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映画について書いたもの

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映画評や映画文化にまつわる文章。
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#映画評

Crimes of the Future(監督:デヴィッド・クローネンバーグ/2022年)

本当に好きなものについて書くのは難しい。クローネンバーグの映画はその類いである。 1980年代半ば、小学生のころにテレビではしばしばホラー映画の特集番組が放送されていた。世の中でそれが流行していたかどうかも知らない、ただただ怖いもの見たさで指の隙間から見ていた子どもだった私の脳裏に強烈に残ったのは、襲いかかってくる殺人鬼やゾンビではなく、裂けた腹部にビデオテープを押し込める様である。夜に見ている悪夢そのままのイメージに吐き気を覚えてうっとりしたのは、思えば自覚する以前に自分

ぼくたちの哲学教室(監督:ナーサ・ニ・キアナン/2021年)

映画の帰り道、「《哲学》と言うからなんだか難しいかなと思ったけど、道徳の授業みたいな感じなのかもね」と一緒に見た中学生の娘に何気なく話しかけると「いや、ぜんぜん違ったよ」と真面目な顔で返してきた。 彼女が受けている道徳の授業は、身近に起きたことが題材になるわけではなく、教科書に書いてある物語、それも「そんな極端なこと普通起きないよ!」と思うような話をもとに行われるため、だいたいみんな同じ答えに行き着くらしい。それに、考えたり話し合ったりする時間があんなにないとのこと。 今ど

TAR (監督:トッド・フィールド/2022年)

見てからしばらく経つのだが、もう一度見なければいけないような、しかし、もう一度見たところでケイト・ブランシェットにまた目が釘付けになって2時間半を終えるだろうと思われるので、とりあえず走り書きのメモを残すことにする。 そう、さまざまな映画評を読んだり、見た知人友人たちの感想を聞いても、誰もがリディア・ター=ケイト・ブランシェットに目が釘付けだったと言う。ターが実在の人物と思った人々がいるというまことしやかな話も納得できるほど、ケイト・ブランシェットの存在は確かなものである。

聖地には蜘蛛が巣を張る (監督:アリ・アッバシ/2022年)

イスラム教と言えば厳しい戒律に律された社会が想像されるが、そんな国でも世界最古の職業である娼婦は存在するらしい。イランで実際にあった娼婦を狙った連続殺人事件をモチーフにした、それも、リベンジポルノでイランからフランスへ亡命を余儀なくされたかつての国民的女優が主演するサスペンス映画。スキャンダラスな実話ものかと構えて見始めたものの、始まって早々に犯人は明らかとなってしまう。それによって、この映画のサスペンスたる所以が殺人鬼の凶行そのものではないことはすぐに分かったのだが、ではど

郊外の鳥たち(監督:チウ・ション/2018年)

中国の地方都市。地盤沈下のため地質調査に訪れた青年は、廃校となった教室に残された日記を手にする。そこでは同じ名前の少年が生き生きと街で暮らしていた。それはかつての青年なのか、それとも単なる偶然なのか、映画はその問いに答えようともしないまま進んでいく。 数年の時を隔てているとはいえ、大まかには二つの物語が語られているだけのはずなのに、そもそも二つの物語は一つのものであったのか判然としないのはなぜだろう。睡眠中に見る夢のような、と言っても良い。夢というものは、起きてから思い出そ

鈍行旅日記(監督:福原悠介/2023年)

10代後半から20代前半まで、わりと好んで一人旅をしていたように思う。とは言え、おおよそまめに旅の計画を立てることもなく、道中に見知らぬ人と交流するほどの社交性もなかったので、最低限の目的地とそこへ到る安価な方法を考えたら出発し、結果、移動時間は飽きるほど長く、目的地に着いたところで時間を持てあまし、喫茶店でコーヒーを飲みながら持参した本を読んでいるといった体たらくが多かった。今にすればそれが最も贅沢な旅の一種だと思えるけれども、当時なぜそんな旅に出るのか自分でもよくわからず

無法の愛(監督:鈴木竜也/2022年)

鈴木竜也監督は、昨年(2022年)のPFFぴあフィルムフェスティバルで『MAHOROBA』を見たときに短評を書いた。同じく2016年のPFFで見た『バット、フロム、トゥモロー』の監督であること、また同郷であることを知り、急に親しみがわいていたのだが、それは必ずしもそうした理由からだけではない。 コロナ禍で時間ができたのでアニメづくりを独学でやってみた、というだけあって「一人でつくったがすごいCGである」などということは一切感じない、むしろこれなら真似できるのではないか?と思

