉に深い奥行きを感じるのは
日本の心理療法のパイオニアであり
カリスマでもあった方を父に持ちながら
おそらくさまざまな深い葛藤もあったであろうなかで
それらを不断に統合していこうとする個性化のプロセスが
そこには常に働いているからでもあるのかもしれない

人はそれぞれ特定の環境に生まれてくるが
おそらくそれには深い意味がある
そしてそのなかでどのように
みずからの魂を個性化に導くかが大きな課題となる

魂は一人ひとり異なっているから
その課題はそれぞれに異なっている
ある時代ある環境に生まれてくるのは
そこでなければ得ることのできない
魂の課題があるからなのだろう

河合俊雄のように
すでに目の前にある大きなものを前にしながら
葛藤のなかでさらに前に進もうとする方もいれば
ほんの小さな壁の前で立ち往生する方もいる

今回のテキストは
二〇一八年七月放送の番組テキストに
第4章の『明恵 夢を生きる』に関連した講義を加え
新たに編集されたものだが
そこでの大きなテーマは
「女性像(アニマ)」と「身体性」である

「身体性」におけるさまざまはもちろんだが
現代でも男性のなかの「女性像(アニマ)」や
女性のなかの「男性像(アニムス)」に
さまざまな課題を抱えている方は少なくない
しかもよほど具体的に指摘されないかぎり
それが課題であることさえ
意識できていないことも多いようである

男性がほとんど無意識のなかで
女性に求めているイメージには
性的肉体的なアニマ
女性らしさをもったロマンティックなアニマ
母性や聖母のアニマ
観音菩薩や弥勒菩薩のような叡智のアニマ
といったさまざまな段階があり

女性がほとんど無意識のなかで
男性に求めているイメージには
肉体的な力強さのアムニス
行動力を求める行為のアムニス
論理性や合理性を求める言葉のアニムス
精神的指導を求める叡智のアニムス
といったさまざまな段階があるが

たとえば異性と関わるときに
相手に何を求めるかをイメージしてみれば
じぶんがどんな女性像(アニマ)や
男性像(アニムス)にとらわれていて
そこでなにが課題となっているかがわかる
(とはいえ多くの場合じぶんではそれを認めないが)

もちろんアニマやアニムスの問題だけではなく
現代においてさまざまに起こっている問題に対しても
そこでじぶんにどんな課題があるのか
それをどのようにしてじぶんの魂のなかで
「個性化」「統合化」していけばいいのか
そうしたことを日々模索していくとき
河合隼雄・河合俊雄の二人の存在は大きな扶けになる

ちなみに河合隼雄の顔と声をはじめて知った時から
その眼光の鋭さにどこか禅僧の
無言の喝!を感じたりもしていた
「おまえの「あるべきやうわ」は何なのだ!」
そう迫られているようなそんな
そしてそのつどじぶんに問いかけることになる
「おまえは何にとらわれているのだ」
「それを眼前に引き出してみよ!」と

■河合俊雄
 『集中講義 河合隼雄』
 (別冊NHK100分de名著 NHK出版 2021.7)

「明恵上人との出会いをきっかけとして、河合隼雄は自分の心理療法のあり方を仏教との関わりから捉え直そうとしていきます。」
「興味深いことに、ライフワークとして取り組んだ神話や仏教に対して、実は若い頃の河合隼雄は強い拒絶反応を示していました。一九二八年に兵庫県の丹波篠山に生まれ、一七歳で敗戦を迎えた、いわゆる「戦中世代」に属する彼は、軍国主義下の非合理な教育を受け、それを正当化するために利用された日本の神話に強い嫌悪感を抱いていたのです。
 次第に日本的な、曖昧なもの一切を毛嫌いするようになり、西洋の近代合理主義や科学的思考方法を追求して京都大学理学部数学科に進学。卒業後は高校の数学教師となりました。この頃の彼は科学万能主義で、仏教の教えも非合理なものとして歯牙にもかけず、高校教師の仕事を「自分の天職とさえ感じていた」(『ユング心理学と仏教』)と綴っています。
 しかし人生とは不思議なもので、その仕事が彼を心理学へ、毛嫌いしていたはずの日本的なものへと誘うことになりました。若く熱心な教師は多くの生徒かた悩みの相談を受け、彼らに「責任ある対応をするため」(同前)に臨床心理学の勉強を始めたのです。
 高校で教鞭をとる傍ら京都大学大学院で心理学を学び、さらにフルブライト留学生としてUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)倫理学部の大学院に進学。ロールシャッハ法を学ぶために師事したブルーノ・クロッパー教授がユング派の分析家であったことから、まさに「偶然にユング派に導かれた」(同前)のでした。臨床や研究活動に加え、臨床心理士の資格整備、晩年には文化庁長官を務めるなど多方面で活躍しましたが、本人にしてみれば、まったく予想もしない人生だったろうと思います。河合隼雄の人生そのものが、意識に対立するものを取り入れていく「個性化」や「自己実現」を中心に置くユング心理学を体現しているともいえます。
 河合隼雄の著作を通読すると、一つのキーワードが浮かび上がります。それは「物語」です。人間の心を考える素材として、『古事記』や『源氏物語』、民話から現代的なファンタジー、子どもの本に至るまで、様々な物語を取り上げています。彼は物語の世界から隠れた原石を掘り出す名手でした。出会った物語の数だけ発見があり、それを「もう一度物語る」というスタイルを持っていたことが多作につながったのではないかと思います。
 その一作一作には独特の魅力と説得力があるのは、「構造を読む」ことに優れていたからでしょう。そこには数学者としての才も働いていたと思います。」
「物語から構造を読み解くという作業は、心理療法に通じるところがあります。クライエント(求談者)が紡ぐ物語に耳を傾け、隠されたプロットを共に辿っていくのがセラピストの仕事。大切なには、そこに勝手な解釈をはさまないことです。河合隼雄の臨床は、繰り返し本人も強調しているように「何もしない」ところに一番の特徴があります。何もしないことで器を提供し、クライエントの自己治癒力や、その結果として起こることに対して、彼は常にオープンであろうとしていました。
 とはいえ「何もしない」療法は時間を要します。今は、何事においても効率や即効性、経済性、科学主義的なものが重視される時代。心理療法の現場も例外ではありません。河合隼雄が取り組んできたことや考えてきたことは、マイノリティになりつつあります。
 しかし経済中心主義や、グローバルスタンダードという型にはめることの限界、あるいは反動が近年、世界各地で顕在化しています。原理主義やナショナリズムは、その最たるものでしょう。それを突き動かしているのも、人間の「心」です。今の物事の進め方、考え方は本当に正しいのか、日本の文化は、世界はどこに向かっているのか、このままで人間は幸せでいられるのか−−−−。河合隼雄の著作を再読することは、そうしたことを考える上でもヒントになるのではないかと思います。
 わたしは期せずして父・河合隼雄と同じ道を歩むことになりました。同じ分野で長く仕事をしてきたとはいえ、自分の父の著作を紹介することに、やりにくさを感じないわけではありません。親子、師弟といった近親者を結び付けるリビドー(心的なエネルギー)は、しばしばネガティブに働きます。それを避けるため、心理療法ではクライエントと一定の距離を保つ訓練や様々な決まりごとを設けています。
 その訓練を受け、臨床での経験を重ねてきたという意味で、父やその著作についても、ある種の距離感をもって語ることができるのではないかと思います。彼が他界した後、遺された大量の著作を編集するために読み直す必要に迫られ、その中で改めて気づいたともたくさんあります。そうしたことも含めて、父であり、師であり、同志でもある河合隼雄の考えや思いを「もう一度物語」り、皆さんに、そして次の世代に伝えていくことができればと考えています。」

