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若松英輔『見えない道標4』

☆mediopos-2375  2021.5.18

若松英輔の「見えない道標」という
自伝的な思想的回想録が『群像』で連載されている

若松英輔はぼくより一〇歳ほど若いが
思想的な関心は驚くほど近い
(とはいえ宗教者的な視点が中心にあるところや
感覚的なところではずいぶん異なってはいるけれど)

今回はとくに
一九八〇年代の後半から九〇年代のはじめの話で
ユング・シュタイナー・高橋巌
吉福伸逸・鈴木大拙・井筒俊彦の名が出てきたこと
そして吉福伸逸について先日ふれたばかりなのもあって
とりあげておきたいと思った

重要なのは
現代のアカデミックな心理学には
シュタイナーが危惧していたように
肝心の「魂」が失われていることだ
おそらく「科学(主義)」的な要請でもあるだろう

シュタイナーは「私たちの時代は、
みずからの魂の存在を否定するところにまで
達してしまいました」という

すでに亡くなってしまった池田晶子も後に
「魂」について語るようになっていた
人間性が失われてしまいかねないような
危機感が共有されていたのかもしれない

そして魂の深みに
個人的なものを超えたものを
見出そうとしていたユングから
トランスパーソナル心理学への動向は
時代の危機感から要請されたものでもあるだろう

若松英輔の吉福伸逸について語られている話のなかで
鈴木大拙や井筒俊彦の名がでてきているのも興味深い

その時代からすでに三〇年ほど経っている
そして時代はますます人間から「魂」を奪い続けている

遠藤周作がシュタイナーにふれて語っている
人生の三つの季節だが
肉体の季節としての若い時代
心の世界をつかもうとする中年・壮年の時代
そして霊の季節としての老年の時代
というふうに人間は成熟へ向かっていくはずが
今では霊も心も否定しかねない
肉体の季節にしがみつこうとしているように見える

しかもこのコロナ禍という身も蓋もない演出で
肉体にかろうじて残っている叡智さえも
なくしてしまおうとしているようだ

成熟を拒否し
からだを自動機械にさえ変えようとしている人間は
いったいどこへ向かおうとしているのだろう

確かな視点がないのではない
すでに先にふれた人たちの営為も豊かにある
それらを深めようとする試みも多い
けれども科学(主義)的なアカデミズムは
それを決して容れない魂のない人間が支配している
人間はいまや二つに分かれようとしているのかもしれない

■若松英輔『見えない道標4』
 (講談社 『群像 2021年6月号』2021.5発行 所収)

「ある人は「心理学」はpsychologyの訳語であるという。psychologyは“psyche”の学、すなわち「魂」の学であることを意味する。だが、現代の心理学は遠いものになりつつあることは否めない。
 「魂」とは何かを語らない心理学者は少なくない。むしろ、「魂」などという名状しがたいものから、なるべく距離をもとうとするのが現代科学の常識的な態度でもあるだろう。だが、たとえ。学者が「魂」を語るのを止めたとしても「魂」がなくなるわけではない。ただ、それが見えにくくはなる。
 心理学と「魂の学」の問題は現代日本だけの問題ではない。このことをめぐって、ルドルフ・シュタイナーが興味深い言葉を残している。
 
  魂という言葉を用いた学問である心理学をも含めて、こんにちの科学は、魂のことをあまり知ろうとはしていないのです。できたら眼をそむけたいと思っています。だからこんにちの心理学は、「魂のない魂の学」と呼ばれたりするのです。(「魂の起源」『魂について』高橋巌訳)

  この講演が行われたのは、一九一一年で、フロイトとユングの決別が一三年のことだから、ユング心理学が世に広く知られる以前であることも考慮すべくなのかもしれない。しかしう、ユングの没後六十年を経てみると、シュタイナーの言葉は、歴史事実とは異なる意味で新鮮に感じられる。この講演の終わりにシュタイナーは、近代とは「魂」を見過ごすだけでなく、否定するところまできたという。

  私たちの時代は、みずからの魂の存在を否定するところにまで達してしまいました。この時代に自分自身を取り戻すこと、私たちの内部の永遠で恒常なものを信じること、私たちの内部の神的なる存在の核心をこの時代のために新たに蘇らせること、これが私たちの運動の課題でなければならないのです。(同前)