ケイコ 目を澄ませて (監督:三宅唱/2022年)

『コーダ あいのうた』(シアン・ヘダー監督/2021年)や『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督/2021年)がアカデミー賞を取ったこともあり、ろう者を描いた映画、そして、ろう者を演じること、ろう者が演じることについて、多くの人が関心を寄せられるようになった昨今。撮影や編集など映画的な技術だけでなく、福祉、マイノリティーや労働問題などさまざまな視点から批評されるであろう題材をどう撮るのだろうという興味と心配は正直あった。ただ、監督がインタビューで「ボクシング映画は既に数多く撮

七人楽隊(監督:サモ・ハン、アン・ホイ、パトリック・タム、ユエン・ウーピン、ジョニー・トー、リンゴ・ラム、ツイ・ハーク/2021年)

香港は国ではない。中国の一部(特別行政区)である。第2次世界大戦のときには日本軍が占領したこともあるが、近代史から現代史の範囲に到るまでイギリス統治下にあった場所。しかし、もう私には1997年の返還後の記憶のほうが長い。経済的な繁栄を謳歌しつつ、一国二制度という奇妙な仕組みを与えられた、国のようで国ではない場所。一度も訪れたことはなく、子どものころテレビで見たジャッキー・チェンのカンフー映画と、TM NETWORK『Get Wild』のMVでメンバー3人があてどなく歩く背景、

アフター・ヤン(監督:コゴナダ/2021年)

AIロボット、アンドロイド、サイボーグ……どのような表現でも良いけれども、画面に立つ、あるいは、横たわる俳優をそう名指してしまえば、もう体から光を発したり、怪力を示す必要はない。「未来」という言葉が必ずしも喜ばしくも輝かしくも感じられなくなった今日、SF映画がSFたる意味は「現在とは別の世界線を示す」ことであると言える。 ほんの少し違和感を与えるような素振りを加えれば、私たちはすんなりとSF的設定を受け入れる。ロボットのヤンは、ほんの少しだけ肌や表情が滑らかすぎる演出がほど

『言語の向こうにあるもの』(監督:ニシノマドカ/2019年)

1990年代半ばに地方の国立大学に入学し、そこで語学の授業をとった身としては、正直なところ実際に見る前までさほど期待していなかった。フランスはパリの大学とはいえ「外国語としてのフランス語講座」なるものがそれほど魅力的なドキュメンタリー映画になるとは思えなかったからだ。 しかし、その予想は大きく外れる。まず、この授業がおそらく多くの日本人が想像する「語学の授業」からかけ離れたものであったから。それがこの映画の魅力の何割かであることは間違いないだろう。二人の教師(ニコールとフェ

『この子は邪悪』(監督・脚本:片岡翔/2022年)

予告編などを観ているとどうしても白いマスクをかぶった少女が目立つため、一定のシネフィルならば『顔のない眼』(1959年)を、そうでなくとも多くの日本人なら『犬神家の一族』(1967年、2006年)を思い起こすことだろうが、製作側がそれを意図したのかどうかはさておき、それはややミスリードであった。もちそんそれらも参照していることは間違いないだろうが、むしろ近年のものならジョーダン・ピールの『ゲット・アウト』(2017年)やヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』(2015年)、あ

PFFアワード2022 短評

ひさしぶりに「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」の会場におもむき、PFFアワード2022の受賞作を一部見ることができたので(グランプリ、準グランプリ、審査員特別賞を受賞した5作)、備忘録もかねて短評を書く(鑑賞順)。 *入選16作品は、10月31日までオンラインで配信されている。 DOKUSO映画館 U-NEXT 『幽霊のいる家』(監督:南香好/12分) 12分の短篇ながらとても長い映画だった。しかし、それはまったく悪い意味でなく、むしろ深い感心からである。一つひと

崩れゆく部屋と透明な建築の呼応—「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」

この文章は、2005年にせんだいメディアテークで企画した上映と展示「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」(2005年3月19日-29日/せんだいメディアテーク7階スタジオシアター、6階ギャラリー)に際して、未来社のPR誌『未来』(2005年3月号)に寄稿したものである。今思えば暴挙としか言いようのない仕事だったが、それもさまざまな人たちの協力_それを友情と言ってもよい_によるもので、これを書く機会を得たのもその一例である。 初出:『未来』No.462(2005年3月) まるで