「本書は、二〇一八年七月に放送されたNHK出版100分で名著「河合隼雄スペシャル」の番組テキストに加筆訂正をし、書き下ろしの第4講講を加えたものです。第4講で扱う『明恵 夢を生きる』は、資料を綿密に検証して書かれた完成度の高い著作で、河合隼雄の思想と臨床を知るためには必読のものです。この一冊を加えたことで、最終稿の仏教のテーマへとつながり、河合隼雄の思索の歩みがより立体的に浮かび上がってくることになったと思います。」

(「第4講 夢が映す生き方」より)

「河合隼雄は、『明恵 夢を生きる』の執筆に八年もの歳月を費やしています。」
「『明恵 夢を生きる』において河合隼雄が目指したのは、明恵が遺した一つひとつの夢の意味を探りながら、夢の流れに沿って彼の自己実現の過程を明らかにしていくことでした。その中で特に焦点を当てて考察しているのが、明恵の夢における「女性像(アニマ)」と「身体性」です。」

「河合隼雄は、明恵には身体を否定する傾向があったと指摘します。例えば、四歳の頃の明恵は、自らの美しい両親が僧になる妨げになると考え、焼け火鉢で顔を傷つけようとしたことがありました。また、二十四歳の時には、仏に捧げるべく自分の右耳を切っています。狼に貪り喰われて死ぬという凄まじい夢の背景には、このような「身体の否定」があるのです。それには身体が欲望や煩悩と結びつきやすいところと関係していると河合隼雄は指摘しています。
 狼の夢で注目すべきは、すっかり食べられたのに自分は死んでいない、というところです。つまり、身体から離れたところに意識があり、象徴的な次元での死からの再生の道が開かれていたということです。」

「母なる世界や身体とのつながりを回復した明恵ですが、こうした分離と結合は、その後も幾度となく繰り返されます。このように母なる世界、女性に関しても、身体に関しても、何度も否定を通すことで新たな関係が生まれ、それによって明恵のこころは深まっていくのです。」

「彼(明恵)は平成より「あるべきやうわ(ようは)」という言葉を大事にしていました。日本人は、ともすると「あるがまま」という安易な母性原理的な現状肯定に陥りがちですが、彼は常に「自分はどうあるべきか」と父性原理の入った形で自らに問い、夢を通して自分の心の奥底と向き合い続けた。激動の時代に、新仏教の興隆という逆風に抗い、「あるべきやうわ」を貫いた彼の生き方は、地球規模の温暖化や対立・格差の拡大、終わりのみえないパンデミックとの戦いに直面している私たち自身の生き方を考え直すヒントになるのではないでしょうか。安易に新しいものを提唱するのではなくて、これまでの仏教・華厳経の中から独自の生き方を摑んでいったことも、現代に生きるわれわれにとって一つの示唆であるといえましょう。
 また、男女共同参画や男女対等の関係がなかなか進まない日本には、それに関する政治・社会的な問題だけではなく、河合隼雄が生涯のテーマとして取り組んだ心理学的なアニマ・アニムスの問題も根強くあるのではないでしょうか。」
「男女の関係において、男性がアニマの問題に取り組むことの重要性は、河合隼雄が今後のために残してくれた大切な指摘のようにも思われます。」

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