 科学が安易に技術と結びつき、科学の純粋性とは何かがわからなくなるところまで来ようとしているなか、「科学」であることを目指した心理学が有用性に流れていくのは自然なことなのかもしれない。」
「一九八〇年代の後半から九〇年代のはじめは、心理学が脱構築を求められた時期だった。心理学がその名のとおり「魂」を射程に入れた叡智に立ち戻ることを時代が強く要望していたように思う。
 その真只中、一九八八年に上京した。そのときはすでにシュタイナーの名も、その訳者である高橋巌の名も知っていた。きっかけは遠藤周作の『心の夜想曲』だった。「日本でもかなりの愛読者のいる神智学のシュタイナーはユングと類似した考えの持ち主なので私も心ひかれる思想家だが、そのシュタイナーは、人生を三つの季節にわけている」と遠藤は言う。
 ある人はユングとシュタイナーは違う、というかもしれない。もちろん、二人のあいだには相違はある。ともに独創的な思想家だから相違点の方が多いのは自然なことであるともいえる。しかし二人は、その根底においては、時代の、そして人間であるがゆえに逃れることのできない危険を見過ごすことなく、それに対峙する者として比類なき緊密な関係にあることも確かだ。先の一節のあとに遠藤はこう続けている。

  若い時代は肉体の季節である。若者たちはその肉体で世界を感じ、世界をつかもうとする。
 中年、壮年の時代は心の季節である。肉体はもう若者のような働きをしないが、そのかわり心によって世界を感じ、世界をつかもうとする。
 そして老年、老年は霊の季節である。(…)それはこの世界から離れて大いなる生命に戻っていくための前段階である。だから肉体の若い時代や心の壮年時代よりも、自分を包み、自分をこえた大いなる生命に敏感になっているのだ。」

「今から思うと時代が変化する、というよりも変貌する時期だったように思う。従来の心理学の常識かたみれば、ユング心理学の知見は十分に革命的だった。それまでの心理学は「私の心」であるといわれていた。だがユングは、的無意識の奥に集合的、あるいは普遍的無意識と呼ぶべきものがあると語った。肉体が空気を同じくしているようんび、さまざまなイマージュを人間が共有している。人は心によって他者とつながっていると説いた。ユングにとっての他者は生者だけを意味しない。それは歴史の住人となっている死者をも含有するものだった。
 同質のことを在野で、芸術、農業、教育などにまで領域を広げ、さらにラディカルな態度で語ったのがシュタイナーだった。
 一九八七年には吉福伸逸の『トランスパーソナルとは何か』が刊行されている。吉福は翻訳家でありながらトランスパーソナル心理学の実践家でもあった。吉福がいなければ日本のトランスパーソナル心理学はまったく異なるものになっていただろう。彼が日本を離れたあと、トランスパーソナル心理学が、吉福の提唱してきたものと異なるかたちになった事実がそれを物語っている。彼は深い学識はあったが、学歴からは遠いところにいた。彼という存在をある職業名で表現するのは難しい。ただ、世界の根源にある何かを探求する人だったことは疑いを容れない。」
「この波は、心理学の分野に留まらなかった。中村雄二郎に代表される哲学者、玉城康四郎などの宗教者、さらには遠藤周作のような文学者が連なった、混沌と呼ぶにふさわしい状態だった。だが、混沌が混乱でなく、何ものかを創出するエネルギーを秘めているように、この時代の精神にも打ち消しがたい趨勢があった。
 ユング心理学というよりも、ユングという人間に何かを感じた。それは人智学やシュタイナー教育よりもシュタイナーという人間に関心があったのに似ている。トランスパーソナル心理学に深入りすることもなかった。しかし、吉福伸逸の存在は今も忘れがたい。
 ワークショップの会場は東京から離れた場所だった。東海道線に乗ったのを覚えているから神奈川か静岡だった。道中、吉福と話ができた。印象的だったのは、彼が明らかに「何が話されているか」に関心があり、「誰が話しているか」をさほど気にかけていないことだった。話は鈴木大拙のことになった。
「トランスパーソナルはD・T・スズキがいなければまったく違ったものだったかもしれない」
 大拙の本名は鈴木貞太郎。「D・T・スズキ」は、大拙貞太郎を意味する。大拙をこう呼んだ人に直接会ったのは、吉福が最初で最後だった。大拙が海外でそう呼ばれていたことは知っていた。しかし、その呼称を誰かの肉声として聞くとは思わなかった。
「日本でトランスパーソナルを試みようとするとき、もう一人大切な人がいる。井筒俊彦の『イスラーム哲学の原像』で語られたイスラーム神秘主義の世界観は、トランスパーソナルにとても近い」
 大拙の名前は『トランスパーソナルとは何か』でも一度ならず語られていて、そこに付されている笑顔の大拙の写真は今もなお、忘れがたい。しかし、吉福の口から井筒俊彦の名前を聞くとは思わなかった。」

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