無法の愛(監督:鈴木竜也/2022年)
鈴木竜也監督は、昨年(2022年)のPFFぴあフィルムフェスティバルで『MAHOROBA』を見たときに短評を書いた。同じく2016年のPFFで見た『バット、フロム、トゥモロー』の監督であること、また同郷であることを知り、急に親しみがわいていたのだが、それは必ずしもそうした理由からだけではない。
コロナ禍で時間ができたのでアニメづくりを独学でやってみた、というだけあって「一人でつくったがすごいCGである」などということは一切感じない、むしろこれなら真似できるのではないか?と思わせるような朴訥とした画風だが、斜に構えつつもユーモアと映画への愛を忘れない演出が、どこか信頼がおける。
さらに言うならば、『無法の愛』は文字通り愛の物語である。一組の男女が登場し、二人の行く末に向かって物語は進行するが、それが主題というよりは、むしろ弱く愚かな人々すべてへ愛を差し向けることが本質であるように思われた。「赦し」と言っても良いだろう。とはいえ、崇高な神のごとき所業でもない。今どきの異能者の超能力でもない。せいぜい自暴自棄になった若者に一言声をかける程度のそれなのだが、たとえば、そのささやかな愛がもたらされないことの不幸を『ジョーカー』(監督:トッド・フィリップス/2019年)が描いて多くの人の共感を得てしまったことからすれば、今日私たちが知る社会(都会、に限定すべきだろうか)のなかでは、極めて稀なレベルの愛である。
また、本作についての作家本人による解説の最後に「正解はない、でも間違いはある」とある。これは映画づくりに対する彼の基本姿勢ということなのだけれども、これだけ社会に正解(に聞こえそうなこと)を声高に言う人々がいて、そのほうが人気や権力を握りやすいことからすれば、「正解はない、でも間違いはある」という洞察は慧眼の類いであろうし、そこに踏みとどまることができているのは良心的というべきであろう。
本作はさまざまな映画祭で評価されており、彼は将来を嘱望される一人だろうが、国民的作品を作る機会は与えられるかどうかはわからない(そもそも国民的作品というようなタイプではないだろう)。ただ、また一人コツコツと時間をかけながら良心的佳作をつくることはできるかもしれない。いやむしろ、こういう作家にこそ映画をつくらせるべきなのだ。ちょうどいま、次回作のためのクラウドファンディングを行っている。